第25話 蒼穹Ⅱ 辺境伯と蒼穹の魔女 前編
ランベンドルト辺境伯領東北部、
「あなたには毎年、申し訳ないことをするわね。だからこそ、せめて儀式の前日である今日くらいは、あなたにくつろいでほしい」
あたしと一局打ちながら、あのお方――魔女様は申し訳なさそうに顔を曇らせる。そんな魔女様に、あたしは無理に笑顔を作って言う。
「そんな顔をしないでください。そもそもがあたしの祖父から持ち掛けた"契約"ですし、漆国七雲客である魔女様が誰よりも太平を望み、そのためにあたしの血肉が必要なことも、理解しているつもりです。誰も悪くない、仕方がないことなんです」
民を守る力を持たない辺境伯と崇高な理念を持ちながらも自身の魔力だけではその理念を達成できない魔女。たまたまあたしの祖父と魔女様の利害が一致したのは、まさに数奇な運命の巡り合わせだった。でも思い返すと、そこで利害が一致しないでお互いの役割や理想を諦めてしまっていた方が、お互いにとって幸せだったのかもしれない、という考えに思いをはせずにはいられない。そう思っちゃうくらい、あたしも魔女様も、浮かべている笑顔には何処か影が差していた。数十年前の契約によって魔女様とあたしを含めた多くの人が縛られ、誰も幸せになれないまま抜け出せずにいる。
蒼穹の魔女。ラルカの森の奥深くに棲む彼女とあたしが最初に出会ったのは、あたしが6歳になって微弱ながらも魔法を発現してすぐの時だった。あの時のあたしはまだまだ小さくて、傍らには付き添いの父上がいた。あれから12年。父上は死去し、あたしは18歳となって背格好もずいぶん大きくなった。
そんなあたしに比べると、あたしの目の前にいる魔女様はそこだけ時が止まったかのように、何も変わらずに佇んでいる。腰まで伸ばした漆黒の長髪も、湖面のような深い碧眼もそのままで、10代後半の貴族令嬢と言った容姿を保っている。父上によると、父上が幼少期に初めて会った時から、魔女様はこの容姿だったらしい。
そんな魔女様と幼い頃からあたしが年1回、新緑の季節に顔を合わせるのは魔女様とあたしの祖父の間で取り交わされたとある契約によるもの。
今から数十年前。当時唯一の辺境伯継承権者だったあたしの祖父は魔法適正がかなり低かった。他の領地の貴族であれば、その程度の魔法適正でも済んだのかもしれない。でも、他国との国境に面するランベンドルト辺境伯領の領主を務めるには、祖父の魔法適正では心許なかった。そんな祖父は領地を守るため禁忌に手を染めた。つまり、祖父は工面できる武力を手に入れるために国境付近の森に棲まう魔女と契約したのだった。
蒼穹の魔女。それはラルカの森に面するランベンドルト辺境伯領の各家庭で伝説として語り継がれてきた存在。『国境付近の森の奥深くに入り込みすぎると、弓を携えた怖い魔女に取って食われる』、この地方で生まれ育った子供なら必ず、大人から聞かされ続けてきた話だ。
それが、凶暴な魔獣が多く生息する上に奥に入り込みすぎると他国に繋がっている森に子供が不用意に近づかないようにするための作り話であることは大人ならばすぐにわかることだった。でも祖父はこの作り話を真に受けて『森の中には戦力となりうる偉大な魔女がいるはずだ』と考えてラルカの森の奥へ奥へと入っていった。そしてそんな祖父は果たして、本物の蒼穹の魔女様に会った。そして実在した蒼穹の魔女様の正体は、クラリゼナ王国では魔女なんかよりもはるかに恐れられている存在――漆黒七雲客の1人だった。
それなのにも関わらず、領地を守る力を欲した祖父は蒼穹の魔女にとある契約を持ち掛けた。契約の内容としては2つ。1つは、魔女様が息絶えるその日までランベンドルト辺境伯領に有事が起こった際には魔女の力を貸してもらう。そしてもう1つはその代わりに、これ以降、ランベンドルト辺境伯家に最初に生まれた長男ないし長女の魔力は全て魔女様に捧げる。具体的にはその子供がまだ胎児の段階で子供から魔力の殆どを抜き取り、以後は一般的に魔力が発現する年齢になったら毎年一回、微弱ながらも身体に溜まっていく魔力を魔力が溶け込んだ血肉ごと魔女様に抜き取られる。
あたしは魔女様に魔力を毎年捧げることになってから自分で調べて、漆黒七雲客というものがクラリゼナ王国によって捏造された架空の脅威である真実にたどり着き、何だったら王家や下手な貴族なんかよりよっぽど魔女様の方が信用できるとさえ思ってる。でも父上も、そして祖父だってそのことを知らなかったはずで人並みに漆黒七雲客のことは恐れていたはずなのに、よく魔女様とこんな契約したな、と思う。そもそも、そんな契約をしたら祖父の代はその場しのぎとなったとしてもそれ以降の代ではランベンドルト辺境伯家に優秀な魔法使いは生まれない可能性があって、魔女様に永久に依存することになることくらい、少し考えればわかったはず。なのにあたしの祖父は愚かにもその契約を結んでしまった。
そして当時、もう50年近く漆黒七雲客――否、漆国七雲客として生き続けていた魔女様もその時、ちょうど自分の理想を叶えるためには自身の魔力量だけでは足りないことに気付き始めていた。そんな弱気になった魔女様と祖父の間で、いろいろな意味で禁忌と言える契約は成立し、発効した。
そしてそれ以降。父上も、あたしも、長男ないし長女と言う理由だけで魔力をほとんど奪われた状態でこの世に生を受け、加えて毎年苦痛を伴いながら魔力を搾り取られるようになってる。
「あたし達の方こそごめんなさい。世界の秩序維持って言う崇高な理念を持つ高潔な魔女様にとって、本当は貴族から魔力をむしり取るなんて非道な真似は耐えられないでしょう。なのにも関わらず、魔女様に残酷なことを強いて、自分で戦うことを放棄してあなたの力に縋らざるを得ない」
「でも、本当はあなただって人並みの魔力があるなら、自分の力で自分の領地を守りたかったでしょう」
魔女様に図星の所をつかれてあたしは言葉を詰まらせる。
――そんなこと当たり前だよ。妹ほどじゃないにしても、あたしに並みの貴族程度の魔力さえあれば、あたしはこんなに辛い思いをしないで済んだ! あたしが一人前の領主だったら、領地のみんなに不安な思いをさせることなんてなかった! 何よりあたしに魔法さえ使えさえすれば……アリエル様にもっと胸を張れるような立派な辺境伯になって、なんだったらアリエル様の隣で一緒に戦うことだってできたかもしれないのに。
押し込めようとしつつも湧き上がりかけた激情は、アリエル様のことを考えると自然に引いて行った。そう、あたしが憧れたアリエル様はもういない。だったら別に、あたしに魔法が使えなくたっていいか。自分で魔法を使えて、領地を守れるようになったところで、そもうどこにもいないアリエル様は何処にもいない。戦場で隣に立ちたい相手なんて、もうどこにもいない。
今のあたしの傍に居るのはちょっと愛が重くて空回りもたくさんしちゃうけど、つい愛おしさを感じちゃうアリエルと、魔法が使えないあたしのありのままを受け入れてくれている領地のみんな。そんな彼女達にあたしがすべきなのは、アリエルにもう二度と戦わせなくていいように、領主として領地の安全を確保すること。
そこまで思いが至るとさっきとは違って素直に、次の言葉を紡ぐことができた。
「そんなことないですよ。あたしは自分の領地が平和なら、それで十分です」
そう言ったあたしのことを、魔女様は不思議そうにのぞき込む。
「へえっ。ミレーヌちゃんも変わったね」
「そうですか? 」
「うん。これまでは自分に魔力がないのは仕方ない、って無理矢理自分を納得させているのが目に見えていたけど、今年のミレーヌはなんか吹っ切れたような気がする」
「それは単純に魔力を抜かれるのに慣れたからじゃないですか? あれ、生命力が根こそぎ持っていかれるような感覚がして、すっごくきついんですよ」
「あはは、確かにそれは間違いない」
そこで魔女様は苦笑を漏らした。
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