第24話 蒼穹Ⅰ お嬢様と地獄の1週間
朝。起きた直後にカレンダーを確認するのはあたしにとって日課の一つ。でも、1年の内でもこの時期はカレンダーを確認するのが少し憂鬱になる。その理由は、1日1日と、一年間の中であたしの一番嫌いな一週間が近づいてきている事実と向き合わざるを得ないから。
カレンダーを見る度、気絶したままその1週間をやり過ごせていたりしないかな、とありえもしない期待を抱いちゃう。でも、寝坊すらまともにしたことがないあたしにそんなミラクルが起こっているはずもなく、カレンダーは毎朝、あたしに無情な現実を突きつけてくる。
――領主のくせに自分の力じゃ領地を守ることすらできないんだから、これくらいの苦痛ぐらい耐え忍ばなくちゃいけないでしょ。それが、ランベンドルト辺境伯家の一員として生まれてきた義務でしょ。
あたしの中にいる絶対正義の自分が、鏡に映し出されたまだ髪がぼさぼさのままのピンク髪の少女に向かって話しかける。でもその少女の視線は悲劇のヒロインぶるかのように揺らめく。
――まさか、まだ自分のことを『勇者様』が救ってくれるなんて期待しちゃってる?
あたしの中の絶対正義の自分に指摘され、そこでようやくあたしははっとする。その考えを振り払うかのようにあたしは首をぶるんぶるんと振る。
――あたしにとっての勇者様は――アリエルは、魔法騎士じゃない新しい道を進もうとしていて、あたしもそれを応援する、ゴールで待ってるって決めたんだ。だから、今更アリエルにあたしに代わってこの領地を守ってくれ、なんて頼ることなんてできない。アリエルのためにも、あたしがやらなくちゃいけないんだ。
自分を奮い立たせ、口角を無理に上げてあたしは無理やり不敵な笑みを浮かべてみる。その笑顔はどこか引きつっていて、歪だった。
◇◇◇◇◇◇◇
そして迎えた当日。"あのお方"の使者は例年通り朝早くからあたしのことを迎えに来た。使者が来たことをソラから伝えられると、あたしは「使者の人に少しだけ待っていてもらって」と言伝を頼んで、まっすぐに、とある女の子の所に行く。
この時間に彼女しかいない、執事専用の支度室。そこのドアをノックして開けると、一瞬、ビクッと小動物のように体を震わせ、そして相手があたしだとわかった途端、ぱっと太陽みたいに明るい表情になって彼女――アリエルはあたしの所に走り寄ってくる。
「お、お嬢様! こんなに朝早くからお嬢様に会えるなんて、感激です……! 」
恍惚とした表情でそう言うアリエル。今からあたしが伝えようとしていることはそんなアリエルの表情を一瞬で曇らせることが分かっていたから、そのことを想像してあたしはつい、心が痛む。でも、伝えなくちゃ。これは、きっとアリエルには直接伝えた方がいいから。
そう意を決して、あたしはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「アリエル、落ち着いて聞いて欲しいんだけど……今からあたし、1週間お屋敷を空けるわね」
あたしがそう告げた途端。アリエルの目が明らかに潤む。
「ぼ、ぼく、なんかお嬢様に気に障ることしちゃいましたか……? 」
今にも涙が零れそうな表情で尋ねてくるアリエル。恋愛対象では間違ってもないけど、それでも今のあたしにとっての大切な人にこんな表情はさせたくなかった。でも、1週間も屋敷を開けるのにアリエルに別れの言葉を告げずに出かける方が不義理だから、となんとか自分のことを納得させつつ、あたしはアリエルの頭を優しく抱擁し、撫でつける。
「そんなことないわよ。アリエルはすっごくよくやってくれている。アリエルのお陰であたし、すっごく助かってる。でも、今回のはそう言うのじゃないの。毎年辺境伯として、どうしても行って、やらなくちゃいけない公務があって」
あたしの言葉にアリエルはまだ不安げに檸檬色の瞳を揺らしながらも、目元に溜まった涙を拭いながら顔を上げる。
「そ、それじゃ仕方ないですよね。……わかりました、お屋敷のことは任せてください! 」
そう言って胸を張ってみせるアリエル。こんな不安になる「任せてください」なんて初めて聞いた。そんなアリエルを見ると、全てを投げ出してアリエルの傍にいたくなるけど、その衝動をあたしはぐっと押さえつける。
――ここで一時の感情に流されちゃダメ。このことは力を持たない領主としてやらざるを得ないことなんだから。それに、ここで屋敷に留まることは、こんなに弱弱しいアリエルをまた苦しい目に遭わせることにもなるんだから。
そう自分を納得させて、あたしも無理に笑顔を作って言う。
「お願いするわね」
それから。やってきた使者の下に向かおうとするとソラが廊下の壁に寄りかかりながら、あたしのことを待っていた。
「アリエルには、これから1週間のことについて伝えてこれましたか? 」
「一応ね。まあ詳細については伝えなかったけれど。詳細な内容を知ったらアリエルのことだもの、きっと自分が壊れるのも顧みずに無茶させちゃうから。そんなのは、あたしが望む結末じゃない」
本当は自信を持っていうつもりだった科白。なのに、どこか最後の方は自信なさそうにトーンが落ちちゃ。でも、ソラはそのことに気付きながらも触れないでくれた。
「そうですよね。アリエルに詮索されすぎないように、何も知らないアリエルには当日の朝に出かけることを告げることを選んだんですから
でも……本当にすみません。ボクが中途半端な力しか持たないせいで、あんな奴に頼らざるを得ないなんて」
そう言ってソラは怒りで拳を震わせる。そんなソラの右手をあたしは落ち着かせようと両手で包み込む。
「別にそんなことを期待してソラにあたしの側近執事になってもらったわけじゃないよ。それは、本気を出せば今の状況を覆してくれちゃうかもしれないアリエルだってそう。領地を守ることは貴族の使命で、魔法が使えなくて自分で領地を守れない貴族は他の手段で領地を守るしかない。これは、ランベンドルト家に生まれて、ランベンドルト辺境伯になって、それでいて魔法に恵まれなかったあたしがやらなくちゃいけなことなんだよ。だから、それ以上気にしないで」
「でも……」
なおも言い寄ろうとするソラの口にあたしは人差し指を添えて無理矢理黙らせる。するとソラの頬にほんのりと赤みがさす。
「ソラは優しいね。でも、もう十何年も繰り返していることなのよ? いい加減慣れてるって。だから、そんな心配しないで」
嘘だ。あんなに苦しくて、あんなに屈辱を味あわされる1週間に慣れるなんて、その時は人間としての感覚を失った時だとすら思える。でも、そんな本心はおくびにも出さない。だって、少しでもそんな素振りを見せたら、優しすぎるソラは手段を択ばずにあたしを助けようとしちゃうから。そんなことをしてしまったら最後、軍事力をほとんど持たないランベンドルト辺境伯領は……終わり。
そんなあたしのことをソラはまだ心配そうに見てくれるけれど、毎年と同じように、そこで引いてくれた。
「じゃ、あたしはそろそろ行くわね。お屋敷のことと、あとアリエルのことをよろしくね。アリエルったら、あたしがいないとどうなるかわかったもんじゃないから。期待してるよ、
「……はい」
「ミレーヌ嬢、そろそろ馬車に乗っていただかないと」
痺れを切らした使者からそう言われちゃう。そろそろ本当にタイムリミットみたい。あたしは使者の言葉に小さくうなずき、これからの地獄の1週間への第一歩を踏み出した。
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