第23話 衝突Ⅷ 仲直り②

 お嬢様が夜遅くまで仕事していたら、そのすぐ側でお嬢様を支える執事も当然、夜遅くまで働いていることが多い。その日もソラ先輩は夜遅くまで起きて何かの作業をしていた。その時のソラ先輩の風貌は女の子らしさなどどこにもない、いかにもデキる美少年執事と言った雰囲気でちょっと安心する。


 そんなソラ先輩に夜食という体で作ったミートボールを持っていくと、ソラ先輩は明らかに困惑したようだった。


「なんか気を遣わせちゃった? 」


 ソラ先輩にそう言われてぼくの中の決意が少し揺らぐ。でも、こんなところで折れちゃダメだ。そう決意を新たにして、ぼくはソラ先輩のことをまっすぐ見つめる。


「いえ……昼間はソラ先輩のこと、女の子として見て、勝手に怖がっちゃってすみませんでした! 」


 い、言えた……!


「種類は違うとは言え、ぼくだって自分が女の子っぽいのが嫌になって、先輩に似た悩みを抱いていたのに、生理的にソラ先輩に対して怯えちゃって」


「別にそれは気にしてないって。むしろボクの方が」


「良くないです! 」


 割り込んだぼくの勢いにソラ先輩は口を噤む。


「仕方ないとかそういう言葉で片付けるのはぼくが嫌なんです。ぼくは、ソラ先輩がどんな姿であれソラ先輩と互いに一番近いところで寄り添え合える関係になりたいんです」


 そこでぼくはソラ先輩の同意を得ずに自分の指をソラ先輩の指に絡ませる。ソラ先輩の男の子にしては妙に長いまつ毛に一瞬だけ体が強張るけど、その気持ちを全力で押さえ込む。ソラ先輩はぼくのことを怪訝そうに見つめこそすれ、ぼくに手を出す素振りなんてどこにもなかった。


 思い返すまでもなく、最初からそうだった。ソラ先輩はぼくやお嬢様のことを最初から思ってくれていて、ぼくを害する意図なんて微塵もなかった。むしろ、ぼくが女性恐怖症を克服することをいつもそばで応援してくれていた。


 その考えに至った瞬間。これまで心の中にあった真っ黒な姿の『怖いソラ先輩』が段々と崩れ落ちていく。うん、今のぼくなら大丈夫。


「この家庭料理はぼくがソラ先輩とこういう関係になりたいっていう決意の表れです」


 勢いよくそう言ったぼくの顔を、ソラ先輩は驚いたような表情でしばらく見つめていた。それから料理に視線を落として


「誰かがボクのためだけに作ってくれた料理、か。そんなの、めちゃくちゃ久しぶりだな。ボクは幼い頃に両親から嫌われちゃったから」


と独り言のように呟く。そんな憂い気なソラ先輩を見てるとぼくの額に冷や汗が滲む。家庭料理、それはソラ先輩がかつて失ったものを無理矢理思い出させる物で、むしろ仲直りには逆効果だった? そう心配したけど、次にソラ先輩が口にした言葉はぼくの懸念とは全く違った。


「ボク、最初は君のことが嫌いだったんだ」


「えっ? 」


 いきなりの仲直り無理ゲー発言? ちょ、ちょっとそれは凹む……。でも、ことはそんな単純じゃなかった。


「アリエルは新しい『君』をくれたご主人様のことを好きになったよね。だからこそボクの気持ちもわかってもらえると思うけど……新しい自分をくれた相手に恋心を抱いちゃったのは君だけじゃない。ご主人様に拾われた時、ボクも君と全く同じようにご主人様を好きになってしまったんだ」


「……」


 考えてみればごく当たり前の感情。なのに、ぼくはその可能性を言われるまで全く考えてなかった。


「でも、男装執事のそんな初恋に対して、世界はあまりにも惨すぎた。ボクの初恋はボクがその気持ちを自覚したその時から、成就しないことが約束されてた。なぜなら、ご主人様が好きな人はその時点でいたんだ。それが魔法騎士だったアリエル様――他ならない昔の君だよ。君に恋に落ちたから、お嬢様はボクのことを助けてくれた。アリエル様に振り向いて欲しくて、アリエル様に少しでも近づきたくて、ご主人様はボクに最大限優しくしてくれた。ボクが恋に落ちたミレーヌ様はかつての君が創ったんだ。そんな相手にボクはどんな感情を抱けばいいと思う? 嫉妬すればいいのか、感謝すればいいのか。君のことを知ったその日から、ボクの心の中はぐちゃぐちゃになった」


 そう言うソラ先輩は自分を嘲るかのような表情を浮かべていた。


「ミレーヌ様そば付の執事見習いになって暫くの間、ボクはこの気持ちをどうするか悩んだ。無理にお嬢様に迫ろうとする情動にかられたのも一度や二度じゃない。でもそのたびに、無理やりボクのことを好きにさせてもどこかお嬢様が虚しい表情をするのが頭に浮かんじゃってダメだった。


 結局、ボクはご主人様に対する自分の恋慕を自分の中にしまい込んで、一生誰にも明かすことなく墓場まで持っていくことを決めた。大好きな人を苦しませてまで大好きな人をボクのものにするのは、ボクの求める愛の形じゃない。たとえ隣にいるのがボクじゃなくっても、好きな人に心から幸せになってほしい、それが、ボクの一番の望みだった」


「君がなぜかランベンドルト辺境伯領に迷い込んだ時。ボクはようやくお嬢様の健気な努力が報われる時が来るんだ、って自分のことのように喜んだ。ボクは君を見つけ出すのに全力を尽くしたし、君がここに来てくれたことを心から歓迎するつもりだった。君がご主人様と一緒になってくれるのが、ボクの初恋相手が一番幸せになれる唯一の方法だと信じてたから。でもあろうことか、変わり果てた君はボクの最愛の人を絶望に追い込んだ」


 そこできつくぼくを睨んでくるソラ先輩。そんなソラ先輩に口答えする気なんて起きなかった。だってそれは、怒られて当然のことだろうから。


「それでも、ご主人様は変わり果てた君の面倒を見ると決めたから、ボクはそれに従った。ご主人様がボクにしてくれたようなことをご主人様は君にしようとしたからボクはご主人様が求めるように君のいろんな意味での『先輩』として振る舞った。


 言うまでもなくボクにとって君は複雑な存在だった。『女の子でいられない』という似た物同士だから同情はするよ。でも、それ以上に君はボクにとって、決して勝つことのできない絶対的な恋敵で、これまではボクだけだった『新しい自分』をご主人様からもらって、ボクのご主人様からもらった数少ない『唯一』を無自覚に奪い去っていった後輩。そんな君に少なからず嫉妬や憎しみを抱かない方がどうかしてる。でもボクはその感情をおくびにも出さないように君の前では優しい先輩を精一杯演じた。悲しいかな、それがボクにとって世界で一番好きな相手から求められるボクだったんだから」


「……」


「でも、一度だけ本心が露わになっちゃったことがあったね。覚えてる? 舞踏会の少し前、君がはじめて、ご主人様のことを好きだと告白してくれた時のこと。あの時、本気でふざけるなって思ちゃった。でもあの時、ボクは純粋にご主人様のことを思って言ったわけじゃない。ご主人様にとっての絶対的存在だった君に負け続けてきた負けヒロインとして、また君にのうのうとご主人様が取られるのが許せなかったんだ」


 そう言われるとまざまざとソラ先輩に起こられた時のことが心に浮かんでくる。あの時、ぼくは純粋にお嬢様の気持ちを踏みにじったから怒られたんだと思っていた。でも、あの時誰よりもソラ先輩の気持ちを踏みにじっちゃってたんだ……。 


「まあ、あの時はらしくもなく感情的になっちゃったな、って後で自分で反省していたんだけど……その後、ご主人様は今の君に好きにさせてもらうことを選んだ。だとしたら、ボクとしてはその間に割って入ることなんてもうできない。そんなんでお嬢様に振り向いてもらっても、そんなんじゃボクの好きになった人は本当に幸せにはなれないから。でも、アリエルの近くにいて、本音を漏らして2人の恋路を邪魔しちゃうのが怖いとは思うようになっていった。邪魔をしないように、アリエルとは距離を取らないとな、とは思ってたんだ。そこで起きたのが昨日の路地裏での襲撃だった」


 自嘲するような笑みを浮かべて言うソラ先輩。


「昨日のはもちろん偶然だったんだけど、その時にボクの女の子らしさをアリエルに見られて、距離を取られて、むしろ好都合じゃないかなとも思ったんだ。これで互いに距離をとれるようになったら、お互いに傷つけずに済む。そして、ボクが関与しないところでお嬢様と君は幸せになれる、って。


でも、君はどんなに振り払おうとしてもボクに近づこうとしてくる。悔しいけどその優しさが、ご主人様が君を好きになった理由なんだろうね。そう思うと、距離を取ろうとする自分が馬鹿馬鹿しくなっちゃった。今でもご主人様が好きになった君は姿形を変えてちゃんといるんだ、ってそう思っちゃった。そんなことに気づいたら、幾度となく諦めた『初恋相手を幸せにする』って願いを、もう一度君に託したくなっちゃった」


 そこでソラ先輩は深く深呼吸して、ぼくのことをまっすぐ見つめてくる。


「だから、今でも正直君のことは大っ嫌いだよ。でも、君にはご主人様と幸せになる義務がある。それは、君にしかできないこと。だから、ボクはボクの大好きな人のために君の恋路を全力で応援する。まことに不本意ではあるけどね」


「ソラ先輩……! 」


 ぼくが感激の目でソラ先輩を見ると、ソラ先輩はくすぐったそうな仕草をする。


「だから、いつまでもボクのことでウジウジするのはもうおしまい! そんなことする暇があったらご主人様に甘い言葉の1つや2つかけて今すぐご主人様のことをおとしてこい、っつーの。もしご主人様にまたフラれたり失望させたりしたなら、ボクが絶対許さないんだから! 」


 その日。ちょっと歪だけど、ぼくとソラ先輩はようやく分かり合えた気がした。

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