第13話 遭遇Ⅱ あたしにとってのアリエルちゃん

「神託がくだされました。チェリー様及びベリー様、どうか第63代目の勇者様として、力無き我々をお導きください」


 あたし、チェリーが思い出せる一番昔の記憶は生まれ年で3歳になってはじめてのミサでそう宣言された時のこと。この日を境に、それまでなんの代り映えの無い女の子だったあたしと幼馴染のベリーは揃って『勇者』として国のために戦い続けることを運命付けられた。


 勇者に選ばれる前のあたしがどんな子だったのか。それはその後の大量の苦しくて辛い記憶があたしの小さな脳みそを上書きしすぎて、もう覚えてない。覚えているのはその後のことばかり。勇者に選ばれた次の日から、剣士としての適性が高かったベリーは自分の体重と同じくらいの剣を、魔法師としての適性が高かったあたしは自分の身長よりも高い杖を持たされて、魔族との戦いの前線に立たされたこととか。


 勇者として選ばれたあたし達に戦い方や魔法の使い方を教えてくれる人なんて誰もいなかった。勇者パーティーのメンバーとして王国最強クラスの騎士や魔術師が数人、あたし達のすぐ近くにいてくれたけれど、彼らが何かを教えてくれるなんてことは殆どなかった。OJTと言うと聞こえはいいけれど、戦いの中で戦闘技能を勝手に身に付けないと死が待っているだけという死と隣り合わせの状況で、最初はあたしもベリーも何度も死にかけた。それでもなんとか自分なりの戦い方を見つけ出して、5歳の誕生日を迎えるころにはあたし達2人は他のパーティーメンバーを遥かに凌ぐ戦闘能力を有するに至っていた。そして、思えばその時にはもう、あたし達は女の子として死んじゃっていたのかもしれない。



『勇者として選ばれたんだから、国や民のために戦うのなんて当たり前』


『あたし達が人類最強なんだから、あたし達がみんなを守ってあげなくちゃいけない』


『友達だとか恋人だとか、お洒落だとか美味しいものだとか、そんな個人的な欲は勇者には不要なもの』



 勇者になって以来、『大人』から言われ続けてきた言葉をあたし達は疑うことすらなく鵜呑みにするようになっていた。あたしからはどんどん人間らしい感覚や感性が失われていき、別段それが哀しいことだとも思わなかった。そしてそれと反比例するかのようにあたしとベリーの勇者としての力はどんどん強まって、いつしか他の人とあたし達2人の間には越えられない戦闘能力の溝が生まれていた。


 そんな風に他の人と乖離していくことも、あたしは別段気にすることなんてなかった。王国の民ががあたし達が強くなることを喜んでくれる、あたし達が強くなることでみんなが安心してくれる。たとえあたし達のことを王国の誰もが『女の子』として見てくれなくなったとしても、そっちの方が『勇者』として正しいんだ、そう信じて疑わなかった。


 だから、いつしか勇者パーティーの他のメンバーのことも仲間だと意識することはなくなっていた。勇者パーティーに選ばれるメンバーは勇者以外の人としては確かに王国随一の実力を持つ人ばかり。でも、所詮は勇者に選ばれなかった人間に過ぎず、あたしとベリーの足元にも及ばない。そんな彼らと自分達の間にどこか溝を感じ、それが当たり前だと感じていた。だから、ころころ勇者パーティーのメンバーが入れ替わることにも、何か感情を動かされることなんてなかった。


 そんなあたしが変わったのはアリエルちゃんと出会ってのことだった。


「わたしはあなた達の仲間になりたいし、友達になりたい」


 そう言いきったアリエルちゃんの第一印象は「たまにいるタイプの新人だな」くらいのものだった。大抵の勇者パーティーに入ってくる新人はあたしとベリーに対して過剰すぎるくらい畏敬の念を払うんだけど、ごくたまに異常に距離感を詰めてこようとする人がいる。それは勇者の仲間になったことの緊張を隠すための虚勢だったり、実力の差を認識していないが故の浅はかなフレンドリーさ。そしてそのどっちも、勇者パーティーとしてあたし達と一緒に戦って実力の差を目の当たりにするにつれ、そのフレンドリーさはなりを潜めてあたし達から距離を置くようになる。アリエルちゃんもきっとそうなるんだろうな、とさして残念に思うこともなくそう考えていた。


 でもアリエルちゃんは違った。勇者でも、それどころか戦うことが身分的に運命づけられている貴族でもないにもかかわらず、アリエルちゃんの剣技は王国最強剣士のベリーに肉薄し、アリエルちゃんの魔法の実力は王国最強魔術師であるあたしと遜色ないものだった。そんな、ベリーとあたしですら束にならないと勝てないであろう、勇者よりも化け者じみているアリエルちゃんの態度によってはあたしはその実力に嫉妬しちゃったり、不安を感じちゃったり、コンプレックスを感じちゃったんだろうな。


 ただ、結論を先取りして言うとそんなことは一切なかった。アリエルちゃんは自分の力を鼻にかけることなんかなくって、「2人の足を引っ張ることなくてよかった! 」と太陽のような眩しい笑顔を見せてくれるだけ。


「これでわたし、2人の『対等』、になれるかな」


 アリエルちゃんにそう言われて、あたしは勇者に選ばれたあの日以来、はじめて誰かの前で『勇者』でいなくていいと言われたような気がした。『勇者』以外に対等に接してくれる同年代の女の子に出会えた気がした。そして今から思うと、そう感じた時にはもうあたしは、彼女への恋に溺れていたのかもしれない。


 気付いた時にはあたしの目はいつもアリエルちゃんを追うようになっていった。アリエルちゃんの笑顔を見る度に無性に嬉しくなる。アリエルちゃんの前では他の誰よりもかわいいあたしでいたくなる。アリエルちゃんが他の勇者パーティーメンバーと話していると、少しだけもやもやする。気づいたらこれまで勇者としての使命のことしか考えていなかったあたしの頭の中は、アリエルちゃん色に染まっていた。そして、これまで忘れていた女の子っぽい仕草や嗜好を意識するようになっていった。


 ――これまでは何で戦い続けているのかわからなくって、人として死んだように無感情で戦い続けていたけれど、今は違う。いつまでもアリエルちゃんと一緒にいるために、あたしは戦い続けるんだ。


 自分の勇者としての生きる意味についてもそんなことを思うようになっていた。



 だから、アリエルちゃんが勇者パーティーから失踪したと聞いた時、あたしは迷うことなく勇者パーティーを抜け出した。いつからか『勇者』としての天命なんかどうでもよくなって、あたしが勇者を続ける意味は最愛のアリエルちゃんと一緒にいることになっていた。だから、アリエルちゃんが勇者パーティそこにいないのなら、あたしが勇者を続ける意味なんてどこにもなかった。


 でも、そんな風に自分のことを『勇者』だと思い続けてきたのはある意味間違いで、驕り以外の何物でもなかったのかもしれない。


 勢いで勇者パーティーを抜け出して、1人になってみると、あたしは強くもなんともなかった。漆黒七雲客には1人では手も足も出なかった。なのにアリエルちゃんと違って『勇者』としての役目を自分から放棄して逃げ出した、中途半端もの。


 ――こんな今のあたしをみたら、アリエルちゃんはどう思うんだろ。きっと失望するよね。


 あはははは、と自嘲が口から洩れる。まあでも、別にいっか、とも感じちゃう。


 もうあたしの命は長くない。今、こんな風に色んなことを思い出しちゃってるのはきっと死ぬ前の走馬灯ってやつ。だとしたら、こんなにみっともない姿を最愛の人に見せなかっただけ行幸だとも思えてくる。


 川の向こうで白い天使が手招きしているのが見える。この川を渡ったら、きっとあたしは楽になれる。そう確信して川に入水しようとした時。


 誰かがあたしの右手を引っ張ってくる。振り向くと、そこには見覚えのないポニーテールの女の子がいて……。


「そんなに簡単に、好きな人から逃げるな」


次の瞬間、頬に鋭い痛みが走って――あたしの意識はそこで、現実世界に無理やり引き戻される。

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