第7話 邂逅Ⅳ 辺境伯のヘアサロン

今回、◇◆◇◆◇◆◇を境にアリエル→ミレーヌに視点が入れ替わります。

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 なんというか、ものすごく気まずい……。


 あれから十分後。お嬢様を寝室に送り届けるだけだったはずのぼくはなぜか、鏡台の前に座らされ、お嬢様に髪を弄ばれていた。お嬢様だって女の子なはずなのに、女の子に身体を触れられていることに対しての恐怖心はなぜだか湧いてこなくて、主人であるミレーヌ様に髪を切ってもらっているシチュエーションが、ただただ気まずかった。


「そんな固くならないでいいのに。あたし、昔から可愛いものをもっと可愛くするのが好きでね。小さい頃はソラのことを着せ替え人形みたいにいろいろ着せてたのよ」


 その話にちょっと納得しちゃう。ソラ先輩は中性的な魅力がある美人さんから今の男装も完璧に着こなせるけど、女の子らしい恰好をしたらそれはそれで似合うんだろうな。まぁ、そんなことをされるとソラ先輩とぼくはまともに話せなくなっちゃうんだけど。


「だから、今も可愛いアリエルの髪をいじるのだって好きでやってることなのよ? 」


 可愛い。その形容詞は「女の子でなくなりたい」今のぼくにとって複雑。それに――。


「べ、別にぼくは可愛くなんてないですよ」


 伏し目がちになってそう漏らすぼくに、お嬢様は一瞬だけはっとした表情を見せて、逡巡する。でも結局、ぼくの緑色の髪の毛をほっそりした指で梳きながら言う。


「そっか。でも、あたしは好きよ、あなたの檸檬色の瞳も、若竹色の髪も。こんなに綺麗な若竹色の髪を切っちゃうなんて、ちょっぴり勿体ないって躊躇しちゃっているくらい。でも、このまんまじゃ先に進めないもんね、アリエルも、あたしも」


「? 」


 その言葉が何を意味していたのかぼくにはイマイチわからなかったけれど、お嬢様はそれ以上は語らなかった。



 それから更に数十分ほど経ってから。


「できたよ」


 お嬢様の言葉にぼくが鏡を見つめると、そこにはもう見慣れた、若竹色の髪をショートカットにした男の子っぽいぼくがいた。でも明らかにさっきまでとは違う。髪に手をやって引っ張ってみるとちゃんと痛い。鬘じゃなくて、ちゃんとした自分の髪。

 髪型は鬘でこれまでしていたものだから外観が何か変わったわけじゃない。でも、長い髪じゃなくなったというその事実だけで、ぼくの胸につかえていたものが消えたような気がした。


 嬉しくなって翻って自分の姿を鏡に映してみると、そんなぼくを見ていたお嬢様が口元に手を添えて笑う。


「気に入ってくれたみたいで良かった。――すっごく似合ってるよ」


 お嬢様にそんなことを言われてぼくの頬はなぜだか熱を帯びる。


 ――あれ、ぼく、お嬢様に褒められてなんでこんなに喜んでるんだろう。


 この感情がなんと名付けられる類のものなのか、今のぼくはまだ知らない。



◇◆◇◆◇◆◇



 その日、厨房で騎士様――アリエルを見かけたのは偶然だった。


 アリエルを執事にしてから1週間。あたしはアリエルを意図的に避けていた。その理由は表向きはアリエルはあたしさえ怖がる女性恐怖症だから、と言うものだったけれど、本音は違う。自分で提案しておきながら自分の憧れだった騎士様が使用人に落ちぶれるところなんて見たくなくて、彼女を使用人にしたことの決意がぶれてしまいそうで怖かったから、あたしからあの子を避けていた。


 そして1週間以上ぶりに再会した彼女を見た瞬間、あたしはやっぱり彼女の容姿を綺麗だと思っちゃった。その時のアリエルはあたしがよく知っている鮮やかな若竹色の髪を腰まで伸ばした銀色の甲冑を身に纏った騎士姿じゃもちろんない。髪は鬘を被ってショートカットにして燕尾服に身を包んだ男装女子。そんな彼女のことも、あたしは一瞬だけアリだな、と思っちゃった。あくまでアリなだけで、本当は女の子らしさを隠さないアリエルの方が好きだけど、初恋の魔力ってやっぱり怖い。


 それから暫くは初恋相手の手料理を食べられるとか言う神シチュエーションとかに度々我を忘れちゃった。けれど、やっぱり今のアリエルと同じ時間を過ごしていると、あたしが恋に落ちた騎士様との乖離は意識せざるを得なかった。


 いつでも明るくて怯えることを知らないアリエル様はもういなかった。いつもどこか怯えていて、瞳に影があって、自分にコンプレックスを感じている。そんな彼女から前の彼女に戻って欲しい、そんな感情が押さえつけても押さえつけても、どうしても頭をもたげてくる。


 だからアリエルの髪をあたしが切ることを提案したのだって、アリエルのためと言う以上に、自分の中でけじめをつけるためだった。お洒落が好きで使用人の散髪だってしばしばあたしがやってることは事実だけど、今回ばかりは違う。髪を切るという、そう簡単には戻らない不可逆的な行いによって他ならないあたし自身の『騎士様への初恋』を断ち切りたかった、それが本音だった。


 そう決心しても、切る直前まで自分の中の天使と悪魔が葛藤を続けていた。


『あなたの初恋をここで諦めていいの? これ以上自分一人で苦しんで、『好きだった人』をみすみす殺す必要なんてないじゃない』


 悪魔が甘く囁く。そんな悪魔の囁きに天使は猛烈に反発する。


『そんなのダメよ。好きな人にはどんな形であれ幸せになってもらった方がいいに決まってる。あなたの我が儘でその人の人生を縛るなんて、そんなの本当に好きな人に対してすることじゃない』


 結局、あたしの背中を最後に押したのはあたしの中の天使の方だった。




 一通りミスなく切り終った後。新しい髪形を少し恥ずかしがりながらも無邪気に喜んで見せるアリエルを見て湧いてきた感情は『微笑ましさ』だった。そんな可憐なアリエルを見れただけで十分髪を切ってあげた価値はあったと思う。でも、それはあたしがアリエルに抱きたかった感情とは違った。あたしが見たいアリエルは可愛くも強くて美しい騎士様だった。そんなアリエル様は、あたしの初恋の相手は、名実ともにもう世界にはいない。アリエルの無邪気な笑みを見ると、その事実を突きつけられるように感じちゃった。


 それでも、そんなあたしの胸の内をアリエルに悟られるわけになんていかない。そんなことをしたら、きっと今のアリエルは凄く気にする。そんなの、何のために苦しい思いをして決断したのかわからなくなる。


 だからあたしは無理に笑って


「気に入ってくれたみたいで良かった。―――すっごく似合ってるよ」


と、思ってもいない言葉を絞り出した。この時、あたしはうまく笑えていたかな。アリエルに何も悟られていないといいな。




 アリエルを帰した後。あたしはすぐに寝室に帰る気になれなくてアリエルの髪が散らばったままの部屋に呆然と立ち尽くしていた。


 ――女騎士様じゃなくなったアリエルと一緒にいるってことは、今日みたいな喪失感をこれからも何度も抱くことになるのかな。


 そんなことを思いながら不意にしゃがみ込んで床に散らばったアリエルの髪の毛の中でも一番長いものをつまんでみる。アリエルの髪の毛はシャンデリアの光を反射してエメラルドグリーンの輝きを放つ。


 ――人の髪の毛をとるなんて気持ち悪いかな。でも、こんなに頑張って、苦しんでるだもん、ちょっとぐらい許してよ。


 そう誰に言うともない弁解をしてからあたしはその髪の毛を織り込んだティッシュに慎重に包み込み、両手でぎゅっと握りしめた。そうすることで、今はいないアリエル様からこれからも「アリエル」のために進み続ける力をもらえる気がしたから。

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