第6話 邂逅Ⅲ 主従を繋ぐ夜のオムレツ

 ぼくがランベンドルト邸で執事として働き始めてから今日で1週間ほど。それだけ経つ頃には、ぼくはお屋敷での仕事にも、新しい『ぼく』にもだいぶ慣れてきた。


 執事、と言ってもぼくの場合は女性使用人と一緒に働くどころかご主人様であるミレーヌお嬢様に直接仕えることすら女性恐怖症の影響で難しいから、ぼくに任される仕事はお掃除や厨房のお手伝いなど雑用が多かった。それでも、一緒に働く男の人はぼくがここに来た経緯など気にせずに優しくしてくれて、いつの間にか安心できるところになっていた。


 気がかりなことと言えば一つだけ……朝と夜、自室に戻って男装を解く時だけはどうしても、「自分が女の子であること」を意識せざるを得ないこと。それを意識したところで最初の頃みたいに卒倒することは流石になくなったけれど、鬘を外して自分の長い緑髪を見る度に少しだけ胸が苦しくなる。そのことを、日中はあまり考えないようにしていた。あんまり早く仕事を終えて一人きりになると自分が女の子であることに向き合わざるを得ない、それがイヤで、ぼくは割り当てられた仕事が終わってもなるべく長く同僚の男性と一緒に過ごすことが当たり前になっていた。


 その日は別に頼まれてもいないのに厨房で新メニューの開発を夜遅くまで手伝っていた。


「アリエル君はやっぱり俺達にはない発想を持ってるね。今日考案してくれた新しい夜食、きっとミレーヌお嬢様も喜ばれると思うよ」


 満足げに微笑みながら料理長が言う。


「そんな大袈裟ですよ。あくまで実家でよく作っていたものを作ってみただけで。――ミレーヌ様ってこんな時間までお仕事なさってるんですか? 」


「うん。先代が亡くなって辺境伯の公務を継いで以来、ランベンドルト家はミレーヌ様1人になってしまわれた。ミレーヌ様は貴族だったら受けているはずの魔法の祝福をほとんど受けていない上にミレーヌ様はまだ非常にお若い。そんな状態だから他の領主に比べてはるかにミレーヌ様にかかる負担は大きく、夜遅くまで執務なさってることも多い。そんなミレーヌ様に我々ができることは夜食をお作りすることくらいだけど……」


 料理長が少し寂しそうにそう言ったとき。


「お腹減ったぁ。なんか食べ物ちょうだーい」


 厨房になだれ込むように入ってきたミレーヌ様とぼくの目が合った瞬間、ぼくの背筋に悪寒が走る。


「騎士様……じゃない、アリエルもいたんだ。ごめんね、ノックもせずに入ってきちゃって」


 そう言って踵を返そうとするミレーヌ様を見てぼくはほっと胸をなでおろす……ことなんてなかった。


 ――ご主人様に、ぼくを助けてくれた人に対して今もこうして気を遣わせてばっかりで、本当にぼくって情けない。


 その後味の悪さが恐怖心を勝って、気づいたらぼくは口を開いていた。


「お、お嬢様。ぼくは大丈夫です。ですから……もし良かったら一口どうですか? 厨房の皆さんとお夜食の試作をしてたんです」


 試作していたキノコのクリームソースのかかったプレーンオムレツが載ったお皿をお嬢様に差し出すぼく。それでもやっぱり女の子と向かい合うのは怖くてお皿を持つ手は微かに震えちゃってる。


 そんなぼくを見てお嬢様の視線は逡巡で揺れる。でも迷った挙句。


「それなら頂こうかな」


とぼくのお皿を受け取ってくれた。


「騎士さ……じゃない、アリエルの手作り? 」


 ぼくからちょっと距離を取ってからお嬢様が聞いてくる。


「い、一応そうですね」


「アリエルの手料理、か。アリエルはお料理もできたんだね」


 そう言って意味ありげに顔を綻ばせるお嬢様。な、なにを思われてるんだろ。ちょっと不安になっちゃう。そんなぼくの心の中の動きを知ってか知らずか、お嬢様はオムレツを一すくいして……。


 その瞬間、お嬢様の目元から一筋の涙が零れる。


「そ、そんなに不味かったですか? なら、これ以上無理に食べなくても」


「ち、違うの! 疲れ切った身体に染み渡るような優しい味で、あのアリエルがあたしのために作ってくれたんだと思うと嬉しすぎて、つい泣いちゃったの。だから、最後まで食べさせて」


 小指で涙を拭いながら言うお嬢様。それからお嬢様は時々涙を流しながらも口元は微笑みながら、最後までぼくの手料理を食べてくれた。



 お嬢様が食べ終わって、少し落ち着いてから。


「アリエル。あたし、もう寝るつもりなんだけど……もしアリエルさえよければ、寝室までエスコートしてくれない? 」


 お嬢様がそんなことを言ってきた。その視線は、らしくもなく不安なのか揺れている。


 たぶん数時間前までのぼくだったらお嬢様と2人きりになるなんて考えただけで卒倒していたと思う。でも、いまのぼくは卒倒どころか、お嬢様からのお願いを即答で拒絶する気にはなれなかった。少しだけ迷ってから結局、


「ぼくはお嬢様の執事ですよ。お嬢様に頼まれたら断れませんって」


とぎこちなく笑いながら答えた。




「もう執事としての仕事は慣れた? 」


 2人で連れ立って歩きながら、お嬢様はそんなことを聞いて来る。


「はい」


「そっか。アリエルが来たことで色々な仕事で助かってるって、ソラをはじめとする多くの人から聞いてるよ。アリエルって案外、家庭的だったんだね」


「それ、ソラ先輩にも近いこと言われましたよ」


 そう思うと自然と笑みが零れちゃう。


「最近、なんか困ってることとかない? 」


 あくまで自然な調子で聞いて来るお嬢様。その時、お嬢様はぼくの悩みを聞くためにわざわざ2人きりになったんだということに気付いた。


「困ってること……」


 そう言われてつい、髪に手が伸びてしまう。自分の容姿に対するコンプレックスがまだ完全に抜けきっていないこと、1人でいるとつい、そのことを意識しなおしてしまうこと。今一番困ってることと言ったら多分、それになる。でも、それをお嬢様に相談してなんになるの? そう思いなおしてぼくは喉から出かけた言葉を無理やり飲み込んで、無理に笑顔を作る。


「べつに。困ってることなんてありませんよ」


「……噓だよね」


 ぼくの方を振り返ってお嬢様が言ってくる。そしてぼくの鬘を撫でようとしてきて、その手にビクッと、ぼくの体が震えると、お嬢様は慌てて


「ご、ごめん。あたしに身体を触られるのイヤだよね……」


と謝ってくる。


 女の子に身体を触られる。確かに考えただけでぞっとすることだけど……今のお嬢様に触れられた時の感覚はその恐怖とはほんの少しだけ違った気がした。


「い、いえ。お嬢様以外の女の人ならともかく、今のは……少しびっくりしちゃっただけで」


「そう……そんなに長い髪の毛がアリエルのことを苦しめるなら、いっそのことばっさり短くしてみない? 」


「えっ? 」


 お嬢様の言葉にぼくは目を丸くする。これまで気づかなかったけれど、ぼくの男装は別に可逆的にしなくちゃいけないものじゃない。だから、無理に鬘で髪を短く見せる必要なんてなくて、ばっさり切っちゃえばよかったんだ。そしてそれで、我ながら単純だと思うけどだいぶぼくの心は軽くなる。


「そっか、そうですね。……明日、ソラ先輩に髪を切ってもらえないか聞いてみ」


「今、あたしが切るじゃダメ? 」


「はい? 」


 またお嬢様の言っていることがすぐには飲み込めなかった。でもお嬢様はいたずらっぽい笑みを湛えたまま、もう一度言う。


「もしアリエルさえよければ、アリエルの髪型はあたしに任せてくれないかな? こう見えても髪の毛をいじるの、結構得意なんだよ」


________________________

 いつもお読みいただきありがとうございます。カクヨムに本格的に連載することはこれが初めてなので、PV数がお陰様で200を超えることができたり、20人以上の方にフォローして頂いたりと、いろいろな「はじめて」に嬉しく思わせていただいています。これからも読んでいただける作品にしていけるよう頑張ります。

 

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