第5話 邂逅Ⅱ 新人執事の一日目
次の日からランべンドルト辺境伯の執事としてのわたしの……否、ぼくの生活が始まった。
初日の朝。まずぼくは使用人の服が並んだ更衣室らしいところにソラと2人きりでいた。
「まずは改めて自己紹介、だね。ボクはご主人様にあなたの教育係を任されたソラ。これまでのあなたは辺境伯の客人だったけど、今日からのあなたはボクの後輩だから、タメ口で行かせてもらうよ」
ぼくが小さく頷いたのを確認するとソラさん――ソラ先輩は話を続ける。
「ボクが君の教育係に抜擢された理由は2つ。まず1つ目は幼い頃に今のご主人に拾ってもらって以来、ずっとご主人様の側で支えてきた実積。そしてもう一つは――ボクも君と同じように、とある理由で男装してるだけで生物学的には女の子だから」
「そうだったんですね……って、えええ! 」
数秒間のタイムラグがあってからぼくは大袈裟なくらい驚いちゃう。でもそう言われてみると、ソラ先輩の男性にしては華奢で美しい体つきや中性的な顔立ちが美少女に見えてこなくはない。でも、ぼくにとって決定的なこと――他の女性に感じるような恐怖心を先輩から感じることはなかった。
これってどういうこと? そんなことを思ってると先輩はきまり悪そうにはにかむ。
「ボクの場合は『女の子』に思われたくないから見た目以外にも魔法で印象操作してたりするんだよね。だから君と違って『女の子でいたくない』と思うこともなければ、ましてや『男の子になりたい』と思ってるわけでもない。でも、自分の容姿にコンプレックスを抱えて、それを克服するために『男装執事という手段を選ばざるを得なかった』ってとこは少なくとも同じ。君の悩みがすべてわかる、なんて知ったかぶるつもりはないけど、ボクもボクなりに似たもの同士として君の力になりたいと思ってる。だからもし君がボクのことを怖くないなら、先輩として頼ってくれないかな」
そう言って差し出されたソラ先輩の掌を見つめて、ぼくは暫く考え込む。
先輩は本当は女の子。そのことをもう一度自分の中で反復してみる。でも、ソラ先輩に対する恐怖感は不思議なくらい湧いてこない。
――それはソラ先輩も同類だって、心のどこかで伝わるからなのかな。
そう感じたのなら、ぼくの答えは決まっていた。ぼくはソラ先輩の手をとって微笑む。
「もちろん。これから宜しくお願いします、ソラ先輩」
「そ、そう改まって言われると少し恥ずかしいわね」
頬をほんのり赤らめながら顔をポリポリと掻くソラ先輩。それが少しだけおかしくて吹き出しちゃうと、ソラ先輩は話題を変えるかのように大きな声を出す。
「とにかく! アリエルにとって『男装』は一つの自己暗示手段なんだよね。だから、ただ執事の燕尾服を着ただけじゃ不十分。それでどうにかしなくちゃいけないのが……」
恨めしそうな先輩の視線が注がれる先には、ぼくの豊満な胸があった。
「アリエルって、女の子っぽい格好をすることを捨てたボクでさえ嫉妬しちゃうような立派なものついてるよね。全く、どんな食生活を送ったらそんな立派なものに育つんだか」
先輩の言葉にぼくは目を伏せる。そんなことを言われても嬉しくない。むしろ意識すればするほど息苦しくなる。
それが顔に現れてたのか、先輩はため息混じりに「ま、それが君を苦しめてるってことは知ってるけどさ」と付け加えた。
「だから君が『女の子じゃなくなる』ためにはそのデカ乳をどうにかしなくちゃいけない。そこで、だ」
そう言うとソラ先輩は帯にしてはだいぶ幅の広い布切れを差し出してきた。
それから一時間後。
「できたよ、見てみな」
ソラ先輩に言われて恐る恐る鏡を覗き込む。そこに映った自分の姿にぼくは暫く言葉を失った。
そこに映ったぼくは男物の燕尾服に身を包んでいた。豊満だった胸は少しだけまだ盛り上がってるけど、布でぎゅうぎゅうに縛り付けられてだいぶ気にならなくなっている。そして長かった髪はまとめた上で髪色と同じショートカットの鬘を被り、男の子と言われても違和感のない長さになっていた。
これが本当にぼく……? そう不安になるけど、不安そうに揺れる檸檬色の瞳が、間違いなくぼくであることを物語っていた。
「どう? これで自分のことを怖がらずにお仕事できそう? 」
ソラ先輩がピタッと身体をくっつけて、一緒に鏡を覗き込んでくる。
「は、はい。でも、ほんとはぼくじゃないみたい……」
ぼくの自信無さげな言葉に先輩はきっぱりと首を横に振る。
「うんうん、違うよ。これは他ならない新しい君自身だ。だから、新しい君を、君自身がまずは認めてあげて」
――これがお嬢様とソラ先輩がくれた、『新しいぼく』。
そう思うと心の中を温かいものが充していくような感覚に襲われた。
そして着替えが終わると、当たり前だけど執事としてのお仕事がはじまる。最初にソラ先輩がわたしに割り振ってくれたのはエントランスのお掃除だった。
最初に幾つか注意事項を説明してもらった後、ぼくは箒を持って端から黙々と掃除を進める。
お屋敷の掃除、といっても根本は田舎の実家や王都のバイト先でしていたものと変わらない。黙々と対象の汚れに向き合う。そんな時間が、ぼくは昔から嫌いじゃなかった気がする。自分の手で綺麗にすること、それで誰かが喜んでくれることが無性に嬉しかった。
そんなことを考えながらやっているといつの間にかのめりこんじゃっていたみたい。気づくと一緒に掃除していたはずのソラ先輩が手を止めてぼくのことを凝視していた。
「ぼ、ぼく、なんかやっちゃいけないことでもやっちゃいました……? 」
恐る恐る尋ねるとソラ先輩ははっとして、ブルンブルンと首を横に振る。
「いや、何でもないよ。ただ、ちょっと意外だっただけ。――アリエルはつい最近まで勇者パーティーにいたって聞いてたから、お掃除とかの雑用は本当はイヤなんじゃないかって勝手に思ってて。ほら、勇者パーティーメンバーって勇者様自身だけじゃなくてパーティーメンバーも破格のVIP待遇を受けるわけじゃん? 」
何だそんなことか。そう思うとふっと肩の力が抜けちゃう。
「意外とそんなことないですよ。王都みたいな大きな街にいることの方が少ないくらいで森の中で野宿なんて当たり前。そんな時に身の回りのことは自分でやらざるを得ないですから。でも……ぼくの場合は特に雑用になれてるかもしれませんね。ぼくはもともと庶民の出身で、実家やバイト先でよくお掃除してましたし。それが抜けなくて、勇者パーティーでも率先して雑用を引き受けていたな」
思い出すと苦笑しちゃう。誰かの役に立つことが好きで、どこでも貧乏くじを引いていた『わたし』だった頃の自分。今思い返すといいように利用されていただけじゃないの、バカじゃないの、と自分のことを嘲笑したくなる。でも、今でもお掃除は嫌いじゃないから、あんまり過去の自分のことを笑えないかもしれない。
「――それでいいと思うよ」
「えっ? 」
心を見透かしたようなことを言ってくるソラ先輩のことをぼくはつい、まじまじと見ちゃう。
「変わることは全てを否定しなくちゃいけないことじゃない。確かにアリエルはお節介焼きで、損な役回りばかりしていたかもしれない。でも、家事を真面目にできるってことは素敵なことだと思うし、何より今のアリエルはこのお屋敷に来てから一番生き生きとしていた。この仕事、アリエルに案外合ってるかもね」
そう言ってソラ先輩は優しく微笑んだ。
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