クンチャ
目が覚めた。にっこり笑った、優しげなお婆ちゃんの顔が、目の前にあった。
「さあ、立派にできあがりましたよ」
俺の頭を触って、肩を触って、足を触った。そして満足気に「うん」とうなずいた。
3回目のぬい生は、ぬいぐるみというよりは人形に近い姿だった。ほっそりとした女性の布人形。とても凝った衣装を着ている。どこかの地方の伝統的な技法で作られた、工芸品らしい。
「それにしても、珍しいこともあるものね。今どき、こんな古くさい人形がほしいだなんて」
お婆ちゃんはひとりごとを言いながら、俺の頬っぺたをチョンとつついた。しわとあかぎれの刻まれた指から、俺が生み出されたのだ。不思議な気持ちだった。
俺はクンチャというらしい。俺の名前というより、この伝統工芸人形全体を指す名前だ。クンチャ人形。
クンチャ人形は厄除けに使用される人形で、玄関に飾ることによって、家に悪いものが来ないようにする。今となってはお婆ちゃんたった一人しか作り手のいない、数年後には完全に廃れてしまう伝統だ。
それをひとつ作ってくれという注文があったのだそうだ。俺は、その注文主に買われるのだ。
どんな人だろうか。良い人だといいな。
***
引き渡しの日、やって来たのは若い夫婦だった。「素晴らしいですね」と、男性が俺を見て言った。「とても綺麗ね」と、女性も言った。
夫婦の手に渡ったあと、俺は視線だけで、お婆ちゃんにさよならを言った。じゃあな、元気でな。
夫婦の新居の玄関が、俺の居場所になった。ぬい生もこれで3回目だが、ここにきて新たな発見があった。厄除けの人形として生まれたからだろうか、厄というものが見えるようになったのだ。
たとえば、火事の厄。赤黒いとさかのような形をしている。雷の厄は白いきつねのような形をしていて、泥棒の厄は真っ黒な人間の形をしている。
俺は張り切って、そいつらを撃退した。お婆ちゃんの腕が良いのか、厄除け人形としての俺の実力は本物だった。言葉で表現するのは難しいが、こう、ぐっとして「ンッ!」と力をこめると、なんかすごいパワーが発されて、厄は一目散に逃げていく。
強い厄だとちょっと手こずることもあるが、今のところ、全勝している。
春を2度ほど迎えたころ、家には人間がひとり増えた。夫婦の間に娘が生まれたのだ。女の子はすくすくと育ち、よちよち歩きをするようになったころには、いつも右手にうさぎのぬいぐるみを抱えていた。
あのうさぎのぬいぐるみにも、俺のように魂があるんだろうか。
あの子は、ちゃんと最後まで大切にしてくれるかな。いや、別に捨ててもいいんだけどさ……でも俺たちぬいぐるみも、できれば、きみたちの成長をずっとそばで見ていたいんだよな。
「うさぎのぬいぐるみが欲しいって言われて、ちょっとためらっちゃった」
リビングから、夫婦の会話が聞こえてくる。ある冬の夜のことだ。
「ああ、リツコはぬいぐるみ、苦手なんだっけ」
「苦手っていうか……後ろめたいんだよね。小さいとき、大切にしてたぬいぐるみがあったんだ。アニメのキャラクターのぬいぐるみだったんだけど、飽きて捨てちゃって、でもあとから、捨てなきゃよかったなあって……」
……うん、よくある話だな。
「あの子は、ぬいぐるみ、大切にしてくれるかな」
「あの子が飽きても、きみが大切にしてあげたらいいんじゃないか」
「え、この歳になって?」
ぬいぐるみを大切にするのに、年齢なんて関係ないぞ。
「歳なんて関係ないよ」
俺が言いたいことを、旦那さんが言ってくれた。「そうかなあ」と、嬉しそうにはにかんだ声が、それに答えた。俺は暗い玄関で、それを聞いていた。
ぬいぐるみの幸せって、なんだろう。ぬい生も3回目になると、ぬいぐるみとしての思考にも深みが出てくる。
長く大切に、愛してもらう。それはそうだ。だけど、それだけじゃない。
たとえ飽きて捨てられても、かつてぬいぐるみを可愛がっていた記憶を、ずっと持っていてくれたなら、それもぬいぐるみとしての幸福なんじゃないか。
俺は、そう思う。そう思った。
――その日、特別大きな火事の厄が、玄関に現れた。俺は腹に力を入れて、その凶悪な姿を睨み付けた。
今夜の厄は、これまでに相手にした奴らとは格が違う。こいつを相手にすれば、俺もただではすまない。だが、それがどうしたっていうんだ。
朝になったらあの夫婦は、靴棚の上から落ちて壊れたクンチャ人形を見つけ、どうして落ちたんだろうと不思議に思うだろう。俺の3回目のぬい生は、ここで終わる。
お婆ちゃん。俺は、クンチャ人形としての役目をしっかり果たすぜ。
俺は転生者だ。勇者でも魔王でもドラゴンでも賢者でも聖者でもなんでもない、ぬいぐるみ転生者だ。
だが今夜の俺は、勇者より魔王よりドラゴンより賢者より聖者よりカッコイイはずだ。たぶんな。
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