くまたん


「ままー、くまたんー」

 視界が開ける。下の方から、女の子の声が聞こえた。


 視線を動かすと、幼稚園に通い始めるくらいの歳の女の子が、棚の上の俺を見上げていた。

「そのくまちゃんが良いの?」

「うん。くまたんがいいー」

 母親らしき女性の手に取られて、俺の体は棚を離れる。どうやら、俺は買われるらしい。

「くまちゃん、大事にしようね」

「うん。くまたん、いっしょにねるの。ずーっといっしょ!」

 量販店の白い袋の中で、俺は現状に辟易としながら、その会話を聞いていた。



 2回目の転生、俺はくまちゃんになった。

 もっと正確に言うと、現代日本においてお手頃価格で販売されている、量産型のくまのぬいぐるみだ。

 もう分かっている。これは絶対に、この子が大きくなると共に飽きられて捨てられるルートだ。そして、俺のぬいぐるみとしての人生(ぬい生)は終わるのだ。


 まあいいや。この子がくまのぬいぐるみに飽きるまで、我慢すればいいだけだ。


 退屈……あまりにも退屈。なにが転生だ。俺も勇者とかドラゴンとかに転生したかった。


***


 俺の見通しは甘かった。女の子(ユリコちゃん)は、寝るときもご飯のときもいつだって俺と一緒で、いっこうに俺に飽きなかったのだ。


 ぬいぐるみとしての俺の意識はぬいぐるみとしての生に適応しており、動けないことや物を食べられないことに、思っていたほどのストレスを感じない。

 ぬいぐるみとして、俺は意外にものんびりとした生を送っている。そう、送っているのだ。いまだに。



「くまたんただいまー。いやー今日は最悪だったよー。授業中、ここだけはマジでわかんないから当てないで! ってとこ、ピンポイントで当てられちゃってさあ……」

 高校生になったユリコちゃんは、いまだに俺をベッドの横に置いて、日々の愚痴だとか嬉しかったことだとかを報告してくる。

 俺はいまだにくまちゃんもといくまたんで、3回目の転生に移行する気配はまだまだない。


「あ、でもね、良いこともあってさー。あのね聞いて、今日はね、結構話せたんだ。昼休みにね……」

 最近は、好きな男の子もできて、ユリコちゃんの日常は充実しているようだ。数年で終わるはずだったぬいぐるみ生、まさかこんなに長続きするとは思っていなかった。

「告白とかさあ……どうしよー。くまたん、代わりにしてよー」

 してやってもいいけど、俺、ぬいぐるみだしなあ。


 ユリコちゃんが俺に飽きる気配はない。定期的に洗って乾かして日に干してくれるおかげで、俺はいつだってふわふわだ。彼氏ができたら、「このぬいぐるみ、ずっと昔から大切にしてるんだ」と言って、俺を紹介するだろう。

 もしかしたら、ユリコちゃんが結婚するときが来たら、俺も結婚式につれていってくれるかもしれない。一緒に写真に写っちゃったりして……。


 うーむ、思わぬところでぬいぐるみとしての幸福を手にしてしまったかもしれない。ぬい生、悪くないじゃないか。2回目のぬい生は、長くなりそうだ。





 ……なんて、思ってたんだけどな。


 泥水の中を流されながら、俺は2回目のぬい生が終わろうとしていることを察していた。



 記録的な豪雨なのだと、漏れ聞こえたニュースのアナウンサーが言っていた。普段は水害の起こらないような地域でも警戒が必要ですと。そして、ユリコちゃんの家は被災した。

 まさか一戸建ての家の2階まで水が上がってくるなんて、思わないじゃないか。


 ユリコちゃんは、無事だろうか。「水が来た!」という叫び声が、まだ耳に残っている。川が氾濫したとき、どれくらいの速度で水がせまるのか、俺は知らない。ユリコちゃんは……ちゃんと逃げられただろうか。


 ぬいぐるみの俺には、それを知るすべなどない。ああ、意識が遠くなってきた……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る