第53話 命のバトン

 それは、一本の電話から始まった。

「私、移植ネットワークのコーディネーターの斉藤と申します。一ケ瀬……患者様の状況を……」




「一ケ瀬さん!」

 昼食がテーブルに運ばれて来た時の事だった。

(食欲あんましないんだけどな、)

 と憂鬱な時を迎えていた俺の元に、珍しく戸部田先生が急ぎ足でやってきた。

「一ケ瀬さん! ドナーの適応の患者さんがいらっしゃるんだよ! 優先順位一位の方が辞退されてね、連絡が来ました! 一ケ瀬さん! 移植を受ける意思はありますか?」

「へっ?」

 あまりにも唐突すぎて、俺は声が出なかった。俺は心臓移植を受けれるのか?

「一ケ瀬さん! 今ご両親にも連絡をしているからね、こっちに向かってくれるそうだよ。ご両親と話をしてから、詳しい説明はしますけど。一番は一ケ瀬さんの希望が大切だからね。」

「あ、あのー、移植を受けたら俺は生きれますか?」


 混乱しすぎて、何を聞いているのかわからなくなってしまった。やっぱり父ちゃんと母ちゃんと相談したほうがいいのかもしれない。

「しばらく治療もリハビリも必要だけど、日常の生活が送れるようになると思いますよ。迷ってる?」

「いいえ、俺は受けたいです。念のため両親と話をしてから正式に返事させて貰ってもいいですか?」

「もちろん、じゃあコーディネーターさんに連絡入れとくね」


 臓器移植なんて、夢のまた夢の話だと思っていた。テレビドラマや映画でしか見たことのない世界に俺は入り込んでいる。


「颯真!」

「良かったー」

 と、父ちゃんと母ちゃんが病室の扉を開けた。電話があっただけだし、まだ決定ではないのに。母ちゃんに至っては、目がうるうるしていて今にも泣き出しそうな顔をしている。

「まだ正式じゃないから。父ちゃんと母ちゃんと話をしてから返事しますって戸部田先生に言ったし。」

「受けるんでしょ? 移植。」

「颯真、次はいつになるかわからないぞ」

「ぅん、わかってる。移植は受けたいんだけど、さ、」

「けど、何だ?」

「俺の逆の家族がいるって事だろ、今」


 一瞬部屋がしん、となった。

 臓器提供意思表示のカードを見て、家族はどんな思いで提供を決意してくれたのだろう。ただ眠っているように見える体にメスを入れて臓器を取り出す……そんな事を考えると心がちぎれそうに痛むのだ。


「颯真、もしも颯真だったらどうする? 臓器提供意思表示カードに丸を付けていたとしたら、どう?」

「最期の願い、だもんな……」

「そうね、」

 母ちゃんはうつむいて。

「父ちゃんなら、そのお前の最期の願い叶えてやりたいと思うよ」

「そう、だよね……わかった、ありがとう」



 戸部田先生と菊池さんが病室にやってきた。

 父ちゃんと母ちゃんが一緒にいてくれている。俺は力を振り絞って口を開いた。

「先生、心臓移植を受けさせて下さい。お願いいたします」

 と、軽く頭を下げる。父ちゃんと母ちゃんは深々とお辞儀をしている。

「わかりました! よく決心してくださいました! すぐに臓器移植ネットワークのコーディネーターさんに連絡します。これからですよ、検査もあるし体力もつけなくてはいけないからね! 一ケ瀬さん! 頑張りましょう!」

「一ケ瀬さん、頑張りましょうね!」

 菊池さんが笑顔で言ってくれて、俺は少しだけ微笑んだ。



 窓の外を眺めて考えていた。

 この広い空の下で尊いひとつの人生の第一章が終わろうとしているのだ。

 その人の心臓は、今もまだ動いているのだ。

 ご家族に見守られながら、眠っているのだろう。

 その選択をするまでにどれだけの涙を流したのか、想像するのは辛かった。

 ひとつの人生がいくつかに枝分かれして、その中の一本が俺のところにやってくるのだとしたら。

 俺のこれからの人生は、その人の第二章の一部になる。

 それはとても大きくて、とても重くて、とっても尊い。

 改めて『命のバトン』を受け継ぐという事を考えさせられている。


 しばらくすると、戸部田先生が病室にやってきた。

「一ケ瀬さん! 心臓移植が決まりました!」

「はいっ」

 俺はゆっくりと深呼吸をした。


 移植コーディネーターの斉藤さんと戸部田先生や他の先生方でチームが作られたようだ。

 たくさんの確認事項があって、たくさんの書類に名前を書いた。

 CTの検査や血液検査も受けた。感染症はないか? 白血球の型は合うのか? 六時間程かけて結果が出るのを待ったりもした。


 そしてCTの画像を元に俺の心臓のレプリカが作られた。たくさんの医師が集まって、そのレプリカを使って移植手術のシュミレーションも行われたそうだ。

 たくさんの人の手で、俺のところに『命のバトン』がやってくる。その時間は長いのか短いのか、俺にはよくわからないけれど。


 臓器提供意思表示をした患者の家族が、『臓器摘出承諾書』にサインをする。

 その一枚の承諾書にサインをするまでに時間もかかるだろうし。お互いに何も知らないし、知らせないという決まりがあるからなおさらだ。そんないろんな感情を抱えながら決心して下さったご家族には感謝の気持ちが溢れてくる。


 そんなバタバタとした日々の中で、俺の手術の日が決定した。


「お兄ちゃん、頑張ってね!」

「颯真、先生方がついてるからな」

「颯真、頑張るのよ、」

「待ってっから」

 凪や父ちゃん、母ちゃんに広輝が俺に声をかけてくれる。

「おぅっ!」


「じゃ、一ケ瀬さん! 行きますよー」

 と、俺はベッドのまま運ばれて行った。

 点滴に薬が入っているのだろうか、少しだけ眠たいような気がしている。


──ヴィーン。

 手術室の扉が閉められた。


 俺の手術は数時間に及んだ。何度も何度もシュミレーションされていた手術は、たくさんの医師やスタッフによって無事に終わったそうだ。

 もちろん、俺は眠っていたので全く何も覚えてはいない。


 ゆっくりと目を開けると、窓の外には美しい青空が見えていた。

 俺の人生の第二章の幕開けの瞬間だった。

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