第48話 ホタルの星が輝く夜─栞side

 凪ちゃんと広輝君の結婚式は素敵な時間だった。凪ちゃんの白いウェディングドレス姿はとーっても綺麗で、笑顔がきらきらとしていた。

「秦野凪になったんだ」

 って、頬っぺをピンク色に染めて嬉しそうに笑っていた。そんな凪ちゃんがちょっぴり羨ましかった。

  

 休日は颯真に会いに行くのがお決まりになっていた。たまに研修などもあるのだけれど、私はなるべく颯真に会いに行く事を選んだ。

 病室を覗くと、何だかほっとしたような柔らかな表情になる颯真がいる。

 だから、私は時間がかかっても颯真に会いに行った。時々、颯真の家に寄って荷物を預かったりもしている。颯真のお母さんも、時折疲れた表情で話をしてくれた。

──颯真はどうなるのかしら?

 って。私は看護師だから病気については何も言えないから、気持ちに寄り添う事しかできなかった。

「まずはご家族の皆さんが元気じゃないと颯真が心配しちゃいますよ」

 と声をかける。本当は私だって何とかしてあげたいと思うだけで、会いに行く事しかできなかった。

 ただ笑顔でそばにいる、それだけだった。


「俺が元気になったらさ、栞はどこに行きたい?」

 颯真の言葉が私の心の奥にチクリと刺さった。……痛いよ、何で急にそんな事を聞くの? 何だか不安になるじゃん……。

 心の中ではそう呟きながら、

「えー、いっぱいありすぎて決めれないよ」

 何でもないフリをするのに精一杯だった。

 ふと『ホタル』という言葉が浮かんで話が盛り上がって決めたけど、本当は何でも良かった。颯真と一緒ならどこでも何でも良かったし、何処にも行けなくても構わないと思っていた。きっと颯真はそんな私に気を使ってくれたのだろう。



  約束の日、私はナビを頼りに車を走らせる。いつもより少しゆっくりと眠り、お昼を過ぎていた。久しぶりに相棒のカメラを助手席に乗せて、自然が豊かな街へと向かった。

 車の窓を開け風を浴びながら、ハンドルを握っている。

 窓の外を流れる景色は少しずつ都会を離れ、緑色に変わっていく。


 少し日が傾き始めて、空の色が変化する。

──あぁ、綺麗。

 車を停めて、カメラを持って私は景色を切り取っていく。うっすらと雲がかかる空を鳥の群れが飛んでいる。翼を大きく羽ばたかせ、時には風に乗り自由に進んでいく。


 風に吹かれた木の葉は深い緑色に染まり、ザワザワと音を立てている。名前の知らない鳥の囀りがチチチ……とあちこちから聞こえてきた。草むらから少しだけ顔を出している野良猫は耳をピンと立ててこっちを見つめている。私がカメラのシャッターを押すと、何度も振り返りながら何処かへ姿を消してしまった。

のんびり歩いて行くと、清らかな水が流れる川にたどり着き私は荷物を下ろす。


 ふぅーっと息を吐き出して、胸いっぱいに空気を吸い込み空を見上げると土の匂いがした。涼しげな川の流れる音に耳を傾けながら、また景色を切り取っていくのだ。

──颯真、喜んでくれるかなぁ。

 辺りが薄暗くなってくると、少しずつ人が集まり始める。みんなホタルを見にやってくる。猫じゃらしのような葉っぱを振り回す男の子は楽しそうにはしゃぎ、まだ若いカップルは初々しく手を繋いで歩いていく。小さな子供を連れた家族がベビーカーを押しながら歩く後ろ姿は何だかあたたかくて、私は少し微笑んだ。


 涼しげな川のせせらぎが聞こえる橋を選び、私は場所を取った。『ホタル祭り』を楽しむ為に集まってくる人々の楽しそうな声が聞こえてくる。私はイヤホンをつけて颯真にテレビ電話をかけた。

「やっほー」

「やっほー」

 颯真の顔が画面に見えた。少し髪の毛が跳ねている姿に私は微笑んだ。病院の中庭に吹く風が颯真の跳ねた髪の毛を乱れさせる。

「ふふっ、颯真寝癖ついてるよ」

 ふたりで笑った。楽しそうな周囲の声に隠れて私達は会話を楽しんだ。川を流れる水の音や、小さな子供たちの声、風が揺らす木々の音の中で私達はたくさん会話をする。辺りは暗くなり少しずつ黄色い光が見え始める。

「ホタル! ホタル! 光った!」


 私に向いていた携帯のカメラを外に向ける。

 携帯の画面にもぽわんと光るホタルが見える。私は颯真と会話をしながら、ホタルの淡い光を追いかけていた。群青色に染まる空は何だか怖くて、蒼白い月の灯りも何だかわたしを不安にさせる。ホタルが放つ淡く優しい光を必死で心に集めて、平穏を装った。


「栞、ありがとう」

「なぁに、急に?」

「栞が居てくれたから、俺はホタルが見れた」

「こちらこそだよ、」


──心が痛かった。颯真の前では泣かない! と決めて、強くなったつもりでいたのに。

 ゆっくりと光っては消える黄色い光が少しずつぼやけて見えて、私の目から涙が零れた。とても美しいホタルの光は、綺麗過ぎて苦しくなった。颯真にはバレないようにそっと涙を拭って、何でもないフリをして『ホタル祭り』を眺めていた。

 颯真から見えるホタルの光はとても小さくてちょっぴり残念だったけど、それでも颯真はとても喜んでくれた。

「小さな光がたくさん見えるよ」

 って、颯真の優しい声が両方の耳から聞こえてきて本当に一緒に見ているように感じた。


「あっ! もう一ケ瀬さん! 探したよーー」

 と小さな声が聞こえて、颯真とのホタル祭りは終了した。

「菊池さん、ごめんなさい!」

 と私も一緒に謝ったけど、きっと菊池さんならわかってくれると信じていたから。


 颯真と電話を切ってからも、私はひとりでぼんやりとホタルを眺めて過ごした。もう泣かない! と決めていたのに溢れてしまった涙はしばらく止まらなかった。

──私も、ホントは辛かったんだ。

 ホタルの光が涙で滲んで見える。私は耐えきれなくて、泣いた。声をあげて泣いた。


「おねぇたん、いたいいたいなの?」

 と小さな女の子がてちてちと歩いてきて、私に声をかけてきた。

「ううん、大丈夫だよ」

 と笑って見せる。

「ほんと?」

 と、その小さな手で私の肩を撫でてくれる。

「……ありがとう」

 ダメだ、そんなに優しくされたら泣いちゃう。また、私は声をあげて泣いた。


 小さな女の子とそのご両親はしばらく何も話さずに一緒にホタルを眺めてくれた。私の涙が止まった頃、その女の子がポケットから小さなあめ玉を出してくれた。

「おねぇたん、これげんきがでるよ」

 と愛らしい笑顔に、私は助けられた。

「ありがとう」

「バイバイ」

 とパパに抱っこされて、帰って行った。暗い夜道を懐中電灯で照らしながら歩く家族の姿は忘れることはないだろう。



 ホタルの星が輝く夜、柔らかく滲む黄色い光がたくさん舞う写真を何枚もカメラで撮った。さっきよりも暗くなった群青色の空に浮かぶ蒼白い月は、私の味方になってくれそうな気がした。

 そして小さな女の子がくれたピンク色のあめ玉を口に入れて、私はまた歩き出した。

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