第47話 小さな命に出逢った夜─栞side

 颯真は少しずつ元気がなくなっていった。補助人工心臓のお陰で大きな発作は今のところ出ていない。

けれど、何度もショックを与えて動き出した心臓にはかなり負担がかかっているだろう。

 臓器移植ネットワークに登録してからも、気持ちも体力も目に見えて不安定になった。不安な気持ちと僅かな希望の狭間で、ひとりで闘っているようにも見えた。


 私の前では元気なふりをしている事も解っていた。私が撮った写真を一緒に見ていても、何だか少し寂しそうな笑顔に見えている。サイドテーブルには外れない知恵の輪が寂しそうに転がったまんまだった。




───ピーッ! ピーッ! ピーッ!

「はい、風花救急医療センターです!」

 電話を受けた本郷先生の表情が曇った。

「えっ? 他の病院は無理? うち? ちょっと待ってもらえます?」


 何度か見たことがある本郷先生の表情だ。急いで内線電話をかけている。

「婦人科の先生、今日は誰? あ、代わって!」

 婦人科? ……って事は、妊婦さん?

 私は本郷先生の様子を見守っていた。

「三十六週の妊婦さん、転倒したらしい、先生ヘルプ来て貰える? おっけ、じゃ受け入れますね」


「あ、もしもし? 受け入れOKですので搬送してください、何分後? えっ? 何かあったら連絡もらえます? はい」

 本郷先生はガチャンと受話器を置いた。

「聞いてたかー? 受け入れ拒否が続いてて、ここに搬送されるぞー! 三十分から四十分後に到着予定だ。婦人科から山科先生来てくれるから、点滴とエコー、心電図準備! 念のため血液検査すぐできるように整えるぞ!」

「はいっ!」

 私は周りに指示を出しながら、できるだけ準備を進めた。

「中谷さん、輸液と採血のセット準備しといて!」

「はい!」


──ガチャガチャ、ガチャガチャガチャガチャ……。

 搬送されてきた女性の顔色は蒼白で、汗をかいている。

「病院着きましたよー! すぐに先生に診察してもらいますから、もう少し頑張ってー」

「……はぁ、はぁ、赤ちゃん、」

「赤ちゃんも頑張ってますよ、ベッド移動しますねーー」


「移します。いちっ、にっ、さんっ!」

 一瞬だけ、少し赤い染みが見えた。

 本郷先生と山科先生が診察を同時に行う。

「先生、ラックテックでいいですか?」

「OK、山科先生、採血も?」

「はい、至急でお願いします!」

「ルート取ります!」


 私は患者さんの左側にまわって声をかける。

「私は看護師の中川です! お名前教えてもらえますか?」

「や、山﨑……ゆ、優」

「山﨑さん、腕真っ直ぐ伸ばせますか?」

 私の呼び掛けに、腕をゆっくりと伸ばしてくれる。

「腕を捲りますねー、ごめんなさいね、針を刺すからチクッとしますよー」


「山﨑さん、お腹痛いねぇ。転んだの? どんな風に?」

「……えっと、段差があったみたいで……」

「ちょっと服捲るねー、ごめんなさいね、」


 山科先生は緊張した表情でエコーでお腹の様子を探っている。エコーの先に何度かゼリーを塗り直して、注意深く診察をしえいる。


──ガチャガチャ。

「これ、検査室!」

「はい!」

「どこが一番痛い? ここ? 他は?」


──ガチャガチャ、ガチャガチャ。

「んー、山﨑さん、ご主人は連絡取れてる? まだ?誰か!」

「はいっ! 先生私が確認します!」

 本郷先生と山科先生が慎重にエコーの画面をチェックしている。本郷先生は他にケガなどがないかも調べているようだ。


「山﨑さん、ご家族誰かに連絡したかなぁ? まだ?   私が連絡しますので、ご主人の電話番号教えてもらえますか?」

「番号は……」

 山﨑さんは痛みに耐えながら、震える小さな声で電話番号を教えてくれた。

「はい、はい、ありがとうございます! じゃあ、連絡してきますね」

「お、お願いします、」

 私は山﨑さんの肩にそっと手を当てて、その場を離れた。痛くて怖くて、きっとお腹の赤ちゃんが心配で不安なのだろう。

 山﨑さんの腕は小さく震えたままずっと止まらなかった。


「山﨑さん、お腹の赤ちゃんが苦しいから帝王切開で急いで出してあげないといけません。」

「えっ?」

「ご主人にはまた電話で連絡しますけど。このままだと赤ちゃん可哀想だから、いいですか? まだ三十六週だから少し早いけど……」


「手術室は?」

「OKです!」


──ガチャガチャ、ガチャガチャ。

──ガチャガチャ、ガチャガチャ。

「山﨑さん、もうすぐだからね、赤ちゃん出てくるよー」

 山科先生の明るい声に山﨑さんは軽く頷いた。不安そうな顔で必死に恐怖と闘っているのだろう。

「山﨑さん、赤ちゃん出てきたよー! おめでとうございます、女の子だ!」

と、同時に小さな小さな産声が聞こえた。


「……ほぎゃ、……きゃ」

 帝王切開で無事に取り上げられた赤ちゃんはすぐに保育器に移された。 一ヶ月以上早くこの世に生まれてきた命は、まだまだ小さくて、柔らかくて、とても温かくて。


「山﨑さん、あとは山﨑さんのケガの治療していきましょうね」

 山﨑さんは涙を溢しながら、ゆっくりと頷いて目を瞑った。



 小さな命と出会ったこの日に、私は改めて強く決心をした。

 颯真の傍から決して離れないと。

 ずっと一緒に生きていくんだから。

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