第44話 外出の許可

 優しく温かな日差しが差し込むチャペル。

「病める時も健やかなる時も これを愛し敬い慰め合い共に助け合い その命ある限り真心を尽くす事を誓いますか?」

「はい、誓います」


 純白のベールをゆっくりと上げ、そっと頬にキスをした。その瞬間に拍手が響き渡り、幸せな空気に包まれる。それはとても柔らかくて優しい空気だ。


 父ちゃんと母ちゃんは嬉しそうに微笑んでいる。そして俺も精一杯拍手を贈った。

 俺は車椅子を横に置いて、父ちゃん達と並んで座っている。振り向くと少し目を潤ませた栞がにっこりと笑った。


「外出かぁー」

 戸部田先生が眉間にシワを寄せながら俺のカルテを見ている。

「先生、二、三時間でいいんです! この日だけは……お願いできませんか?」

「あの看護師さんも一緒?」

「はい! なので、何かあったら彼女が助けてくれるはずです。だから、お願いです!」

「場所は、近く?」

「はい、車で二十、二十五分くらいです!」

「んー、くれぐれも無理しないでね? 当日の朝も診察させてもらうよ?」

「はいっ!」

「じゃぁ、許可出します! 当日、中川さんだっけ?お話しさせて、」

「わかりました! やった!」


 という事で俺は今、ここに座っている。

 今日は凪と広輝の結婚式だ。

 俺で結婚の申し込みの練習をした広輝は、父ちゃんの許しを難なくクリアしたようだ。

 純白のヒラヒラとしたレースに飾られたウェディングドレスを着た凪は、今まで見てきた中で一番美しく輝いて見える。

 今日から『秦野はたの凪』になった。タキシード姿の広輝は、今まで見てきた広輝の中で一番かっこ良く見える。

 小さい頃の想い出が、昨日の事のように脳裏に浮かぶ。


 朝、戸部田先生の診察を受けた。栞が一緒に居てくれて、戸部田先生と話をしてくれた。

「点滴と、念のため酸素と……あと、……」

 俺に何かあった時の為に用意された医療用バックを受け取り、俺は車椅子に乗って栞と一緒にチャペルに到着した。

「栞ちゃん、いつもありがとう、」

 母ちゃんは朝から泣きっぱなしで、涙腺が崩壊してしまったようだ。

「いいえ、とんでもないです! 私も参加させて頂いてありがとうございます!」

 何とも幸せな空気の中で俺は久しぶりの病院の外を楽しんだ。


 俺は久しぶりにファインダーを覗いて、シャッターを押した。

 栞が着ている、濃紺のプリーツのワンピースに付いている柔らかいシフォンの袖が肩の辺りでひらひらと揺れている。少し伸びてきた髪の毛は緩く巻いてアレンジされていた。白いパールのイヤリングが小さな耳に付いていて可愛かった。



 あの中庭で久しぶりに会った栞と仲直りをした。久しぶりに触れた栞の小さな手はとても愛おしく感じて、俺はそっとキスをした。

 喧嘩の後の仲直りのキス。大勢の人がいる所だったし、俺はお風呂に入っていなかったから。王子様が跪くように……とはいかなかったし、俺は車椅子に座ってるから格好も悪かったけれど。

 栞の瞳からぽろりと零れ落ちた涙は、輝きながら俺の手の甲にひと粒落ちた。


「栞、俺は弱いから見守ってて」

「うん」


 もうこのままの俺でいることに決めたんだ。格好つけたってどうしようもないし、俺は補助人工心臓の力を借りて命を繋いでいる。

 いつかドナーが現れたなら、感謝をして受け入れる事にした。


『最期の願い』だから。


「生きている時にね、使って欲しいとか、使わないでほしいと意思表示ができるのよ。保険証とか、免許証とか」

 確かに、保険証の裏に印を付けて署名をする場所がある。

「使って欲しいって意思表示をしている方が脳死判定になった時に、ドナーになる事ができるのよ。もちろん、残されたご家族の気持ちも確認するから。とても重い決断になってしまう事もあるだろうけど」


 栞は、俺の移植に対しての不安や疑問などを受け止めてくれた。

「あくまでも、私の考えだけどね。意思表示をしているのなら願いを叶えてあげたいと思うし、その思いを受け取って生きていくのも大切だと思うなぁ」

「命のバトン……か、」

「そ、命のバトンを受け取るの!」


 俺はやっぱり栞には敵わないなぁーとつくづく思った。こんな病気になんてなりたくはなかったけれど、病気にならなかったら栞とも出会えていなかったのだから。

 そう思うと複雑な気持ちになってしまうんだけど。



──カラン! ─カラン! ─カラン!

 チャペルの鐘が三回ゆっくりと鳴り響いて、空へと広がっていった。ピンク色の花びらのシャワーを浴びながら、凪と広輝が腕を組んでゆっくりと現れる。

「おめでとう!」

「凪、綺麗だよぉ!」

 ふたりを祝福する声が躍りながらキラキラと輝いた。

「広輝、色々頼んだそ!」

 俺はそう言って、広輝と拳を合わせる。

「よろしくな、お兄さん!」

「きしょく悪いからヤメろー!」


「それでは、花嫁様! ブーケトスをお願い致します! 女性の皆様、お集まり下さい!」

 凪の友達がニコニコしながら集まっている。

「栞ちゃんも、ほら!」

 遠慮して、その輪に加わらない栞の事を凪は手招きをして呼んだ。

「ほら、花嫁さんが呼んでるんだから!」

「えっ、じ、じゃあ」

 栞は遠慮がちに端っこのほうに立っていた。


「せーのっ!」

 凪が後ろ向きに投げたカラーの花でできたブーケが、その手から飛ばされる。

─とすっ。

「うわぁー」

「あはは!」

 楽しそうな声が聞こえて、皆が笑顔で拍手を送る。凪の手から投げられたカラーのブーケは栞の腕の中にキャッチされた。

「えっ、えっ? いいの?」

「良かったですね!」

 祝福の言葉と拍手が栞に向けられて、恥ずかしそうに頬を染めている。


 とっても可愛くて、ちょうどいい言葉が見つからないくらいに美しい光景が目の前に広がっている。

「次は栞ちゃんの番だね!」

 凪が微笑んで声をかける姿を見て、俺は何だか嬉しくなった。栞を幸せにしてあげられるかどうかもわからない俺だけど、精一杯生きてこれから先も一緒に笑っていたい。


 俺と栞の幸せの形はとても歪かもしれないけれど、俺は出来るだけ長く生きていく!

 人が亡くなるのを待っているのとは違うのだけど、俺はとにかく覚悟を決めて生きて行くんだ。

 それが、俺が栞にして上げられる唯一の愛情表現なのだから。


 凪と広輝が最高の幸せのスタートを切った日。俺は固く心に誓った。

 とにかく、俺は生きるんだ。

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