第40話 決心ー栞side

『颯真の前ではもう泣かない!』

 私はそう決心した。カーテンで仕切られたスペースで、颯真は入院生活を送っている。ナースセンターから比較的近い場所は窓から差し込む日射しだけが頭の上から届いてくる。せめて外の景色が見える場所へ……とは思っていたが、そう簡単にはいかなかった。

 少しずつ悪化していく症状は、颯真の心に影を落としていく。そして長引く入院生活で颯真の笑顔は少しずつ消えていった。時にはイライラとした表情を見せ、苦しさをどこにぶつけていいのかわからないように見えた。


(颯真、私がいるよ!)

 心の中で必死に伝えてみるけれど、今の颯真には届かないようだ。いつもの笑顔で、今まで通りに颯真の所へ行くと寂しそうに天井を見つめている颯真の姿があった。


 休日は颯真の所で少し過ごしたり、ひとりでカメラを持って出かけた。

──ピコン。

『栞ちゃん、忙しい?』

 凪ちゃんからのライン。

『今日は休みだよ! 何かあった?』

『お願いがあるの』




「──え? 参ったなぁ……」

 本郷先生はポリポリと頭を掻いて困っている。当然だ、私は無理なお願いをしているのだから。

「本郷先生、そこをなんとかお願い出来ませんか?あ、何なら何かあれば私が勝手にやったと言って下されば大丈夫です!」

「いやいや、中川。そうゆう訳にはいかんだろ。中川が勝手にするような看護師だとは誰も思わないぞ?」

「そこをなんとか! この通りです!」

 私は両手を合わせて本郷先生に必死でお願いをする。

「ふぅ……まったく、」

「本郷先生?」

「一時間だけだぞ! それと、何かあった時の為に俺は仮眠室にいるから。急患がいたら対応できないだろ?」

「本郷先生! ありがとうございます!」


 あの夜の美しい景色を私は忘れないだろう。

 凪ちゃんと広輝君が大きなシャボン玉をたくさん作れるおもちゃを用意してくれた。颯真のお母さんとお父さんにも手伝ってもらって、出来るだけたくさんのシャボン玉が風に飛ばせるように練習もした。颯真が好きそうな曲を選んで携帯にダウンロードしておいた。

 夕陽が沈んで暗くなる頃、颯真を車椅子に乗せて屋上へと連れて行く。他の看護師は見てみぬフリをしてくれた。

「久しぶりにデートしよ!」

「えっ?」

 戸惑う颯真が座る車椅子を押して、屋上へ到着した。音楽をかけた携帯電話を颯真の膝の上に置く。そして、みんなでシャボン玉を飛ばした。月のあかりと病院の看板を照らす証明に照らされて、シャボン玉はキラキラとひかって弾けていく。颯真にもシャボン玉を作って貰った。

「すげー」



――颯真が笑った。


 私は写真をたくさん撮った。キラキラと光るシャボン玉、凪ちゃんや広輝君の笑顔。お父さんやお母さんも嬉しそうにシャボン玉を作っては眺めている姿。颯真が空へ舞うシャボン玉を見つめている横顔。

 シャボン玉の向こう側に見える三日月。

 優しい風に吹かれて乱れている、颯真の前髪。シャボン玉を追いかけて、みんなが笑顔で空を見上げている景色。

 とても素敵な、大切な景色。

 最高に美しい久しぶりのデートだった。


 面談室から戻ってきた颯真の顔は酷く落ち込んでいた。

「中川、ちょっといいか?」

「はいっ!」

「あのー、一ケ瀬君の事なんだけどな、」

 何となく感じていた。颯真の心臓はかなり危険な状態になっている。颯真は食欲も減って、少しずつ弱っていた。蒼白い顔は、笑うと辛そうで何とかしてあげたいと思っていた。私が好きだったアッシュグレイの髪の毛は、真っ黒になりロン毛になってしまった。

 たまに凪ちゃんがふざけて颯真の髪の毛を括って遊んでも、フフッと笑うだけになった。


「大きな病院への転院を勧めようと思う。補助人工心臓を付けて、移植を待つんだ。」

「……」

「一ケ瀬君を助けたいだろ」

「はい、」

「中川、大丈夫か?」

「先生、私は……」

 ずーっと我慢していた涙が、言葉の変わりにぽろぽろと零れた。颯真には生きていて欲しい、ただそれだけ。


「中川、かなりの覚悟が必要だぞ」

 本郷先生は昔の自分を思い出しているのだろう。少し遠い目をしてふぅーっと息を吐いている。

「本郷先生?」

「何だ?」

「私はこの病院で颯真の事を見守ります! ここでもっと立派な看護師になる為に頑張ります! 休みの日には、彼女として颯真のお見舞いに行きます。だから……」

「もちろん、いつでも相談にのるぞ! ここには、中川の仲間がたくさんいるんだからな」

「はいっ! ありがとうございます!」

 私は涙を拭い、ティッシュで鼻をかんだ。


(辛いのは颯真、泣いてる場合じゃない!)


 その日の仕事終わりに私服に着替えて颯真の所へ行った。

 颯真は夜のシャボン玉のアルバムを開いて、イヤホンをしている。きっと、あの夜の曲を聴いている。

「お疲れ様、」

 颯真の優しい声が、私の心を揺らした。

(……離れたくないな)


「颯真?」

 私は颯真のベッドの脇に椅子を置いて座る。

 鞄につけている『アイオライト』のお守りが小さく揺れた。

「ん?」

「颯真?」

「ん、どした?」

「手術受けて、お願い!」

「……でもさ、転院するんだよ?」

「そうだよ、ここより大きな病院で手術受けて補助人工心臓を付けて」

「残り時間のタイマーだろ?」

 颯真の言葉はとても冷たく、私の心にナイフのように突き刺さる。


「颯真、生きるのよ!」

「人が亡くなるのを待って、心臓貰って生きるなんて嫌だし! だいたい移植を待ってる間に死ぬかもしれない!それなら、このまま死ぬ方が……」

「違う! 亡くなった方やご遺族の最期の願いなんだよ! 意思表示した方の思いを受けとるの! バトンだよ、バトン!」

「バトン?」

「移植の意思表示をした方は、自分の体を使って生きて貰えるのを望んでるのよ、命のバトンを繋いで欲しいって願って丸を付けて名前を書いてるのよ」

「バトン……」

「最期の願いを受け取るの! そして生きるのよ、颯真! 生きるのよ!」


 颯真の頬を一粒の涙がゆっくりと零れて落ちた。今度は私の手でそっと、涙を拭う。

「私は諦めないから、」

「栞、俺……死にたくないよ、」

 私はまた、颯真の頬を零れる涙をそっと拭った。

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