第39話 転院という選択

 新しい栞の手作りのアルバムが出来上がり、サイドテーブルに置かれている。お気に入りは、夜空に浮かんでキラキラと光るシャボン玉をみんなで見上げながら笑っている写真写真だ。

 柔らかな風が吹きぬける病院の屋上でのシャボン玉遊びは、凪と栞で計画を立てたらしい。

 本郷先生も『こっそりとうまくやれよ!』と目を瞑ってくれたようだ。

 凪や広輝が買い物に行き、母ちゃんや父ちゃんも練習をして準備をしてくれた。


 みんなが俺の為に色々やってくれている景色も写真には写っているような気がして、気がつけばアルバムを眺めている。そう考えると、俺はこのままではダメだなぁーと心が少しだけ明るい方へと向けるような気がした。


 シャボン玉が舞う空を見上げながら聞いた曲は、栞が選曲してくれて俺の携帯にもダウンロードをしている。イヤホンをして曲を聴きながら目を閉じるとじんわりと心が温かくなって、俺は優しさに包まれるのだ。

 カーテンで仕切られた狭い空間の中、俺は小さなベッドの上での生活は続いている。気づけば季節は俺を置き去りにして進んでいく。


 ピンク色の桜の花びらがひらひらと舞い、紫陽花はしとしとと降る雨に濡れた。つばめが巣を作り、大空へ飛び立って行った。緑の葉が両手をいっぱいに広げて、太陽はじりじりと地面を焼きつける中、ひまわりは上を向いて笑顔を咲かせた。夕焼けの空をトンボが飛び、小さな子供は母親の背中ですやすやと眠る夕暮れ時は静かに流れていった。


 そしてまた、枯れ葉がカラカラと風に飛ばされて、コロコロとどんぐりが転がっている。俺の体調は不安定になり、検査の結果も少しずつ悪化してしまった。俺の心臓の肥大は大きくなり、今日は父ちゃんと母ちゃんと俺は本郷先生と話をする事になっている。

ーーーきっと、難しい話何だろうな。


「御気分はいかがですかぁ?」

 カーテンを少し開けて栞がひよっこりと顔を覗かせた。

「まぁ、変わらないなぁ」

「外は寒くなってきたよー」

 栞が俺の血圧を測りながら話かけてくれている。最近、屋上にも殆ど行けなくなっていた。

「じゃぁ、何かあったら呼んでね」

 栞はポケットから何かを出して、サイドテーブルに置いてカーテンを閉めて出ていった。


 小さなどんぐりがにっこりと笑っていた。

 そして栞が休みの日に切り取ってきた景色も一緒に置いてあった。細い枝には茶色く染まった葉っぱがくっついていて、その上に広がるオレンジ色の空にはいわし雲が泳いでいる。笑顔になる前のどんぐりの写真もあった。長い長い入院生活で、俺が大事に使っていたカメラはファインダーを覗いてもらう事もなく俺の部屋で待っているのだろう。




「───えっ? せ、先生? 今何ておっしゃいました?」

 母ちゃんの声が震えている。

 俺は車椅子に座って、パジャマのボタンを見つめていた。

「転院をお勧めします、」

 本郷先生の悔しそうな声に、部屋がしんと冷たくなった。

「先生、颯真はここで治療を受ける事はできないのですか?」

 父ちゃんが、すがるような声で本郷先生に尋ねている。父ちゃん、多分無理なんだよ、きっと。

 最近の俺は、今までのように少しずつ回復していく事はなくなってしまった。それどころか、時折胸が苦しくなってナースコールで助けを呼ぶ事も増えている。

 俺の体に付けられた心電図のモニターは、時々不正確なリズムを刻んだ。

 鼻に付けられた『カニューレ』は体の一部となり、発作が起きると大きなマスクに変えられた。食事は何とか食べるようにはしているけれど、点滴の針を刺した後が腕にはいくつか残っている。


「本郷先生?」

「ん、一ケ瀬君どうした?」

「俺、死ぬの?」

 それを聞いた母ちゃんは両手で顔を覆った。

「一ケ瀬君、違うよ! 手術をするんだ、」

「ここでも手術できるじゃん、」

「一ケ瀬君、あのね、……」


 本郷先生は俺の心臓のレントゲン写真を見せてくれて、説明をしてくれた。

「一ケ瀬君の心臓が、頑張り過ぎてしまわない為に手術するんだよ。補助人工心臓って言ってね、こんな機械をここにつけるんだ。一ケ瀬君の心臓のポンプの役目を補助人工心臓にしてもらうんだよ」

「……なんかのヒーローのタイマーみたいだな、あと三分みたいな、」


 俺の言葉に、また部屋の中がしんと冷たくなる。もう、長くは持たないってことだろ?

 母ちゃんは顔を覆ったまま、肩が小さく震えている。父ちゃんは、ふぅーっと息を吐いた。

「一ケ瀬君、補助人工心臓を付けて移植を待つのはどうだろう、正直に話をするね。一ケ瀬君の心臓は大きな発作が起きて少しずつ弱ってきているんだよ」

「先生、移植ってすぐにはできないでしょ?」

 父ちゃんの苦しそうな声に、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。パジャマのズボンをぎゅーっと握りしめる。

「正直、どれくらいの期間がかかるかはわかりません。でも、それを待つ為に補助人工心臓を付けるんです」

「この病院ではできないんですか?」

「移植となると、残念ながらこの病院では出来ません。なので、大きな病院へ転院をして補助人工心臓を付けて移植を待つんです。」

「先生、俺やだよ?」

「ん?」

「移植なんて、やだよ? だって、人が亡くなるのを待つって事だろ? そんなの俺は望まないよ、」


「颯真、でもね、」

「でもねじゃないよ!」

 俺と母ちゃんのやり取りに、そっと本郷先生は加わってくる。

「まぁ、今すぐに答えを出す必要はないですから。一ケ瀬君、急にこんな話をしてすまないね。でも、僕は君を助けたい! 後はご家族と話をして決めて、ね?」

「……はい、わかりました」



 ベッドに戻った俺はしばらく何も話をしなかった。

「颯真、ゆっくり考えよう」

「……」

「颯真、気持ちはわかるけど、ね?」

「……」


 転院したら、栞にも会えなくなるじゃないか! 

 それに、それに、俺の心臓はそこまで悪い状態って事なんだろ?

 俺の心臓が以前よりも悪くなっている事は気づいていた。転院をして、補助人工心臓を付けるという選択をすべき時間が近づいてきていた。

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