第35話 美しい旅

―――三年後―――

 栞は認定看護師の試験前でとても忙しいようだ。病院内でも救命措置の講習をして、院内のスタッフへの指導も出来るようになって、俺は尊敬している。


 俺は相変わらず入退院を繰り返しながら、専門学校は一年遅れて卒業をした。今は理学療法士として、小さな病院で働いている。心臓には爆弾を抱えて生活をしている俺でも、何かの役には立っていけるだろう。


 広輝は大学を卒業して、IT企業に就職をした。そして、時々今でも家に遊びにやってくる。俺の部屋でゲームをする……というよりか、凪に会いにやってくる。

 凪はまだ大学生だ。カフェでバイトもしている。小さい頃はいつも俺の後ろにくっついてきていたのにな、と懐かしく思う事もある。


 いつからなんだろうか、広輝と凪が付き合っていた。入退院を繰り返していた俺を心配して元気がなくなる凪を支えてくれていたのだろう。

 広輝なら許せるとゆうか、ずっとふたりを見てきた俺からすると凪を任せられるのは広輝しかいないと思っている。


 俺と栞は相変わらずだった。発作が起きれば運ばれるのは栞のいる病院だった。栞が休みの時に運ばれた時も、栞は飛んできて様子を見にきてくれた。

 髪の毛は洗えなくてベトベトして臭いし、体だって拭くだけではやっぱりさっぱりとできなかった。

 時には酷く苛々として、八つ当たりのようになってしまう事もあった。 

 それでも栞は変わらずに俺のそばにいてくれた。車椅子を押して貰って、ふたりで病院の屋上で景色を眺めた。


 今はまた退院できて、仕事ができるようにまで復活した。だから患者さんの気持ちは痛いほどよくわかるんだ。葛藤や苦悩の日々の中で前を向く難しさを俺は知っている。だから、とことん患者さんに寄り添える理学療法士でありたいと思っている。リハビリはゆっくり、ゆっくりと進めなければならないし時間がかかるものだから。


「なぁ、栞?」

「ん?」

「約束してる花の写真、取りに行こうよ!」

「あ、山苛葉サンカヨウ?」

「そ、写真取りに行こう!」

「あの花が咲くのは五月くらいだよ、今は咲いてないよ」

「五月かぁー、まだまだ先じゃん!」

「その前に紅葉だよ、紅葉!」


 そうだった。次の休みに紅葉の写真を取りに行こうって約束したまま、俺は入院してしまった。そして、その約束は入退院を繰り返す度に先送りにされている。

「栞、連休取れない?」

「連休?」

「そ、俺も仕事あるから週末になっちゃうんだけどさ」

「三輪さんに相談すれば何とかなるかもしれない、私めったに希望出さないから!」

「ホント? 連休取れたら旅行行こうよ、撮影旅行!」

「えへ、撮影旅行? なんかワクワクするね! でも颯真が旅行行きたいって珍しいね、」

「あぁー、怖いんだよね、ちょっと」

「そっか、無理しなくていいよ?」

「でも俺、栞と旅行に行きたいんだ!」


 俺は心臓病になってから、色々な制限の中で生活をしてきたんだ。特に塩分の制限は一番辛い。大好きなポテトチップは暫く食べれなかったし、食べれても少しだけにしている。母ちゃんが一生懸命工夫をして料理をしてくれているお陰で、食事は美味しく食べられる。運動だって全力で走り回ったりしたいけど、そんな事はできなかった。リハビリをして運動量は増えたけど全力ダッシュなんて夢のような話だ。


 この前の入院の時はペースメーカーを入れるかどうか、なんて話も出ていた。拒否反応が起こる事もあるらしく悩んだが、体調が落ち着いてきたのでやらなかった。


 理学療法士として患者さんのケアをしていると、皆が良く口にするんだ。

『元気になったら少し遠くに行ってみたい』って。

 何か目標みたいなものがある人の方が、元気になるのが早いような気もしている。




―――秋、俺と栞は秩父に来ていた。自然が豊かで、美しい川も流れている。

「気持ちいいねぇー」

「うん、すっごく気持ちいいー」

「紅葉はそんなに色づいてないねー」

「ちょっと早かったかもなぁ」

 心地よい風が俺たちを包み込むように吹き抜けていく。栞は両手を広げ、瞳を閉じて体全体に風を浴びている。栞の髪の毛が風に靡く。空は青くて所々に白い雲が浮かんでいる。俺は早速ファインダーを覗いてシャッターを押した。


 栞はこっちを向いて笑ってピースをした。

―――パシャ。栞がキラキラとして眩しかった。

 そして、栞もファインダーを覗いて俺の写真を撮った。

 俺たちお互いがカメラを覗いている写真を撮って、一緒に笑った。

 手を繋いで、のんびりと散歩をしながら景色を切り取っていく。ゆっくりと流れる時間、近くを流れる川のせせらぎ、水を飲みにやってきた鳥の囀ずり。

 景色が綺麗に見える喫茶店に入り、クリームソーダを頼んだ。栞がイチゴソーダで、俺はメロンソーダ。2つを並べて写真を撮って、アイスクリームを食べる。そっと耳を澄ませると、ぱちぱちとソーダが弾ける音が聞こえた。


 夜は部屋についている露天風呂にふたりで一緒に入った。栞の頬っぺがピンク色に染まっていて、とても可愛かった。肩を並べて湯船に浸かると、空にはキラキラと星が輝いていた。

「ぅわぁー、星が降ってきそうだね」

「んー、こんなに綺麗な星初めてかも」

 栞の事を真っ直ぐに見れなくて、星を見上げて視線を反らした。

 もう付き合って五年くらい経つんだけどな。

 お互いに全てを知っているのに、なんだか恥ずかしくて。栞は一緒の布団に入ると子猫のように小さく丸くなってくっついてくる。

 そんな栞を俺は優しく、時にはぎゅうーって抱き締める。


 のんびりと朝を迎えて、また散歩をしながら景色を切り取った。

 カラカラと舞う落ち葉を避けながら、手を繋いで、いつものように美しい空の景色を切り取った。地面に落ちていたどんぐりに足が当たって、コロコロと転がった。

 楽しくて美しい旅行だった。


 この旅行から数ヶ月後、また俺は病院のベッドで目を覚ますのだ。

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