第34話 ふたりのアルバム

 太陽の光が窓から射し込んでいる。遠くに見える空には、秋の気配を感じさせる雲が流されている。風が強いのだろう。

 ふと見ると、母ちゃんがまた窓辺に寄りかかって眠っていた。また、ブランケットがかけられている。栞だろう、と俺は思った。


 なぜ、あんな風に取り乱してしまったのだろうか。自分でもよくわからない。

 ただ、悔しかった。俺の心臓の病気は治っていないのはわかっていたけど、心のどこかでは大丈夫なんじゃないかって思っていたのだろう。確かに普通の生活を送る事は出来ていたし、食事だって薄味だけど普通に食べていたし。栞と出掛けたり、一緒に過ごしていれば十分だったんだ。


(俺、かっこ悪っ……)

 結局、母ちゃんにも栞にも、本郷先生にも迷惑をかけてしまった。そして父ちゃんや凪や広輝だって、また心配するに決まってる。


「颯真」

 栞だった。髪の毛を後で一つにくくっていて、届かない毛が少し落ちてきていた。

 急患は俺だけではないから、きっと大変だったのだろう。

「栞、ゴメンな、」

「謝らないで、何も悪くない!」

「でも……俺さっき、」

 栞の手がそっと俺の腕に触れた。さっきもこうしてくれたんだ。

「ここにいる間は、私が颯真の担当だから。もちろん他の看護師も、みんな颯真の事をちゃんと見てくれるからね」

「情けないな、俺は弱い、」

「弱くてもいいじゃない! しっかり食べて生きるの! それってすっごい事なんだから!」


 栞の瞳は太陽の光に照らされて、茶色く光って見える。とても美しく、力強く、俺を見つめてくれている。

 俺はこの瞳を信じて行こう、そう思えた。



「あら、中川さん」

 母ちゃんが目を覚ました。ほんの少し、うとうととしただけだろう。目は赤くて、顔は窶れている。

「母ちゃん、帰って寝たら? 俺は大丈夫だから」

「颯真、心配しなくていいのよ」

「いや、するよ。母ちゃんまで倒れたら困るし、着替えとかは凪や父ちゃんには任せられないからさ」


「一ケ瀬さん、颯真の言う通りですよ。お家に帰ってゆっくり寝て下さい。私、もう少しで仕事終わりますから、ね?」

「中川さんに無理はさせられません」


 ふたりの会話を俺は遮る。

「ふたりとも、だよ! 母ちゃんもゆっくり寝て、栞もちゃんと帰って寝て! 看護師なんだから、患者は俺だけじゃないだろ?」

 母ちゃんと栞は顔を見合わせて微笑んでいる。何だかちょっぴり嬉しかった。

「わかった。帰って寝てから夕方に着替えとか持ってくるね」

「よろしく、明日でもかまわないから」

 俺は母ちゃんに少し笑って見せる。

 そして、栞にも笑って見せた。

「じゃぁ、仕事終わったら顔見て帰る」

「ぉん、ふたりともそうしてくれ」


 食欲もなかったので、食事は殆ど取れなかった。何となく気だるい体、俺の気分はすっきりとはしてくれないようだ。

 夕方になると、母ちゃんと凪が着替えを持って来てくれた。

「お兄ちゃん、もう苦しくない?」

「今は大丈夫だよ。てか、お前また俺のパーカー着てんじゃん!」

「でへへ」

「でへへじゃないぞ、汚すなよ!」


 凪はすぐに俺のパーカーを着たがる。トレーナーやTシャツは着ないのに、パーカーだけは勝手に着るんだ。(萌え袖)だかなんだか知らないが、大きなパーカーなのに袖口を引っ張って着てしまうから直ぐにヨレてしまう。

 しかも、パーカーだから洗濯すれば乾きにくい。俺が着たい時に干されていたりする。


「お兄ちゃん、ゲームと充電器。それと、これ持ってきた!」

 栞が作ってくれた手作りのアルバムだった。

(あぁ、そうか、また暫くは入院生活だ。)

「アルバム増えたねー」

 凪はニヤニヤとしながら、アルバムを捲っている。

「お兄ちゃんと栞ちゃんのツーショットはないんだね、」


 そう言われてみれば、ふたりの写真は一枚だけだった。それも携帯で撮ったやつ。俺が専門学校に入学した頃、お祝いで連れて行って貰った海辺のレストラン。パスタが美味しくて、潮風の香りがする開放的なレストランだった。海をバックにふたりで携帯で撮った写真は、携帯の待ち受けになっている。



「景色や自然を撮る事が多いからね、」

「でも、お兄ちゃんの写真はあるよ! これ、綺麗だなぁー、」

「栞は、光を使うのが上手いから」


 沈む夕陽を眺めている俺の横顔、これは初めて栞が撮ってくれた写真。俺のお気に入りだ。髪の毛が風に靡いていて、波の音が聞こえてきそうな写真。他にもたくさん、俺のお気に入りが並んだアルバム。他にも、俺が切り取った景色や、数枚だけ撮らせて貰えた栞の写真。

『お化粧してないから』

 って、なかなか撮らせてもらえなくて。

 空の写真を撮っている栞を入れて、俺は景色を切り取った。カメラのレンズを覗きながら、上を向いて真っ直ぐに立っているいる栞の横向きのシルエット。ロングスカートが風に靡いていて、栞の上にはオレンジ色の空が広がっている。


――いつかふたりで写真を取りに行こうねっ! って、約束をしたんだ。雨上がりの後の山苛葉サンカヨウの写真。いつになるのかわからないけど、絶対に栞と一緒に行って撮るんだ!

 俺たちには『アイオライト』のお守りがあるんだし、きっと大丈夫だよな。

――羅針盤よ、導いてくれよな、頼むよ!



「あ、栞ちゃんだ!」

 凪がにっこりと微笑むと栞の声が聞こえた。

「凪ちゃん! あ、そのパーカー可愛いね!」

「えへへ、でしょ?」

「そりゃそうだよ、俺のだもん!」


 ほんの少しだけ、心が落ち着いた。凪や母ちゃんの顔、凪との会話。

 何よりも、俺には栞という看護師が寄り添ってくれている。

 また、頑張ればすぐに退院できるだろう。

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