第29話 月が満ちる夜

 今日は栞ちゃんの二十二歳の誕生日。

 公園で写真を撮って、プレゼントを渡した。それから買い物をして、栞ちゃんの家まで歩いている。買い物袋の取っ手を片方ずつ持って歩く。

「俺が持つよ!」

 と言ったけど。栞ちゃんはこれがやってみたかったらしい。俺は栞ちゃんと手を繋ぎたかったんだけど。

 袋からはみ出ている長ネギが歩く度に揺れている。

 俺の反対の手には小さなケーキの箱が握られている。

「今日は月が丸いねぇー」

 すじ雲の向こう側に、白い月が見えている。

「満月かなぁ」


 今日は母ちゃんにご飯は要らないって伝えてきた。

 父ちゃんは久しぶりに早く帰って来れるのにって残念そうだったけど。


「何か手伝う?」

「じゃぁ、これ混ぜて!」

 栞ちゃんは出汁が入った少し大きなお鍋に、お豆腐や俺が混ぜたつくねを手際良く入れていく。ザクザクと切った白菜と、さっきまで栞ちゃんと俺の間で揺れていた長ネギもあっという間にお鍋に入れられた。

「豚肉も入れちゃお!」


 蓋を開けるとふわっと湯気が上がった。

「おっ、うまそ―――!」

「熱いから気をつけてね、」

「いただきまーす!」

「いただきまーす!」

「栞ちゃんの誕生日にご飯作って貰っちゃって……ゴメン、」

「お鍋は簡単だから気にしないで!」


 家での賑やかな食事もいいけれど、栞ちゃんとふたりで食べる食事はとても美味しい。

 栞ちゃんがふぅふぅってして、熱そうにはふはふしている顔がとっても可愛かった。

「ん? なぁに?」

「いや、何でもない」

 可愛いなんて、恥ずかしくてまだ言えなかった。いつか言えるようになるのかな。

「温まるねー」

 って栞ちゃんのほっぺがピンク色になって。

「うん、温まるー」

 と答えた俺の顔も少し赤くなってんのかな。


 食事が済んで、洗い物はふたりで片付けた。

 買ってきた小さなケーキにロウソクを立てて、部屋の明かりを消した。

「ハッピーバースデートゥーユー……」

「栞ちゃん、おめでとう!」

「颯真君、ありがとう!」

 栞ちゃんはふぅーっとロウソクの火を消した。

 そしてまた、俺は栞ちゃんにキスをした。何度も何度もキスをした。

 少しずつ、少しずつ、深いキスをした。


「栞ちゃん、大好きだよ、」

「颯真君、私も、」


 雨に濡れた日に初めてふたりで裸で抱き合った。それから何度か、そうやって布団の中で体温を感じていた。

「栞ちゃん、俺、……」

 俺は初めてだからどうすればいいのかわからない。栞ちゃんもそうだと言っていた。

「颯真君、私、いいのかな」

「えっ、いけないの? 俺が高校生だから?」

「いや、私が年上だから……」

「何も悪い事してないよ、」

「そ、うだよね、」


 少しずつ、少しずつ、俺と栞ちゃんは服を脱ぎ布団の中に入った。やっぱり栞ちゃんは柔らかくて、強く抱き締めると壊れてしまいそうだった。

 だから、そーっと優しく抱き締める。

 栞ちゃんと俺はゆっくりゆっくりとひとつになった。


「見て、お月様が丸くて大きい」

「ん、ホントだ」

 レースのカーテンの向こう側で月が満ちていた。とても綺麗な夜だった。



「父ちゃん、母ちゃん、あのさ」

 もう進路希望の提出期限が過ぎていた。

「俺の進路の事なんだけど」

「決めたのか?」

「専門学校に行かせて欲しいんだ」

「専門学校? 大学は? 一年くらい浪人したってかまわないよ?」

「それも考えたんだけど、やりたい仕事見つけたんだよね」


 退院して自宅療養をしていた頃、よく考えていた。

 高校は卒業出来るのか、大学はどうするのか。その頃からふんわりと心の中にある気持ちが芽生えていた。


「理学療法士になりたいんだ」

「理学療法士?」

「俺が入院していた時、リハビリをしてくれた人には本当にお世話になったんだよね」

「大学に行ってからでも資格は取れるんじゃないか?」

 父ちゃんは大学に行ってほしいようだ。学歴社会のど真ん中だもんな、気持ちはわからなくもない。

 ただ、俺は、俺の体は健康ではないんだ。いつ、何が起こるのかわからない。


「父ちゃん、俺はやれる時にやっておきたいんだ!」

「颯真、体の事なら……」

「後悔したくないんだ、頼むよ、薬もちゃんと飲むし、病院も行く!  だから挑戦させてくれよ、頼むよ、」


 父ちゃんや母ちゃんを困らせたい訳じゃないんだ。でも、やっぱり母ちゃんは泣いていて父ちゃんは腕組みをして下を向いている。

 凪は階段の上で心配そうな顔をして聞き耳を立てている、であろう。


「そうか、わかった! 学校の資料集めて持って……」

「これ!」

 締め切り間近の場所もあったので、俺は出来る限りの資料を集めていた。

「準備がいいなぁ」

 と父ちゃんは苦笑いをして、母ちゃんは涙を拭った。


「資格をちゃんと取れば、何とか仕事はしていけるだろ? 大きな病院じゃなくても、介護施設でも、小さな医院でも」

 そこからいくつかの専門学校に絞り、見学に行かせて貰った。年末に向けて栞ちゃんはますます忙しくなった。俺も専門学校を決めて、高校の授業の遅れを取り戻すために勉強をした。

 栞ちゃんともなかなか会えない日々が続いていたけれど、毎日ほんの少しだけ電話で話をした。


「今度、お互いに撮った写真ゆっくり見せ合おうね!」

「栞ちゃんが最高だと思う写真見たいな」

「あー、今までの写真の中でって事?」

「そう!」

「ん、わかった、用意しとく!」


 俺の鞄には栞ちゃんとお揃いのキーホルダーが付いている。


『アイオライト』

―――夢や希望への羅針盤―――

 きっと、このキーホルダーが導いてくれる。

 そう信じて、俺は机に向かった。

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