第27話 自分磨き―栞Side
颯真君が学校へ行けるようになった。
夜勤の休憩中に届いていたメールの文字は何だか嬉しそうに跳び跳ねて見える。たまにしか送られて来ないスタンプはにっこりと笑っていた。
『おめでとう! 明日から行くの?』
『ありがとう! 明日から行くよ、昼までだけど』
『良かったねー!』
『仕事中だよね、また時間がある時に電話してー!』
『わかった!』
颯真君と一緒に出かけて写真を撮ったりする時間も減ってしまうかもしれない。だけど、私はやりたい事があった。
せっかく救命救急で看護師として働いているのだから、救急看護師の資格を取る為に頑張ろうと決めた。
今では(クリティカルケア)と呼ばれる認定看護資格だ。もちろん、今すぐには取れない。5年以上キャリアを積まなくてはならないし、それまでに取得できる資格は身に付けておかなくてはならないのだ。
一時救命・二次救命・小児救命・トリアージナース……。
私は急性期看護に対応できるスキルとスピードを身に付けたかった。
休日はたまには颯真君とデートだってしたい。だけど、時々セミナーにも参加させて貰った。大変だけれど、やりがいがある。自宅で勉強しながら寝落ちしてしまう事も時々あって、参考書の跡をおでこにつけたまま出勤する事もあった。
「おぃおぃ、勉強も大切だけど目の前の患者さん大事にしなきゃ!」
と、本郷先生はおでこを指差して私に声をかける。
解っている、本郷先生が言いたい事も私を心配してくれている事も。そして、私は颯真君に何かあった時に対応できる存在にもなっておきたかった。
今思うと焦っていたのかもしれない。
「はい、すみません……」
フゥ―――っと深呼吸をして備品の補充を始めた。
―――ピーッピーッピーッ!
助けを求めるコールの音が鳴り響いた。
「はい、風花救命救急センターです!」
本郷先生の声が聞こえる。
「五分後に到着だ。行くぞ!」
「はいっ!」
―――ピーポーピーポーピー……。
救急車が到着した。救急隊からの引き継ぎを受けながら、患者さんを処置室に運ぶ。
「意識混濁、女性。ODの可能性があります」
「おう吐は?」
「今のとこないです」
「薬はわかる? 何錠くらい?」
「はい、これ……時間が……」
OD(オーバードーズ)? 何の薬だろ。慎重に、本郷先生の指示に従わなくちゃ!
女性が飲んだ薬のシートはぐちゃぐちゃとなり、袋に入れてある。
「これ、七十か八十錠はありそうだな」
「ここで処置できますかね」
「やるしかないな」
山岡先生と本郷先生が難しい顔をして相談している。
「ここは病院ですよー、わかりますか?」
声をかけても反応がない。一緒に救急車に乗ってきた母親はひどく混乱している。
「優子、あの! ねぇ、優子!」
私はまず、母親に声をかけた。
「お母さん、落ち着いて下さい! ここは病院ですから! 優子さんの異変に気づいたのは何時くらいかわかりますか?」
母親の手は小刻みに震えている。私は母親の手を両手で包んだ。
「お母さん、ここには医者がいますから。安心して下さい! ねっ、優子さんがお薬を何時くらいに飲んだかわかりますか? お薬手帳とかありますか?」
「お、お手帳はこれ。あのー、あのー」
「本郷先生、お薬手帳あります!」
「おっ、見せて!」
本郷先生に手帳を渡した。
「尿検査したいなぁー、できるかー?」
先輩ナースの神田さんがバタバタと動いている。
「ルート確保出来ました! 尿管入れて採ります?」
「んー、いつ飲んだかわかればなぁ」
私は再び優子さんの母親に声をかける。
「お母さん、思い出せませんか? 優子さんが様子がおかしいのに気づいたのは?」
「声をかけたけど夕食要らないって……」
母親は震える手を必死で握っている。
「それ何時頃ですか?」
「七時か七時三十分か……」
「優子さんを見つけたのは何時ですか?」
「九時過ぎてたと……で、慌てて救急車呼んだから、あの、私、あの……」
「ありがとうございます。先生が診察してくれてるので落ち着いて下さいね」
「本郷先生!」
私は聞き取りをした情報を本郷先生に伝えに行った。
「んー、微妙だなぁ、どうしようか。山岡先生、どう思う?」
「一時間は経っている可能性ありますね、けど眠剤っすよね。」
「洗浄しても意味がないかもなぁ」
「採血して血液検査、至急!」
「はいっ!」
私は必死で本郷先生の指示に従って処置をした。
「採血しますねー! 腕捲りますよー、優子さん、わかりますか?」
すると、神田さんが大きな声で言った。
「おう吐しました!」
「よし、じゃあ洗浄なしで、血液検査急いで――、尿検査はー?」
「はい、今出してきます!」
「点滴で様子みよう、あとは血液検査の結果だな、お母さんに説明してくるから、山岡先生しばらく様子見ててー」
「はい!」
落ち着いて静かになった部屋。優子さんはまだ意識は戻らない。
血液検査の結果、肝臓に大きなダメージはなかった。だが、薬の成分はまだ彼女の体の中にある。点滴で薬を入れて覚醒するのを待っている。母親は心配そうに見つめている。
彼女の苦しみや寂しさをこれからどうしてあげればいいのだろうか。
最近の救急搬送にODの患者さんは増えている。優子さんは数件の病院で受け入れが出来ずにここへ運ばれて来たようだ。
本郷先生がポツリと口にした。
「これからだろうなー」
「これから?」
「そう、ODは助けてってSOSなんだよ」
「助けて……?」
「もう二度としないように、心のケアをしてあげる事が大切なんだよ。難しいよなー」
「早く薬が抜けてくれるといいですね」
「そうだな、その後どうするかなぁ、様子見て帰すのか、転院するのか」
「頑張ってほしいな……」
病室から見える真っ暗な空に月が浮かんでいた。満月にはまだ遠い欠けた月には灰色の薄い雲がかかっていた。
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