第26話 制服
『広輝、今日から俺も学校』
『マジか』
『とりあえず午前中だけ』
『俺も今日昼までだぞ』
『終わったら連絡する』
『おけ』
帰りは広輝と帰って来るだろう。
母ちゃんがアイロンをかけてくれたシャツを着て、ズボンを履く。ちょっとだけウエストが大きく感じるが、ベルトを通せば問題なかった。まだ暑いかもしれないが、紺色のベストを着て殆ど中身の入っていない鞄を持った。
「颯真、駅まで送ろうか?」
「大丈夫だよ」
「気をつけてね!」
「いってら」
「いってきます」
母ちゃんと凪に見送られて、俺は駅へ向かった。栞ちゃんと会うために駅まで歩く事はあったけど、制服を着て歩くのは随分久しぶりだった。
朝なのに日差しはジリジリと照りつけ、吹き抜ける風は湿度を帯びて生ぬるい。濃い緑色の葉っぱが生い茂る木にしっかりとくっついているセミの脱け殻。
甘い蜜を探してヒラヒラと舞う蝶々。残り僅かな夏を懸命に生きる虫達。木陰を探して、のんびりと横切っていくのら猫。
久しぶりの登校で少し緊張しているが、俺は楽しみながら歩いた。ベストはまだ早かったかな、と俺はシャツの袖を捲った。
通勤ラッシュの時間は相変わらずで電車に詰め込まれる。スーツを着たおじさんのタバコの臭い、汗だくで色が変わってしまったTシャツを来ている男性がタオルで汗を拭く。
久しぶりなこの不快な感じも、そのうち慣れてくるだろう。俺は音楽を聴きながら電車に揺られていた。栞ちゃんの影響で聞く音楽も少し変わった。
携帯にメールが届いた。栞ちゃんからだ。
『今ちょっと休憩ー! 学校楽しんでね!』
『ありがとう。行ってくる!』
栞ちゃんは(救急看護師)の資格を取る為に勉強を始めた。この資格があると、できる事が増えるそうだ。頑張っている栞ちゃんを俺は凄く自慢に思っている。負けないように、俺もできる事をやるんだ。
会えない時間が増えるけど、写真を撮って見せ合おうよー! って。栞ちゃんはニコニコと笑顔で言ってくれるし。何より学校に行くという日常に復帰できる事が嬉しかった。
満員電車から押し出されるように、学校の近くの駅で電車を降りる。同じ制服を着た学生が一斉に同じ方角へと進んでいく。俺もその中の一人だ。
「あれ? 一ケ瀬じゃね?」
隣の車両から出て来たであろう二人組に声をかけられた。同じクラスの吉田と沢本だった。
「おぅ、久しぶり」
「お前、もういいのか?」
「まぁ、少しずつだけどな」
「良かったよー!」
「お前、なんか背が高くなった?」
「んな事ねーだろ」
「いや、マジで。なんか違う」
くだらない話。どうでもいい話。
だけど何だか嬉しい気持ちになった。そう、何気ない日常は素晴らしいって事を俺は知ってしまったからだ。病院のベッドの上で、嫌になるくらい感じさせられた。今日から俺は高校生に戻ったんだ。普通の生活に戻れたんだ。
運動の制限なんてたいした事でもないし。そりゃー走り回ったりもしたいけど、大切な事は他にもたくさんある。
「なぁ、今日学校昼までだし、帰り遊んでかねぇ?」
「吉田、一ケ瀬はまだ……そんなに、なぁ?」
と沢本が俺を気遣ってくれる。
「ぉん。さすがにまだ無理だなぁ。俺勉強も遅れてるしさ。でもサンキュ!」
「まぁ、そのうち昼飯一緒に食べようぜ!」
沢本はポンと俺の背中に手を当てた。
あー、この感じ。最高に楽しい!
「屋上で食べる弁当うまいだろうなぁ」
俺はそう言いながら空を見上げた。
青空は大きくて、白い雲は自由に形を変えながら浮かんでいる。風のイタズラでちぎれた雲もうっすらとその存在を示している。
(カメラ、持ってくれば良かったかなあ。)
俺はカメラに夢中になっていた。
というか、栞ちゃんに夢中になったのか。病院で見た、栞ちゃんが景色を切り取るポーズを俺もやってみる。太陽が眩しくて思わず目を細めたが、夏の終わりの空は青くて美しかった。
「おい、一ケ瀬、何やってんだ?」
「お、おう」
吉田に呼ばれて、ふたりの後を追った。
教室に入ると、俺はクラスメイトから歓迎の言葉をたくさん貰った。
「入院してたんだよね?」
「救急車で運ばれたって聞いたぞ!」
「お帰りー!」
「もう大丈夫なの?」
「何かあったら言ってね!」
なんて薄っぺらい言葉ばかりだった。まぁ、仕方ない。俺は三年生になったばかりで入院してしまったのだから。確かにホントにそう思ってくれているのだろうけど、俺の心には響いてはこなかった。
クラスメイトの絆は、俺がいない状態で強く築き上げられたものだ。これからのんびりと本物の仲間になっていけばいいや。まだ掴みきれていない教室の空気を吸いながら、学校のチャイムが鳴るのを待った。
そして、久しぶりの担任の三木先生が教室に入ってくる。
「起立!」
日直の声で立ち上がる。
「礼!」
「着席!」
「えーっと、今日から一ケ瀬君が登校出来るようになりました。一ケ瀬、良かったな、おめでとう!」
「あ、ありがとうございます」
「一ケ瀬君は体調を見ながらの登校になります。お医者さんと相談しながら少しずつになるので、みんなも理解をして下さい。宜しくな!」
三木先生がそんなふうに説明してくれて、ホームルームが始まった。遅れている授業をどうやって取り戻そうか、俺は嬉しい反面、少し不安にもなった。みんなは進路などもある程度決まっているだろうけど、俺は全く考えていない。
さて、どうしたもんかなぁ。
ただ、とにかくあの日から止まってしまった俺の学生生活は再び動き出した。
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