第25話 通学許可

 夏休みも終わり、新学期が始まった。まだ少し眠そうな凪を見送る。

「いってらぁー!」

「いってきまぁー!」


 片付けを終えた母ちゃんも忙しなく用意をしている。俺の定期検診だ。確か今日は血液検査もあったような気がする。


「颯真、行こうか」

「ほーい」

 母ちゃんの助手席は何だか少しつまらないと思ってしまう自分がいた。

 病院まで続く道はまだ夏の暑さが残っている。遅く生まれたセミの鳴き声がまだ聞こえてくる。それでも季節は少しずつ秋に向かって進んでいく。栞ちゃんと一緒に撮り始めた写真が楽しくて、花にも目を向けるようになった。


 病院で受付を済ませ、待合室のソファに腰かけた。

「今日はゲームしないの?」

「ぉん。母ちゃん見て、俺が撮った写真!」

 母ちゃんが興味深げに俺の携帯を覗き込む。以前は携帯を覗かれるのが嫌だった。別に見られて困るわけではないけど、意味もなく嫌だった。

 だけど、今日は俺から母ちゃんに携帯を見せている。栞ちゃんと一緒に撮った写真や、自分の部屋からの景色を切り取ったもの。


「へぇー、颯真がこんな写真撮るなんて知らなかったー」

「栞ちゃんに教えてもらった、いろいろ」

「素敵な人よねー、お母さん栞ちゃんの事好きよー!」

「ん」

 何だか照れ臭くなって、曖昧な返事をした。

 何よりも俺は『生きる』って事がどんなに素晴らしい事なのかを教えて貰っている気がしている。本郷先生にも教わったような気もしているけど、栞ちゃんと付き合うようになってから俺は変わったかもしれない。


 道端に咲いている花に興味なんてなかったし、空を見上げて綺麗だなんて感じた事もなかった。




「一ケ瀬さーん、一ケ瀬颯真さん!」

「はい」

 俺は返事をして母ちゃんと診察室に入った。

「こんにちわ、イケメン君!」

「こんちわっ」

 相変わらずの本郷先生になぜか少しホッとする。今日もやっぱりうっすらと髭が伸びていて、寝癖もついている。きっとバタバタと忙しく、仮眠を取っただけなんだろう。


「血液検査の結果は――っと」

 本郷先生はパソコンに送られてきた俺の検査結果を確認している。

「ん、特に異常なしだねー。エコーも……と、んー大丈夫そうだね! 調子はどう?」


 本郷先生はくるりと椅子を回して俺の方に体を向ける。

「はい、元気です」

「顔色も良くなったね、日焼けした?」

「海とか公園とか、よく行くからかな」


「本郷先生、颯真、最近写真を始めたみたいで……」

「あーも、言わなくていいから!」

 俺は母ちゃんの言葉を慌てて遮った。

 が、本郷先生はニヤニヤと笑いながらパソコンにカタカタと入力をしている。

「いいんじゃないですかねー、楽しいか? 写真とやらは」

「はい、花の名前とか知らなかったから」

「ほぉー! いいねー。胸の音聞かせてくれる?」


 俺はシャツを捲って、本郷先生が聴診器を当てる。何回やっても慣れないこの感じ。時々本郷先生は脇やら背中の方にまで聴診器を当てるので、ドキドキする。


「はい、ありがとう。いいよ」

 カチャカチャカチャカチャ……。

 パソコンに打ち込まれる文字、本郷先生の言葉をジーッと待つ。緊張の時間だ。


「息切れしにくくなったんじゃない?」

「はい」

「体重は増えた?」

「退院してから増えました」

「足とか浮腫んでない? ちょっといい?」

 本郷先生が俺の足を見てさわっている。

「うん、浮腫んでないね。食事はどんなもの食べてる?」

「母ちゃんが作ってくれたものです。たまには外食もしますけど……」

「お母さん、疲れてませんか?」

「いいえ、全然! 作り方は変わらないですし、お塩やお味噌を減らして薄味にして足りない人は自分でかけて貰うだけなので」

 うふふと笑顔になりながら、母ちゃんは楽しそうな顔をして答えている。


「薄味は基本的に体にはいいですからね、外食もラーメンなどのスープを飲まないようにするだけでもいいですからね。お母さんも頑張り過ぎないようにしてくださいね!」


 本郷先生が母ちゃんを見て笑顔で声をかけると、母ちゃんは少し目が赤くなった。心配かけているんだな、やっぱし。


「え――っとね、学校なんですけど」

「学校、行ってもいいの?」

 思わず俺は声を出してしまった。


「ハハハ、行きたいよね? どーしょっかなぁー! なんてね!」

「先生、俺、学校行きたいよ!」

「うん、いいよ!」

「いいの?」

「お母さん、学校の先生と相談して少しずつ登校して様子を見てください!」

「まじで、やったぁー!」

 俺は嬉しくて母ちゃんの顔を見ると、母ちゃんが泣いていた。

「母ちゃん、泣くなよ」

「ゴメンゴメン」


「お母さん、まだまだこれからですよ。ゆっくりね。一ケ瀬君、運動だけは制限を付けさせて貰うよ? いい?」

「はいっ! 見学する!」

「あと、無理して行かない事を約束してくれるかな?始めは午前中だけ登校してみるとかね」

「今日にでも学校と相談してみます!」

 母ちゃんが言ってくれて、通学の許可がおりた。


「薬はちゃんと飲んで、しっかり休むんだぞ! 定期検診は今まで通り来ること」

 と、本郷先生と約束をした。


 いつものお薬を貰って母ちゃんの運転で自宅へ帰る。母ちゃんの横顔が心なしか嬉しそうに見える。

「靴下とか新しいのん買う?」

「今あるので大丈夫だよ。新入生じゃないんだから」

「あら、そうね」


 何でもない会話だが、俺は本当に嬉しかった。やっと学校に行ける! 半日でもかまわないし、体育を見学するくらいたいした事ではないし。俺は高校生に戻れるんだ。



「母ちゃん、ありがとう。これからも頼むよ」

「なあに、急に」

「いや、何となく。今日はホワイトシチュー作ってくれる?」

「颯真の好きなものじゃなくて?」

「ぉん、凪の好きなホワイトシチュー作ってくれる?俺はお湯で薄めて食べるから、普通のホワイトシチュー作って!」

「了解」


 母ちゃんの目が多分、また赤くなっているんだろうけど。俺は見ないふりをして、車の窓の外を流れる景色を見つめていた。

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