第17話 偶然の再会―栞Side
――カシャッ。
――カシャッ。
風の匂いが夏に変わっていた。
束ねていない髪の毛が、風にふわりと靡く。
私はカメラを持って、のんびりと歩く。
強い太陽に照らされながら、暑さを忘れて景色を切り取っていた。
『風花救命救急センター』で看護師として奮闘する毎日が続いている。時にはどうしても救えなかった命に向き合う事もあった。
(悔しい……苦しい……)
そんな記憶が時々私の脳裏を横切る。
「中川ー、アッペ! 連絡しといてくれ!」
「はいっ!」
―ガチャガチャ……。
「ルート取れたー?」
「痛いよねー、頑張れー!」
緊迫した声と器具の音が響く処置室。
本郷先生の指示が飛び、私はついていくのに必死だった。夕暮れ時の交通事故。
小さな子供だった。泣き崩れる両親の姿が目に焼き付いて離れない。
本郷先生が、屋上にいた私から少し離れて座った。
「悔しいよな……」
「……はい」
「俺は昔、一度救命から逃げた事があるんだよ」
本郷先生はゆっくりと話し始めた。
一緒に暮らしていた彼女の病気が再発して入院してしまった頃。本郷先生はその病院のドクターヘリに乗っていた。
大きな事故現場にドクターヘリで行った。目の前の患者を助けようと必死で頑張った。
それでもどうしようもなくて、トリアージタッグを黒の所で切らなければならなかった。この時の命の選別はたまらなかったそうだ。
そして病院に戻った時、彼女が急変していた。そしてそのまま、彼女は息を引き取った。
「俺は何のために医者をやっているのかわからなくなってね、医者としての自信もなくなったよ。暫く休んで復帰したけど、その時ヘリに乗るのは辞めたんだ」
寂しそうに、本郷先生は缶コーヒーを一気に飲み干した。
「中川、これからたくさん経験していくんだぞ。何とかしてついて来て欲しい」
「……はい、頑張ります」
そう答えた私に本郷先生はぽつりと言って、その場を離れた。
「頑張ってるんだから、そのままでいいさ」
――私はきっと恵まれている。
久しぶりの2連休だ。昨日は看護学校の時の同級生とランチをした。
「栞が羨ましいなぁ。私の所なんて、もう2人も辞めちゃったよ!」
「えっ?」
「口を開けば『バカヤロー!』『違うだろ!』だもんなぁ」
「先生が?」
「そ。私も何回も経験してる。ま、未熟だから仕方ないんだけど。人手不足だから、今はベテランさんが何とかしてくれてるけど」
「そっか。私は恵まれているとは思っていたけど、そんなにかぁー」
「そんなにだよー、休みに出かけるのも久しぶりだよ。栞に聞いて貰えて嬉しいよ」
「そうか、そうか。いつでも聞いたげるぞ!」
と、私はそっと肩に手を乗せた。
彼女の肌は少し荒れていた。
今日は休日だからか、家族連れが多く公園に集まっていた。レジャーシートを敷いて、くつろぐ家族の声が風に吹かれて楽しそうだ。
上を見上げると、アオギリの小さな花が咲いていた。大きな葉は濃い緑色に染まり、風が吹くとゆっくりと揺れる。クリーム色の花が時折飛ばされて綺麗だった。
空も一緒に入れて、シャッターを切った。
汗が一筋流れ落ちたので、シャツの袖を捲った。
少し小高くなっている丘に大きな桜の木が見えてきた。手作りのアルバムを作った時は桜の花が咲いていた。今は緑の葉がサワサワと風に靡いている。
私は近くのベンチに座って少し休むことにした。家から作ってきたお握りと卵焼きを食べながらお茶を飲んだ。
近くでレジャーシートにお弁当やお菓子を広げて、楽しそうに会話をしている家族。時折、アハハ! と笑い声が聞こえる。
父親とボールを投げて遊ぶ女の子。
どこからか見つけてきた木の枝を持って、何かと戦っている少年。
私は仕事を忘れて充電をする。
空を見上げて息をいっぱいに吸い込んだ。
突然、強い風が吹いた。
おにぎりを包んでいたハンカチが風に乗って飛んで行った。
(あっ! ハンカチが……!)
私が慌てて拾いに行こうとハンカチを追いかけた。
「あー、風でハンカチ飛んじゃってる!」
女の子が大きな声で言って、隣にいた男の子が拾ってくれた。
「あ――、ごめんなさい! ありがとうございま……」
「あれ? どこかで見たことあるー!」
「へっ?」
私が顔をあげると、そこには見覚えのあるご家族がいた。
「……中川さん?」
私の心の奥がトクンとなった。
「一ケ瀬……君?」
「はい!」
「あ――、ここの写真をアルバムにしてくれた看護師さんだ!」
「あ、えっとー、ご無沙汰しております」
「あら、あの時の看護師さん?」
一ケ瀬君のお母さんだった。
「颯真がお世話になりました!」
「いえ、一ケ瀬君、随分元気になって、すぐには気付きませんでした」
一ケ瀬君は顔色も良くなって、にっこりと微笑んでくれる。太陽の下でキラキラと輝き、サラサラとした髪をかきあげた。
「ねー、中川さんもちょっと一緒に食べようよー! ねっ、お母さん?」
「そうねぇ、たくさんあるから。よろしければいかがですか?」
「いゃ、でもご家族の団欒にお邪魔するのはちょっとー」
と、私は少し遠慮したのだが。
「えー、広くんもいるし、たくさんの方がいいからっ、ねっ!」
と妹の凪ちゃんが私の手を引っ張ってくれた。
「じゃぁ、少しだけ……」
と、私は仲間に入れて貰った。
「ねぇ、中川さん! 今日はどんな写真撮ったの? 見せて――!」
って、凪ちゃんは人懐っこくて可愛かった。
「今日はねぇ、まだ、花とかかなぁ」
「へぇー。あ、これ綺麗な花!」
なんて、カメラを覗いてはしゃいでいる。
「凪ー、あんまり中川さんを困らせないようにな!」
一ケ瀬君の声は病院で聞いてた声よりも力強くて、優しかった。
「でも、偶然でもよく会えたよね、この大きな公園で」
と広くんが言った。
「ホントだ! ねー、中川さん、また写真撮ったの見せて欲しいから、連絡先教えて!」
「おぃ、凪! 中川さんにご迷惑だろ」
「えー、いーじゃん!」
「凪!」
と注意されていたけど。
「私なら、構いませんよ! 写真見て貰えると嬉しいですから!」
そして、私は連絡先を交換した。
「また、綺麗な写真撮れたら送ります!」
そう約束をして、その場を離れた。
何だか少し、心がぴょんと跳ねたような気がした。
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