第14話 贈る写真―栞Side
私は自分が撮った写真を手作りのアルバムにして一ケ瀬君に渡した事を少しだけ後悔していた。
(患者さんに個人的にそんな事して良かったのかな。)
夜勤がもう少しで終わる合図の朝陽が少しずつ昇り始めた屋上で、私はひとりで風に吹かれていた。
「今日は何を悩んでいる?」
振り返ると本郷先生がズボンのポケットに片手を突っ込んで缶コーヒーを飲みながらやって来た。
「い、いやぁ」
答えられるはずもなく、持っていたオレンジジュースを一口飲んだ。
「一ケ瀬君、外の景色に飽きると誰かの手作りアルバムの写真眺めてるそうだ」
「へぇー」
少しドキドキする。
「いいんじゃないか、別に」
「えっ?」
本郷先生は知っているのだろうか。
「言っただろ、医者や看護師もひとりの人間だって」
「あー、聞きました」
「だから、いいんじゃないか。別に」
「あのー、本郷先生?」
私が本郷先生の顔を見ると、本郷先生は遠い空を眺めていた。
「僕もあったんだよ、昔。自分の患者に恋をした。残念ながら、助けてあげられなかったがな」
本郷先生がまだ研修医だった頃、体調不良で診察を受けに来ていた患者さんに恋をしたそうだ。検査をして、病気が見つかって投薬治療をして。一度は回復をして、思いを伝えたそうだ。付き合い始めたけど、忙しくて会えないから一緒に暮らしていた。
「でもな、研修医ってお金もないから夜勤のバイトもしたりして寂しい思いをさせてばっかりだったなぁ。僕は楽しい事を何もしてあげれなかったよ。体調崩して、入院して病院で顔を見る事しかできなかった。その時の僕は上に上がるのに必死でね、ドクターヘリに乗って飛び回ってたからなぁ」
「本郷先生?」
「昔の話だ。医者としても人としても未熟だった頃の事だ。そんな経験を積んで、僕は今ここにいるんだよ」
「私、一ケ瀬君に窓から見える景色以外のものを見せてあげたかったんです。私がキレイだなーって思った景色とか、見せてあげたいって」
本郷先生は残りの缶コーヒーをグビッと飲み干して言った。
「いいんじゃないか。一ケ瀬君にたくさん見せてあげたら。今は退院する為のリハビリ頑張ってるそうだし。病院で会うのは嬉しくはないけど、ご縁の糸が繋がっていれば会えるだろ」
本郷先生はポケットから小さなフィナンシェを取り出して一つ私にくれた。
「そろそろ戻るぞー」
と言いながら。
(本郷先生のズボンのポケットに入っていたフィナンシェ……何だか食べにくいなぁ。)
私は迷いながら、後に続いた。
それから時々、夜勤の帰りにリハビリルームを覗いた。パジャマではない服を着て、リハビリ用のバイクをこいでいる後ろ姿を時々見かけた。
(頑張ってね。)
私は心の中で声をかけて、病院を後にした。
休日になるとカメラを持って出かけた。
あの『桜の丘公園』にも。
最近は電車に乗って、海辺の町まで出かけたたりもした。
防波堤に座って、景色を切り取っていく。
長いリードをつけて、砂浜を走り回るゴールデンレトリバー。飼い主の顔をチラリと見ながら走り、足跡があちこちに楽しそうに広がっていく。
波打ち際に流されてきた貝殻。
誰かが砂浜に作って残されたまんまの山。
遠くをゆっくりと進んでいく船。
両手を広げて空を高く舞うウミネコ。
私はのんびりと景色を切り取った。
そしてオレンジ色の太陽が沈んでゆく。
手のひらを太陽の下に添えて、沈んでゆく太陽を支えた。
「うん、キレイ!」
潮風に髪の毛が靡く。
波の音が私の心の奥まで入り込んで、慌ただしい日常の疲れを海へと連れていってくれる。
そして防波堤に寝転んで、大好きな空を切り取った。夕陽が沈みかけて、少しピンク色にも見える美しい空だった。
「あ」
私は起き上がって時計を見た。
(帰らなくちゃ!)
電車に揺られながら一ケ瀬君の後ろ姿を思い出していた。
(もうすぐ退院するかもなぁ。)
看護師にとって、何よりも嬉しい事だ。あの寂しそうに窓の外を見つめている一ケ瀬君の横顔が浮かんでは消える。
もう少しでさよならなんだ。
近くの商店街に寄ってお好み焼きを買って帰った。
そしてお好み焼きを食べながら、今日撮影した写真をプリントアウトする。
そして、特別に一枚だけ違う用紙をセットしてプリントした。
いつもの出勤途中にふと気が付くと、道端には淡いピンク色をしたツキミソウが咲いている。あ、こんなところに小さなオレンジ色のヤブカラシも咲いている。今度の休みにカメラを持ってこよう。
太陽の日差しをたっぷりと浴びて、草木は濃い緑色に変化していた。私の横を通りすぎる風は、湿度を帯びて生ぬるい。
もうすぐ夏がやって来る。
着替えを済ませてナースステーションに行った。
「おはようございます!」
「おはようございます」
夜勤の三輪さんも少しお疲れのようだ。
「今日はね、引き継ぎがたくさん!」
「はいっ!」
私は背筋を伸ばした。
(ふぅー。やっと休憩っと!)
休憩室でおにぎりにかぶりつく。
「あー、おっきな一口だ!」
「んー。やめ、てふ…ださ…」
びっくりして喉に詰まりそうになってしまう。これはいつもの本郷先生なりのコミュニケーション。
「いやいや、ゆっくり食べて。」
本郷先生もおにぎりを食べ始めた。
「今日ね、一ケ瀬君の診察をしてきたんだ。このままいけば、来週退院できそうだ。良かったな」
「ホントですか? 良かったー!」
私は本当に嬉しかった。
「中川さんから教わった通り、ちゃんとしっかり噛んで食事も食べてますってよ。可愛いいねぇ」
そういえば――――。
「しっかり噛んで食べてね! 噛む事で内臓も動いて元気になるんだから」
確かに私は一ケ瀬くんに声をかけていたな。
「良かった。ホントに」
「顔を出してあげたら?」
「本郷先生、面白がってません?」
そーっと視線をずらされた。
そして、一ケ瀬君が退院する前日に私は病室に行った。顔色もずいぶんと良くなって、窓の外を見つめている横顔。離れた場所からでも睫毛が長いのがわかるくらい、一ケ瀬君はキレイな顔をしている。
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