第13話 青の写真

 洗髪もしてもらって、体も拭いてさっぱりとした。

「一ケ瀬君、髪の毛乾かしましょうか?」

 と看護師の丸井さんが声をかけてくれる。

 丸井さんは、恰幅のいい……ではなく、ふんわりとした体型をした元気のいい看護師さんだ。前にも居たなぁ、ふんわりとした体型の看護師さん。そして、何故だか安心感を与えてくれるのだ。


「大丈夫っす! 自分でやります」

 残念な事に、入院生活にもすっかり慣れた俺は、点滴が刺さっていても腕が動かせる事を知った。


ピッ……ピッ……と音が鳴って、俺の体に繋がれていた医療機器は、体調が安定している為に外された。


 時々、車椅子で屋上に連れていって貰い、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。


 そして、俺は中川さんの姿を探していた。


 あの手作りのアルバムを貰ってから、姿を見ていない。

(残念だな……)

 俺は車椅子を押して貰いながら病室へと戻るのだ。


 手作りのアルバムを俺はとても気に入っていた。

 桜の丘公園の大きな桜の木。公園の中の道に咲く小さな花や、花びらで羽を休める蝶々。

 木陰で寝転んでいるのら猫。

 そして、お気に入りの青の写真。よーく見ると少しだけ雲があったりする。


「俺も寝転びてぇーなぁー」

 ポツリと言葉を漏らした。


「おっ、いたいた! イケメン君!」

 久しぶりに聞いた声に振り向くと本郷先生だった。

(イケメン君って……)


 俺はペコッと頭を下げた。

「一ケ瀬君、随分と体調が安定しているようだね」

「はい。ありがとうございます」

「ちょっと診察させてね」

 回診車を押してきた丸井さんがカーテンを閉めてくれた。


 ちょっとひんやりとした聴診器を胸に当てられる。俺はそれだけで緊張して、心拍数が上がってしまわないかとヒヤヒヤとするのだ。


「うん。食事もちゃんと取れてるみたいだし。どうだい、入院生活は?」

「まぁ、出来れば家に帰りたいです」

「だよなぁー」

 本郷先生はパソコンの画面を見ながら、何か文字を打っている。また恐ろしい検査でもあるのだろうか。


「一ケ瀬君、明日から少しずつリハビリをしていこうか。調子をみながら負荷をかけてね、体力を付けていこう」

「負荷?」

「そう、退院できるようにリハビリをするんだよ」

「退院できるんですか!」

 思わず声がでっかくなってしまった。

「まぁ、ゆっくりね。無理はダメだよ!」

「ありがとうございます!」

「うわっ、眩しいっ! イケメンの笑顔はいーねー!キラキラして」

 と片手をあげて、笑いながら隣のベッドへと向かって行った。


「リハビリ頑張ろうね!」

 丸井さんもにっこりと笑って、本郷先生について行った。



 俺はパジャマのボタンを止め終えると、母ちゃんにすぐにラインをした。

(リハビリだって! リハビリ!

体力がついたら退院だって!)


 俺は嬉しくなって滅多に使わないスタンプまで送った。

 しばらくすると、母ちゃんから返事がきた。

(良かったね! リハビリ用に動きやすい服持っていくね!)



「はぁ……はぁ……はぁ……」

「一ケ瀬くん、辛くない? 大丈夫?」

 リハビリルームの担当の片岡さん。俺よりも少し背が低いが、体を鍛えている為か大きく感じる。

「はぁい。大丈夫です」

 俺はリハビリ用のバイクをこいでいる。

 数ヶ月間ベッドの上で生活をしていた俺は、自分の体力の無さに驚いている。


「まだ始まったばっかりだから、ゆっくりね」

 片岡さんに促されて、俺はペースを落とした。

「いやぁー、焦りますよ、さすがに」

「だよなぁ。その気持ちを僕は理解しているつもりだけど。残念ながら、全てはわからないんだよな」

 片岡さんは正直に言ってくれるので助かっている。下手な気遣いは余計に落ち込むから。



「何かスポーツやってたの?」

(学校)とか(部活)とか、あえて使わないように世間話をしようとしてくれる。

 俺はそれだけで十分だった。

「高一の時、サッカー部に入ったんですけど。すぐに辞めました」

「どして?」

「なんか先輩がややこしくて、俺そうゆうの苦手なんですよね」

「あー、なるほどね」


 サッカー部に入ってすぐの頃、一年はよくパシりにされていた。どこでもある当たり前の事なんだろうけど。俺はそれに耐えぬく忍耐力もなければ、サッカーの実力もセンスもなかった。


 広輝とは別の高校だった。

 広輝はバスケ部に入っていたが、俺が部活を辞めてしばらくすると、何となく辞めていた。


 駅で待ち合わせをして、ぶらぶらしたり。どちらかの家でゲームをしていた。週末は同じファミレスでバイトもした。

「お兄ちゃん達、付き合ってんの?」

 って凪は言いながら、俺達のゲームに混ざってきた。


 高三になったら、塾に行く予定だったのでバイトも辞めた。

 俺は何にも残せてない。

 俺だけが取り残されたようで、焦っていた。


 昨日の夜、広輝からラインがきた。

(俺、明日から塾行くんだわ。)

 すぐに既読を付けて、返事を送る。

(励むがよい!)

 落ち込んだ顔のスタンプが送られてきた。



 だから俺はやるしかないんだ。

「――って、聞いてる? 一ケ瀬君?」

「あ、すいません。聞いてませんでした」

「おーい!」

 片岡さんはガクッと肩を落としている。

「僕はひとりで喋ってたのか、返事がないから集中しすぎてるのかと心配したわ」

「俺、そんなに集中力ないっす」

 と言って笑って誤魔化しておいた。


 そしてまた、車椅子に乗せられていつもの景色のベッドに戻ってきた。

「次は木曜日に!」

 片岡さんは笑顔で戻っていった。


(え? 今日は何曜日?)

 俺は曜日感覚まで無くしていた。

(落ち込むわぁ――……)

 ベッドに横になる。中川さんがくれたアルバムを手に取って、最後のページを開く。


『青の写真』

 この空の写真を眺めながら、俺はうとうととする。

 窓から降り注ぐ太陽の光が、少しずつ夏に向かっているように感じた。

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