第11話 見せたい景色―栞Side
「はい」
聞き覚えのある声の方を向くと、車椅子に座って景色を眺めている姿を見つけた。
「あれ? 一ケ瀬君!?」
私は思いきって声をかけてみた。
夜勤終わりで、少しへこんでいた私は屋上からの景色を眺めていた。昨日は少し失敗をして、本郷先生に迷惑をかけてしまったのだ。
こんな日は、屋上の景色の中に弱さを吐き出して帰る事にしている。
「あ、中川さん」
一ケ瀬君は私の事を覚えてくれてたようで、何だか嬉しくなった。
屋上を吹き抜ける風は暖かくて、一ケ瀬くんの髪の毛をサラサラと揺らした。
優しい香りがふわりと飛んできた。
(洗髪できたんだね…)
私は少し嬉しくなった。
「調子はどう?」
「ちゃんと食べてますよ! しっかり噛んで」
と、一ケ瀬君は少し笑ってくれる。
「おっ、約束守ってくれてるんだ!」
「窓からの景色を眺めてばかりいるのに飽きてきました。」
「そうだよねー。一ケ瀬君はどんな景色が好きなの?海とか、山とか、街とか」
「ん――」
そう言って眩しそうに目を細めて太陽の方へ顔をあげる。
一ケ瀬君の横顔。茶色く光る髪の毛。
長い睫毛。すーっと高い鼻。
ポートレートには興味がなかった私は、初めてカメラのシャッターを押してみたいと思った。
「今は木かなぁー? 花が終わって緑色の葉っぱだけになった木。風が吹くとさわさわさわ――って音が聞こえるのが好き」
と答えて、私の方を見てにっこりと微笑んだ。
私の胸の奥がトクンっとなる。
目が離せないまま、私は一ケ瀬君を見つめていた。
「中川さん? 大丈夫ですか?」
そんな言葉をかけられて、慌てて返事をした。
「そ、そうなんだ。良いよね――。葉っぱが風に揺れる音、私も好きだなぁ。あ、そうだ! 今度、写真撮ってくるよ!」
「中川さんが撮る写真ですか?」
「そう。私の好きな景色、撮ってくるから見てくれる?」
(何て事を言ってるんだろう、私。)
と思った時には遅かった……。
「楽しみにしてるんで、見せてください!」
そこには一ケ瀬くんの笑顔があった。
うんっ! と私は頷いて、空を見上げた。
何だか急に恥ずかしくなって、誤魔化す方法が見つからなかったから。
「一ケ瀬君、今日はそろそろお部屋に戻りましょうか」
「はい」
少し笑顔でお辞儀をして、一ケ瀬君は車椅子を押されながら部屋へと戻って行った。
(ビックリした――。私、写真見てくれる? ――なんて言っちゃったけど……)
よくよく考えると恥ずかしくなって、屋上の柵に寄りかかった。
大きな木があって、花も咲いてて、私が好きな空の写真が撮れて……。そうだ、あの場所に行こう!
私はもう、次の休みが待ちきれないくらいに楽しみになった。
(あっ、もうこんな時間になってる! 早く帰らなくちゃ!)
私は慌てて、屋上を後にした。
―――
休日、私が大好きな大きな公園にやってきていた。
カシャッ……カシャッ……。
私はお気に入りの景色をカメラで切り取っていく。
私は大きな桜の木の前に立っている。春には桜がもこもこと花を咲かせていた。すっかり花は散ってしまい、濃くて美しい緑色の葉っぱがところ狭しと集まっている。
風が吹いて、葉っぱがさわさわさわっと揺れる。
(今だ!)
私はカメラを覗いてシャッターを切った。
一ケ瀬君に見せてあげたい、私の大好きな景色を選んで。
私はどんどん写真を撮っていった。
カシャッ……カシャッ……。
シャッターを押すたびに、屋上で目にした一ケ瀬君の笑顔が頭を過る。
(あの笑顔がまた見たい。)
(この風景を見せてあげたい。)
気がつけば夢中でいくつもの景色を切り取っていた。公園の道に添って咲く、オレンジ色のナガミヒナゲシの花の写真も撮った。
花びらが風に揺れてとっても可愛いい。
暖かく、のんびりとした平日の午後。
近所の保育園児達が大きな大きなカートに乗ってお散歩にやってきている。きやっきゃっと嬉しそうな声が空高く飛んでいく。
幼い子供を連れたママ友達が、レジャーシートを広げて話に花を咲かせている。持ち寄って広げられたお弁当、転がったまんまのアヒル隊長。
ゆらゆらと抱かれながら、眠る赤ちゃん。
私は大きく息を吸い込んだ。
そしてまた、撮った一枚の写真。
寝転んで切り取った空。
『青の写真』。
よく見ると薄い雲が筆で触れたように浮かんでいる。
(何年ぶりだろう……。)
私は高校生の時に恋をした。
写真部の先輩だった。写真の取り方も、カメラの手入れの仕方も、その先輩に教えて貰った。先輩に見てほしくて、たくさん写真を撮っていた。結局何も伝える事ができないまま、先輩は卒業していき、私の初恋は終わった。
私は今、あの頃と同じような感覚になっている。
(一ケ瀬君は、患者さん。)
わかっているけれど、窓の外を見つめる一ケ瀬君の横顔が頭から離れないでいる。
(とりあえず、楽しみにしてくれているんだから。一度くらい大丈夫だよね……。)
そんな言い訳を考えながら、写真を撮り終えて家に帰った。
カメラで撮影した写真をプリントアウトする。
(うーん、こっちかな。……いや、これ、かなぁ。)
私はお気に入りの写真を選んで、画用紙に貼って小さなアルバムを作る。
表紙にお気に入りの場所の名前を書いた。
『桜の丘公園』
私は引っ越しをしてきてからそんなに経っていない為、知らない場所だらけだった。
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