第9話 入院生活

 俺の病院食は柔らかめのご飯に変わった。

 おかずは塩分控えめで…というか、ほぼほぼその食材の味しかしない。母ちゃんの甘ーい卵焼きと唐揚げや、ちょっと不格好な手作り餃子が食べたかった。


「しっかり噛んで食べて、体力つけてね!」

 って、毎日のように中川さんは笑顔で俺に言ってくるからさ。柔らかすぎる白身魚や苦手な高野豆腐も。青臭いぺらぺらのさやえんどうもちゃんと食べるようにしている。


「ゲームは長い時間でなければいいよ!」

 と許可を得て、静かにベッドの上でやっている。

 たまにオンラインで、凪や広輝と繋いでやるけれど、声が出せないので俺は少しつまんないんだが。イヤホンから聞こえてくる凪の『うぇーい!』という声が俺をイラッとさせる。

(凪のやつ、覚えていろよ……、いつかやり返してやるんだからな!)


 暇な時は窓の外の景色を眺めていた。

 季節は俺を残したまま進んでいて、窓からの景色に緑色が増えてきている。同じように青い空も、ここで初めて見えた空の青とは違うような気がする。

「もう少し落ち着いたら、車椅子で散歩しようか」

 なんて中川さんは言ってくれてたけど。

 俺は自分で歩きたいと願っている。



「ようっ、颯真元気か?」

「元気ならここにいないだろ」

 父親はたまに少しだけ顔を出す。

「あぁ、そうか」

 何だか残念な父親だが、仕方がない。

「これ、着替え。母さんから預かってきたぞ、ここに入れて置くぞ」

 ベッドの横にある小さな俺専用の棚には物が少しずつ増えてきている。入院生活が長くなった証拠だ。

「ぉん」

 俺は適当に返事をしておいた。




「こんにちわ、一ケ瀬さん」

 中川さんだ。今日は本郷先生から治療についての話をしたいと言われている。

「お世話になっております」

「あちらのお部屋に行きましょう」


 俺は座りなれた車椅子に自分で移動をする。すると中川さんが後ろにまわり、押してくれる。俺は随分と長い間、髪の毛を洗っていない。

(臭いだろうなぁ、最悪だわ…)

 いろんな意味で落ち込んでいた。



 コンコンコン、扉をノックして本郷先生がやってきた。

「一ケ瀬さん、お忙しい所ありがとうございます!」

「いえ、颯真がお世話になっております」

 父親は頭を下げた。


「今日お話したかったのはですね、一ケ瀬君の治療についてなんです。最近大きな発作も起きていませんし、食事も取れて少しずつ体力が回復してきています」

「はい」

「そこで、カテーテルで一ケ瀬君の心臓がどんな状態かを詳しく調べておこうかと思いますがどうでしょう?」

「カテーテル?」

「はい、細い管を心臓まで血管を通していくんです。

心臓の筋肉を少しだけ採取して、詳しく検査をすることもできます。もちろん、絶対に! とは言いません。ただ、大きな発作が起こってからだと、一番辛いのは一ケ瀬君ですから」


(俺はこのままベッドの上にいるのはもう嫌なんだ。)


「颯真、どうする?」

「俺はやって欲しい。出来る事をやって退院したい。学校に行きたい」

 父親は頷いてくれた。

「先生、お願いいたします」

 俺も黙って頭を下げた。



 病室に戻ると母ちゃんが来ていた。

「あら、もう終わったの? 先生とのお話」

「あぁ、終わったよ!」

 父親はあっさりとしている。

「あら、残念」

 母ちゃんもまた、あっさりとしている。


「カテーテルってやつで、颯真の心臓の検査をするんだって。体力も少しついてきたし、体調も落ち着いてきてるから」

「そう、良かった!」



 そうして、俺のカテーテルでの検査はあっさりと決定した。





そして、俺は今、そのカテーテルってやつを体に入れて検査をされている。


「一ケ瀬君、今は変わりないですか?」

「は、はい」


(かなりびびってるんですけどー。)

そんな事は口にはできなくて。



何か質問されても、

「は、はい」

と動かないようにじっとしているしかなかった。

ドキドキするこのビビり具合を、覗かれているのうな……。

このドキドキのせいで心臓に異常があると判断させると怖いような……。

とにかく生きた心地がしない時間だった。




そんなカテーテルの検査を乗り越えた俺の元に、中川さんが笑顔でやってきた。

「一ケ瀬君、良かったね。この状態だと、一般病棟に移れるそうですよ!後で本郷先生がお話しに来て下さいますからね」

「一般病棟?」


俺が今いるのはICU。

まずはこの部屋から抜け出さないと、退院の文字は見えてこない。


「一般病棟も窓際だといいけどなぁ。一ケ瀬君、景色を眺めるのが好きなんでしょ?」

窓の外を見ていた中川さんが、ふと俺の顔を見て聞いてくる。


「好き、というか。自然を見るのが好きなだけです」

俺は何だか恥ずかしくて、少し目を反らした。


「自然はいいよね! 嘘つかないもの! ……あ、じゃ本郷先生が後で来ますからね!」

と中川さんはひとつに束ねた髪の毛を揺らしながら他のベッドへと向かって行った。


明るい日差しに照らされた中川さんの髪の毛は艶々と美しく見えた。


(一般病棟か。やったな。)

けれど、中川さんは救急担当の看護師だから。担当の看護師さんは変わって、きっと会えなくなるんだろう。俺の心の中に少しチクッとする場所があって、それは多分……心臓病とは関係ないのだろう。


髪の毛を洗ってスッキリとした姿で過ごしたかったな、なんて俺は考えながらゲームのスイッチを入れた。

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