第11話 差し出された手、そして土汁

 川のせせらぎ。


 薪がはぜる音。


 炎の温かさ。


 そしてなんとも言えないおいしそうな匂い……


 自分が覚醒したことに気が付き、「ぬぁ……」と声にならない声を出しながら、私は目を開けた。


「……死んで、ない……」


 身体には何やら眩しい色合いの毛布のようなものが掛けられ、そして目の前には小さな流れ、さらに焚火の上には似た気に使うような金属製の鍋、その中で何かがぐつぐつと煮えている。


「助けられた……のか……?」


 起き上がろうにも力が入らない。


 そういえば丸三日は何も食べていないんだから仕方がない。


 そういえば腹のあたりがなんだか温かい……これは焚火の温かさとは違う……


 寝たままで視線を下に向けると、そこには白くて大きな毛玉。


 もちろん、それが熊五郎だということにはすぐに気が付いた。


「クマゴロウ……お前だったのか……」


 ここまで私を運び、火をおこし、そして鍋の準備まで……


 もしかしたら熊五郎は犬の姿をした精霊なのかもしれない……


 パキリパキリ、と小枝を折るような音がして、人が近づいてくる気配がする。


 その姿を見て、私は全身に力が入らないながらも精一杯身を固くして自らを守ろうとする。


「……ゴボー!」


「やっと目ぇ覚めたか。ほんま、しょうもない。こんなしょうもないとこで死なれたらかなんわ……」


 彼は背負っていた荷物をおろし、中から色々な野菜と、それから板と刃物を取り出した。


「……私の鍋なんか、旨くないわよ」


「おい、俺を何やと思ってるんや……」


 御坊は手早く野菜を切り刻み、液体の煮える鍋にぼちゃぼちゃと投げ込んでいく。


 野菜に火が通っていくにつれて強くなる甘い香りも相まって、私の腹はさっきから鳴りやまない。


「ちがう、ちがう……! 勘違いしては困るぞ! これは腹が減っているのではない、私の腹がお前を拒絶している鳴き声なのだ……」


「寝てる間もずっと鳴っとったし隠す意味ないで」


 私は無言で、スッと毛布を顔まで引き上げる。


「もうちょい待っときなよ、すぐ出来るさけ」


 優しい言葉にイラつくが、しかしこの憤りは、今までと同じものではない気がする。


「……一体ゴボーは何を考えているのよ」と、つい私は声に出して言った。「私を助けたかと思えば集落のみんなをたぶらかして、エルフに対する敬意を見せつつ、全力で魔力を搾取する……」


「ほんま、邪悪な見え方しかしやんのやな」


「なによ、事実じゃない!」


「まあ……受け入れられやんって言うんなら、無理にとは言わんけど」


 有無を言わさず私も洗脳されるのかと思っているが、どうやらその気はないらしい。


「正直、おまんみたいなダルいやつ、放っておきたい気持ちは山々や」


「……だったらそうすればいいじゃない」


「ウチの町の山ン中で勝手に行き倒れられても困るしな。行き倒れを処理すんのも町の人間の仕事や。それにエルフの仲間も悲しむやろ」


「……」


「シュルツ。エルフの集落に戻ってもエエ、人間の町のほうに行って色々見てきてもエエ。どっちも気に食わんで、この森を拠点にしたいんならそうしてもエエ。とにかく、やりたいようにやったらエエわ」


「……なんで、そんなことアンタに言われなきゃいけないのよ」


「おまんらエルフは、とりあえず法律で守られた存在やからな」


「……お前を殺そうとしたのに、か……」


「あれなホンマ! ホンマに死ぬかと思たど!」


「そりゃまあ、殺す気だったから」


「こいつ……まあ、それでも、俺はお前を助けるしかないんよ」


「……それが人間界の法律……掟ってこと?」


「まぁな。掟でもあるし、他にも色々あるけど……お、そろそろエエかな」と、鍋のフタをとる。「おい、起きれるか?」


「……何をする気だ」


 と言いつつ体を持ち上げる。座るくらいは問題ない。


「飯の時間やっちゅうぐらい分かっちゃあるやろ?」


 と、御坊は鍋のふたを開け、器にその具をよそっている。


 汁の色は土のようで汚らしいが、その香ばしい匂いは今まで嗅いだことのない、無類のものであった。


 見たことのない根菜っぽい野菜がいくつか、葉物の野菜も入っている。何か、これは獣の肉だろうか。


「さっき役場でハンターの人に分けてもらったイノシシや。あとは大根人参白菜ジャガイモ。このスープは味噌っちゅうて、なんちゅうか、とにかく、うまみの元みたいなもんや。ほれ」


 ずい、と器を渡される。


 おそるおそる、その土汁つちじるに口をつける。


 心地よい塩気と甘み。


 もう一度口をつける。


 もう一度、もう一度。


「……うまい」


 私はつい、その言葉を漏らしていた。


「土の汁がこんなにうまいなんて……」


「味噌鍋にそんな名前つけんな、失礼な」


 野菜を齧る。


「ふ、は……はふ」


 しっかりと味がしみていて、これもうまい。


 こうなると、この肉の味も気になるところだ……


「! ぜんぜん臭くない……」


「今日狩ったやつやからな。ほんで下処理もちゃんとしちゃる。そこたいで食うイノシシとはちょっとちゃうわ」


 夢中になって食べていると、あっという間に底が見える。


 一杯目が食べ終わり、「ん」と、器を差し出す。


 御坊が何も言わずに二杯目をよそう。


 二敗目を食べ終わり、「ん」と、器をまた差し出す。


 ゴボーがまた三杯目を差し出す。


 その三杯目を空にしたあたりで、なぜか、だんだん視界がぼやけてくる。


「う……ぐ……」


「なんで泣いちゃあるんな。そんな腹減ってたんか」


「うるさい! そんなの……私も分かんないし……」


 なんでか分からないけれど、涙が止まらない。


 ただ、三日ぶりの食事や他人との会話が、まるで三百年ぶりかのような感覚でもって、私の全身を駆け巡っていた。


 そんな私の涙を、べろり、と熊五郎が舐める。


 ついに私はこらえきれず、


「さ゛み゛し゛か゛っ゛た゛…゛…゛! 怖゛か゛っ゛た゛よ゛ぉ゛…゛…゛!」


 とだけ呟いて俯き、そのまま涙が止まるのを待つしかなかった。


(つづく)

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