第10話 静かな最期

 皆のあの様子を見るに、相当深い洗脳を受けたのか、あるいは傀儡の呪いをかけられているのか……


 と、足音のしない腐葉土の獣道を歩みながら、私は思案する。


 彼らの洗脳を解く方法は……あの御坊という男が握っているのだろう。


 魔力もなく力もなく、戦闘の技術もないのだが、奴を守っているのが洗脳された族長とアウラという状況では明らかにこちらの分が悪い。


 分からないことはそれだけじゃない。


 まずはなんでもいい、この森が、この国が……いや、この世界がどういうものなのかを知らないといけない。


 私は元来た道を歩いて戻る。そういえばあのケイトラという馬無し馬車が停まったままのはず。まずはあれをくまなく調べてみよう。


 ……


 そう思ってから、どれだけ歩いただろう。


 ……


「ふふ……ふふふ……」


 私は立ち止まり、こらえきれずに笑ってしまう。


「ふふ、はははは……! ゴボーめ、周到な男! やはり只者じゃ無い!」


 私はすでに気づいている。


 何度も何度も同じ場所を通っていることに。


 そしてそれが御坊の仕業であるということに。


 引き返しても村には戻れない、かといって先へ進んでもケイトラは見えない。


 幻覚結界ヴィジョンの中にでもいるのかと思ったが、陽は刻々と沈んでゆくし、何よりも周囲に漂う魔力が自由かつ流動的なため、なにか特殊な空間に閉じ込められているということはなさそうだ。


 どんな術を使っているのか見当もつかないけど、こんなことでエルフの知恵を欺けると思っているのだろうか。


 たしかに、凡人ならこのままこの森に閉じ込められて息絶えるのみだろう。


 だが……これならどうだ!


 私は歩いていた獣道から外れ、生い茂る茂みの中へと突入を開始した。


 ……


 それからどれくらい経っただろう。

 

 全身を擦り傷だらけにしながらも、私はまだ、道なき道を歩いていた。


 陽の光はすでに虫の息、微かな光さえも惜しい森の中、さすがに、心細くないと言ったら嘘になる。


 おっと、私らしくない弱気が顔を出してしまった。


 こんなとこで立ち止まっていては皆を助けることなんて夢のまた夢。


 さあ、まだまだ歩くぞ。


 今日中に森を抜けるのは無理かもしれないが、しかしせめて野宿ができる場所へ抜けなければならない。


 少し広い、できれば小川があるような、野営にちょうどいい場所があればいいんだけど……


 ……


 ……


 小さい焚火の前で、私は今日一日の出来事を思い返していた。


 集落の気配をたどって無事転移できたのは良かった。


 だが皆は洗脳されており、このまま放っておくときっとエルフは人間たちの兵器へと成り下がってしまうだろう。


 こんな、火を見ながらぼうっとしている場合じゃない。


 ぼうっとしている場合じゃない。


 ~~~~~~~ぐうううううううぅ


 と、誰のものでもない私の腹がなる。


 なにしろ今日はまだ何も食べてないのだ。


 はじめての土地、食べたものに毒があったらすべてが終わってしまう。


 食べ物には慎重にいかないと。


 水分については魔力である程度生成できるが、それでは腹は膨れない。


 ぐうううううううううぅぅ


 まただ。だがこれでよい。


 腹がなるたび、「生きている」という実感が出る。


 フフッ……この事実が私に生きる力をくれる――


 ガサガサガサッ


 と、遠くで茂みが揺れる音が鳴る。


 そのたびに立ち上がり、周囲を警戒する。


 呑気に寝てしまって、獣か何かに寝込みを襲われてはいけないのだ。


 音が消え、私は再び腰を下ろす。


 ……今日は眠れないかもしれない。


 とりあえず明日こそ、安全に休める場所を見つけないとな……


 焚火に枯れ木をくべ、再び炎を大きくし、周囲の獣の気配を追い払う。


 そうして夜はどんどん更けていった。


 ……


 そして――


 ……


 迷いの森で3回目の朝――


 三日間歩き続け、夜になれば警戒を続けて眠ることもできず、食べ物もなく、あるのは自己生成する水のみ。


 空腹のあまりそのあたりの草や木の実を食べることもあった。


 しかし大方が食えたものじゃない。逆に食欲がなくなるばかりだ。


 いつまで歩いても川がなく、魚を取ることもできない。


 ウサギやタヌキなどの獣たちは警戒して遠巻きにしているため、狩りをすることもできない。


 そして致命的な睡眠不足。いや、眠るわけにはいかないので仕方がないのだけど……


 不眠が丸3日目に突入したころ、私はすでに立ち上がって歩くことができなくなった。


 道なき道を這うように進む。


 泥だらけになりながらいつ途切れてもおかしくない薄い意識で進んだ先に、少し開けた草原が目に入った。


 木漏れ日が降り注ぎ、森の魔力や湿り気を帯びた空気がキラキラと煌めいている。


 私は光の根元へたどり着き、仰向けになって寝ころんだ。


 そろそろ、私ももう終わりだな。


 その光は暖かく、まるで私を導くかのように天へ伸びている。


 と、突然、


 ワンワンッ


 と、どこかから犬の鳴き声がする。


 どこか懐かしく、聞き覚えのあるような……


「クマゴロウ……」


 私は思わず涙した。


 こんなところまで来てくれるなんて……


 熊五郎は私の横にフセをして、私の方を見ている。


 そうか、もしかして、これは幻……


 彼に感じた愛情が見せる、はかない幻影に違いない……


「クマゴロウ……ここまで来るのにさぞ疲れたろう……私はもう、疲れたよ……」


 みんな、ごめん。


 私はもうこれまでみたいだ。


 ただ一つ未練があるとすれば、元の世界で死にたかった――


 彼の大きな背を撫でながら、私は、ゆっくりと瞼を閉じた。



(つづく)

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