第9話 すれ違い、決意

「やめろ、シュルツ!」


 族長が叫ぶと、私の魔力が一気に散り、御坊の顔面を押し固めていた水がバシャッ、と砕けた。私の未熟な魔術など造作もなく解いてしまうのだろう。


「なんのッ」


 と、もう一度私は水をあつめ、御坊の顔面に押し付ける。こればかりはやめるわけにはいかない。私は、みんなを救わなければならないのだから。


「だからやめろと言っているだろう!」


 またもや御坊から水がぼろぼろと剥がれ落ちる。


「やめるわけにはいかない!!」


 「ぶべッ」


 御坊に水の仮面が張り付く。


「そもそも魔法を殺生に使うなぞ掟破りになるぞ! 族長たる私の前での狼藉であることも分かっているな?」


「……くっ……」


 またも水がその場に散らばる。


 御坊溺れさせ合戦は一旦休止となり、私は肩で息をしながら族長を睨んだ。


 視界の端では、滝にでも打たれたかのようなずぶ濡れの御坊が、大きな水たまりの真ん中でげほげほとせき込んでいる。


「まったく、お前今までの話聞いてたのか!? どれだけ私たちが御坊に世話になっているか……!」


 と、族長が私を睨み返して叫んだ。


「あー、まあね、こいつは昔からこういうヤツなんスよ。『隠された真実!』『人間が秘密裏に行う残酷な事実!』みたいなのを考えるのが大好きなんス」


 と、アウラは言いつつ、私が次に何をするのかに備えて魔力を煉っている。


「くっ……」


 族長は言わずもがな、アウラも相当の使い手である。今の状況ではさすがに分が悪い。


 かといって、話して納得してくれる雰囲気もない。


「二人とも、なんで気づいてくれないの……!」


 この二人だけでない、集落のエルフ全員が、心から御坊を信頼しているのだろうか。なんとも歯がゆい話だ。


「二人とも……これが、魔力を人間の動力源として取り出すことがどういうことか分かってるの? 魔力が、人間にコントロールできるようになるってことなんだよ?」


「そもそもエルフの同意がなければ電力として取り出せないんだし、別にコントロールできてるわけじゃないッスけど」ニヤニヤ笑いながらアウラが言う。


「エルフを洗脳すれば別でしょ?」


「おおう……シュルツも来るとこまで来たって感じッスね。感慨深いッス」


「茶化さないでよ! とにかく、これは人間たちに『魔力』と言うとてつもなく危険極まりない資源を渡すことにつながるの。数千年にわたってその力を丁寧に扱ってきた私たちの積み上げたものが、全部なくなっちゃうかもしれないのよ!」


「うーむ。そもそもこれだけ魔力の濃い土地だから、何かあったら人間を全部消し炭にするのは容易いことで、あきらかに向こうの方がリスク背負ってるんだがなぁ」


「族長までなに呑気なことを……! 人間とエルフの不可侵の協定もそのためのものだったはずなのに……それを侵すのはいつも人間の役割だったのに……こんどはこっちから破っちゃうなんて……!」


「なんか難しいこと言うちゃあるみたいやけど」と、御坊が立ち上がる。「もし受け入れられんのやったら、俺は一旦ここからんだほうがええんかもな」


「ちょっと、逃げる気!?」


「おまんらの話やろ、こっからは」


「自分が元凶のくせに!」


「勝手に来たんはそっちやいしょ」


「うぬううううう~~~~ぃ!」


 ああ言えばこう言うイヤな男だ。


 しかし……こいつの言うことにも一理ある。


 御坊を間に挟んで議論する必要なんてないはずだ、本来は。


 みんなを元の森に返すことができればそれでよし。


 元の森に戻ることができるんなら、こんなゴミカスクソノッポなんてなかったことになる。


 しかし、ここにいるエルフたちを今すぐ全員説得して元の世界に戻ることなんてできるのか?


 アウラはともかく、族長は長く生きて様々な人間の裏切りを見てるはずなのになぜ?


 そもそも禁書も今は手元にないのにどうやって転移する?


 こちらの世界の同じような本があるのか?


 ……


 いや、


『できるのか?』ではない。


『やる』しかないのだ。


 この状況を打破するには、とにかく再転送する方法を見つけるために考え、実行していくしかない。


 かくなる上は……


 私は攻撃の構えを解いてくるりと踵を返した。


「おい、シュルツ!」


「お、どこ行くんスか?」


「……私はいったんこの集落を出る。そしてきっと……みんなを助ける方法を見つけて、ここに戻ってきて見せる」


「家出ッスか、もう百歳にもなって。みっともな」


「うっせ!!!!」


 いちいち水をさすアウラに罵声を浴びせ、私は鍵を返してもらい、靴を取り出して履き、ハツデンショから外へ出る。


「ありがとうございました、またお越しください!」


 受付から感謝の述べられても、今は私の心をいらだたせるだけだ。


 建物の外では、熊五郎がノンビリと日向ぼっこをして寝そべっている。


 私に気が付くとすぐ立ち上がり、巻き毛を根元から振り回す。


「……お前だけは何も悪くないもんな。ごめんね、巻き込んじゃって」


 熊五郎はその言葉を理解したようには思えない勢いで私の顔を舐めまわす。


「だッ、こら、おい、ちょっと……こら!」私は熊五郎の顔を引きはがし、「とにかく、これでもうお別れだからな」


 熊五郎は不思議そうに、しかしまだまだかまってほしそうに、屈託なくハッハッハと息を吐いている。


 ……この旅はきっと長丁場になる。


 私の過ごす長い時間に、この犬が付いてこれるわけがないのである。きっと帰ってくるころにはもう、熊五郎はこの世にいないだろう……


 寿命と言うこの世の不条理に危うく涙しそうになるのを堪えて、私はそのまま森の中へと進んでいった。


 きっと、みんなで元の世界に戻るために。


 私の長い長い探求の旅がいま始まったのだ――


(つづく)

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