第6話 夢から覚めて

 光に溢れた、白い世界。


 まぶしい夏の日差しとも、魔力で練り上げられた激しい閃光とも違う、柔らかで優しい光。


 真綿のようなそれに抱かれて、私は目を覚ました。


 さっきまでの出来事は……夢?


 それとも、これが夢の中なの?


 五感は正常。そして何かを感じている。


 そのはずなのに、実際は何も掴んでいないのはどうしてだろう。


 どこか高いところへ上昇しているような気分。


 ああ、そうか。


 これが死か。


 と私は理解した。


「……あっけないもんだな、死ぬのって……」


 エルフとは地上でもっとも長寿な生き物だ。私も齢百を数えるが、人間はおおよそ生きながらえることができないくらい高齢だという。


 それゆえ、他種族の死を目にすることは多くとも、自らの死を想像することが非常に難しいのだ。


 死とは何か、そして生きるとはどういう営みなのか。


 その自問の日々こそ、エルフの一生であると言っても過言ではない。


「それが、他人の裸を見ただけで死んじゃうなんて、ね。そんな変な話ある?」


 私は思わず苦笑する。


 あっけない結末だったとしても後悔の心はない。


 その証拠に、今までの私の思い出が、次々に胸に去来する。


 あれはたしか、まだ5つにもならない頃。


 なんの修練も積んでいない幼いエルフだった私だけど、いきなり魔力を煉って巨大な炎を作り出し、村一番の長老を消し炭にしかけたんだっけ。


 家は燃えちゃったけど長老が助かって本当によかった。


 で、すごい才能だって褒められると思ったのに、なぜか集落全体の話し合いになって私の処遇についての話し合いになり、母がものすごい勢いで謝ってその場は丸く収まったんだよね。


 ところどころ記憶はあいまいだけど、あのときの母の愛、私はひと時だって忘れたことはない。


『その力は大事な時までとっておきなさい。できれば長い間とっておきなさい。でるだけね、使わずに済むのがね、一番だから。やっぱり時代は水よ! ほら、水の魔法がここ400年くらいで一番のトレンドだし、あなたにはその才能もあるし!』


 お母さん、私はあの約束を守っているよ。


 火は危ないもんね。


 家は燃えちゃったらもう戻らないんだから。


 でもそれ以来水以外はほとんど操れなくて、その水に至っても適性が悪すぎて応用魔法なんてほとんど使えないままで、そしたら火の魔法の能力もすっかりなくなってて(これは母の思惑通りだったっぽい)、気がついたら魔力だけを持て余した柔らかめのエルフが出来上がっていたわけだけど……


 それから、次に私が……アレは……


 ん? いや……あれ……これだけ……?


 私の走馬灯これだけ?

 

 馬2歩ぶんくらいで終わっちゃわない?


 いや、違うって。


 違うんだって。


 別に特に思い出とかがないとかじゃなくて。


 ただ忘れただけっていうか、すぐ出てこないだけっていうか。


 あの5歳のころの経験だけが私のトロフィーなんじゃなくて。


 !


 だ、誰かが私を呼んでいる声がする……?


 そうか。


 そうだ。


 思い出した。


 私にはまだやり残したことがたくさんあるんだ。


 集落のみんなも助けなきゃいけないし、もとの森にも戻りたい。


 そのために私はここに来たんだから。


 そう、私は――


 * * *


「あ、起きた」


 死出の旅を中断して舞い降りた私に対して、アウラは素っ気なく言った。


「……私は、一体……」


「案外すぐに目を覚ましたんスね。それより、体は大丈夫ッスか? 倒れた時めっちゃ頭打ってたけど」


 少し頭がくらくらするが、おおよそ問題はない。


「ま、シュルツは昔っから魔力の吸収が良かったッスからね。きっとこの膨大な魔力にあてられて気絶しちゃったんスよ。きっとね。そういうことにしといたほうが良いッスよ」


 そう言って皮肉に笑うアウラはすでに裸である。


 布一枚をぐるりと体に巻き付けているので、痩せた木に虫よけの麻布を巻いているようにも見える。


 というか、私もすでに裸であった。


「さ、じゃあ行くッスよ!」


「ちょちょとちょっと待った! 行くってどこへ?」


「決まってるじゃないッスか、温泉ッスよ、温泉!」


 ……。


 温泉。


 そうか、そういうことか。


 私は重大な勘違いをしていたらしい。


 温泉。


 それは貴重な魔力の補給源であり、エルフにとっての桃源郷である。


 私たちを私たちたらしめる魔力の泉であり、聖域だ。


「ああ……すべて分かったよ、アウラ。この泉のことも、ゴボーたち人間のことも」


 ゴボーたちは、私たちエルフを畏怖し、それに従属するしもべであるに違いなかった。


 そうでなければ、なぜ見ず知らずのエルフをいきなりこの泉まで案内し、靴まで預かってくれるだろうか。


 ハツデンショ。って言ったかな。


 それは彼らがエルフのために作り上げた神殿のようなもの。


 「コイツ絶対なにも分かってないッスね」


 とアウラがつぶやいた。


「さあ、ゴボーにはさっきまでの非礼を詫びないとね」


 下品な人間風情がエルフをだまそうとしている、なんて考えていた自分が恥ずかしい。


 彼らは実に純朴で、それでいて愚かで優しい存在だったのだ。


 思えば、短いながらもこの一生で、たくさんの人間を目にしてきた。


 平気で嘘をつく痴れ者や、言葉では言い表せないほど残虐な武芸者、そして自然や森に対して征服をたくらむような愚か者まで、本当にたくさんの人間を見て来た。


 しかし一方で、ゴボーたちのような心根をもつ人間たちをも見てきた。


 そのような人間が、この世界にもいるなんて。


 私はこのめぐりあわせに感謝した。


「行こう」私は涙をぬぐい、アウラを見た。「行こう、この光の向こうに! 心ゆくまでつかろう、温泉に!」


「……絶対なんか勘違いしてるんスけど、まぁ面白そうだからこのままでいいか」


 私たちはガラガラと扉を開け、もうもうと立ち上る湯気の中へと歩いて行った。


(つづく)

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