第3話 地獄へ向かう馬車

 森の細道をしばらく歩くと、白く背が低い柵が現れた。


 牧場でもないのになんの意味があるのだろうと不思議に思ったが、もっと不思議なのはその柵の向こう。


 今までよりも何倍も広く、そして固い石できた道が、カーブを描くように伸びている。


 いや、石だととっさに思ったものの、それはむしろ押し固められた黒い泥のような……


 凹凸もなく、ぬるりと続くその道を、私はしゃがんでじっと眺める。


「? なんか気になるんけ?」


 と、男が言う。


「……なんでもない」


「あーーーなるほどなぁ、それか?」得心したふうに男がうなずくのに腹が立つ。「アスファルトが気になるんやな。ほかのエルフも、来た時はみんなそんな感じやったって言うちゃあったな。まあ驚くんも無理ないわよ。向こうの世界とは全然でんでんちゃうみたいからな、何もかもが」


 何を納得したのか知らないが、男はそれきり黙って広い道を歩いていく。


 カーブを曲がり切ったところに、白く奇妙な形の馬車のようなものが停めてある。


 ようなもの、というのは、それには馬が繋がれていなかったからだ。


「……馬がない馬車? かな? なんでこんなものが……」


「マジで漫画の反応やん、おもろ……」


 男はその車の前の席に座り、私にその隣に座るよう促した。


 罠では?


 私は最大限の警戒をしつつその座席のあたりを検分する。


「オイオイそんな怖い目で見んでも何もないわよ、乗りなぁ。他のエルフんとこ連れてっちゃるさけに」


 他のエルフんとこ――


 そう、みんなを救うため、今はこの男の言うことを聞かなければ。


 私は用心しつつ、男の隣へ腰かけた。


 ちなみに熊五郎はすでに後ろの荷台に上がってぐるぐると回っている。


「シートベルトして。あー、その帯、そうそう、それ引っ張って……」


 言われるがままに帯を引き、留め具を座席の脇へ引っ掛けると……


 ガチリ、と軽い音がなり、その帯が固定された。


 しまった!!!!!


 と思ったがもう遅い。いくら引っ張っても抜けず、勢いよく抜こうとしても帯は緩まない。


 なるほど巧妙な仕掛けだ……! やはり罠だったか……!!


「くそっ 騙したな! 離せ!!!」


 私がじたばたするのをなぜか冷めた目で見る男。


「このまま私をどうするつもりだ! アッまさか! お前! 外道!! やはり人間は汚い!!!」


 そうしているうちに男の左手が私の腰のあたりに……!


「やめろおおお!!!」


 かちり、という音とともに、シュルシュルと帯が緩み、短くなり、私の体も自由になる。


「こうやって取れるさけ安心しなよぉ。でもまあ、今は着けときな。着けとかんと危ないからな。あと、あんまりキョロキョロしとったら酔うで」


 私は無言で、そのシートベルトと呼ばれる帯をつけたり外したりして確かめたのち、一つ息を吐いて座席へ背中を預ける。


「ほいたら、行こか」


 男がそう言うやいなや、ブルルという嘶きとともに車体が小刻みに震えだす。


「ウソでしょ、馬なんてどこにもいないのに……!」


 そういえば聞いたことがある、はるか外の世界のどこか、地獄に一番近い森に、幽霊馬が引く馬車が出現するという。


 その馬車に乗ったものは、決して生きては帰れぬ永遠の旅に連れ出されるのだとか……!


「くっそおおおおぁ!! やっぱりそういうことかこの外道め!!おろせ! やはり人間はァ~~~~!!」


 私は渾身の力で抵抗しようとしたが、すでに馬車は走り出している。


「おい、やめろって! 暴れんな! 事故る事故るって!!」


「うわあああお母さああああん!!!」


「死にたくなかったら大人しくしとけって! ほんま何なんやこいつ……めんどくさ……」


 のちに『ケイトラ』という名であることが分かる馬車は、今まで体感したことがないほど早いスピードで、山道をびゅうびゅうと進んでいく。


「お! おいおい」


 と、男が何かに気が付いたようでなおも脱出しようと抵抗する私に声をかけた。


「今度はなんだ!」


「ほれ、外見てみい」


「外……?」


 言われて窓の外を見ると……


「……!」


 故郷の森では絶対に見ることのできない、見事な景色が私の両目に飛び込んできた。

 遠くまで低く、しかし終わることなく連なる緑の山々。

 視線を近くへ落とすと、近くの谷には大きく蒼い川が流れている。

 その川べりには、薄桃色に咲き乱れる大木が何本も連なっている。


 地獄への馬車道というのは訂正する。


 これは天国へ続く神秘の道だ。


 その美しさに、思わず涙が流れ落ちる。


「そうか、私もついに、天国に……」


「……そうじょよ、行かよ、天国にな。まあ、大人しくしてくれるんやったらなんでもエエわ……」


 何故か呆れたような男のため息が聞こえたが、そんなものには構いもせず、私は飽きることなくずっと外の景色を眺めていた。


(つづく)

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