第2話 いきなり VS野生の熊

 ……


 うう……


 ……


 あー、あれ?


 私……ここは……?


 ハッとして私は体を起こす。柔らかい腐葉土のベッドの上で、自分の身体をぺたぺた触ってみて、無事を確かめる。


 身体のどこも切り刻まれていない。


 「私の名前、名前は、シュルツ! 消えた集落を探すためにここにきた!!」


 と、叫んでみる。

 

 よしよし、記憶も鮮明。


 転移魔法は成功だ。


 禁忌魔法の再現に成功したなんて、きっと誰も成し遂げたことないはず!


 あ~~~みんなに自慢したいな~~!


 みんな!


 そう、みんな!


 みんなはどこに!?


 私は立ち上がり、周囲を見回す。


 本当に何もかもが違う森だ。


 生えている緑の濃い植物も、湿っぽい空気も、その匂いも。


 私は慎重に、集落の痕跡を探していく。


 いくら私がエルフの狩人的驚異的視力を持っているとは言っても、森の中では限界もあるので、目を閉じ、心の目で魔力を探すことにする。


 瞼の裏に、魔力が凝固した部分だけに色がついて映し出される。


 この力を使えば魔力を宿した存在が一発でわかる。


 闇の中(目をつむっているのだから当たり前だけど)、特別に濃い土色をした塊が、ゆっくりゆっくり大きくなる。


 こちらへ近づいてくる。


 ははあ、この色は地属性の魔力だな。


 地味な色だけど、もっとも原始的で、あらゆる生物に宿りやすい魔力の色。


 それがエルフか人間である可能性はとても高い。


 期待ができそう!


 一旦目を開け、地の魔力塊が近づいてくる方向に目を凝らす。


 私はその姿をとらえることに成功した。


 こげ茶色で、大きくて、毛むくじゃら。


 そしてこれだけ草木が茂る中を音もなく歩み寄ってくるその大きなシルエット――


 四足歩行のその生き物は、不意に立ち上がると、私に向かって静かにその牙を剥く。


 ……ウソでしょ?


 私の前に立ちはだかったのは、一頭の巨大熊だった!


 彼(彼?)はもう一度前足を地面に下ろすと、またもや音もなく、ものすごい勢いでこちらにむかって走ってくる!


 対する私は……丸腰!?


 ナイフぐらいもってくれば良かった! もう遅いけど!


 クマの突進はなんとか躱したけれど、熊はすぐにこちらに向き直り、渾身の前足を振り下ろす。


 こんなの喰らったら転移魔法失敗よろしく、体の一部がどこかへ飛んでしまう。せっかく成功した意味がなくなる。


 私はとっさにクマの懐に入り、振り下ろされた両手首(前足首)をガッシリ掴んだ。


 なんとか一撃を防げたものの、巨大なクマとか弱いエルフ。


 力比べが長期戦となれば押し負けてしまう。


 かといってこの状態から距離をとることもできない。


 絶体絶命の大ピンチ!

 

 熊がその重量を誇るかのように、これみよがしに力押ししてくる!


 ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛~~~~~ァ!!!!


 これ私の声だっけ? っていうくらい野太い声が私の口からあふれ出た。


 負けてたまるか!


 負けないためには……力だけではなく、魔法を使うしかない!


 未熟な基礎の魔法でも、生物一体の動きを止めるくらいなら出来る!


 魔法を攻撃に使うのは集落の掟に反するけれど、これも私が生き残るため、生き残ってみんなを助けるため!!


 ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ぁ水よ――ォォォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛――


 食いしばる歯の間から出た私の言霊は、周囲に無数の水のつぶてを作り出す。


 私はない才能を振り絞り、必死に攻撃のための魔法を編んでいく。


 ァア゛ア水よ、水よ、かの者のォ、猛き、ン心を、射ぬ――


 渾身の詠唱を終えようとしていたその刹那。


 どこからともなく白い犬がやってきたかと思うと、そのまま熊の首元に嚙みついた!


 突然の犬乱入に集中を乱され、私が作った水のつぶては雨のようにその場に降り注いだ。


 集中力が切れたのはクマも同じ。形勢不利とみたのか、慌てて森の向こうへと消えていった。


 勇ましい威容で逃げるクマを見送った犬は、くるりとこちらを振り返って近づき、ワンとひと吠えすると、からだをぶるぶると震わせて水滴を払い、ヘッヘッヘと嬉しそうに笑っていた。


 おかげで私はさらにびしょぬれになったけれど、この犬のおかげで命が助かったし、エルフの掟も破らずに済んだわけだ。


 私はよしよしとその全身をこね回す。


 真っ白く大柄、耳はピンと立ち、尻尾はぐるりと巻いている。

 見たことのない犬種だが、その人懐こい様子がとても可愛い。


 ありがとね~~~~よぉ~~~しよしよしよし……


 うぃ~~~~かわいいねぇ~~~~おぉ~~~よしよし……


 私を冷めた目で見下ろす背の高い人間がいることに気が付いたのは、私がひとしきり犬を撫でた後のこと。


 ハッ、として私は後ずさる。


「……人間!」


 私にとってこの森での第一人間の発見だったが、


「……なんよぉ、エルフけぇ。なんでこんなとこにおるん。なんかめっちゃ濡れとるし……」


 なんとも拍子抜けな言葉遣いが、私の警戒を一瞬だけ緩めた。


 が、引き続き威嚇を続けなければ!


 なにせ相手は人間。


 エルフなんて魔法兵器くらいにしか思っていない邪な連中なんだ!


 私は強気に、彼を睨みつける。


「ふん、『なんよぉ?』とは何よ。間抜け声の人間如きがいったいこの森に何の用?」


「いや、ここは国有林でおまんらの森ちゃうで」


「知ったことか!」


「それは理解してもらわな……」と、大男は頭をかいた。「俺は発電所の様子を見にいく途中やったんやけど、熊五郎がどっかいってもて。犬の……」


「熊五郎って……」私は私の足元に大人しく座り込んだ白く柔らかめの塊を見下ろした。「この神さまのこと?」


「神ちゃうけど、うん。熊五郎、ほれ、行くど。んで、。おまんもアレやろ、発電所のエルフちゃうん?」


「は、はつでん、しょ? って何?」


「記憶喪失か?」


「そんなわけないでしょ、ほら、魔法もちゃんと成功したんだし!」と私は自身たっぷりに胸を張った。


「迷子になって開き直ってんのか知らんけど……ほれ、いくで。他のエルフも心配して待っちゃあるやろ」


 他のエルフ、だと……?


 まさか拘束されているエルフが!?


 こいつ、ノンビリした見た目のくせに中々の手練れのようね……!


 ということは――このままこいつに従うふりをしてついて行けば、みんなの場所が分かる。


 みんなを助けられるかもしれない。


「分かったわ、ついて行ってあげる。でも少しでもおかしな様子を見せたら、アンタのその長い身体をこの木に巻き付けることくらい――」


「はいはい。行くで、はぐれんといてよ」


 ワン! と熊五郎はひと吠えして、山道をすすむ私たちの周りをウロウロしながらついてくる。


 神か神の使いにしか見えないその姿――私はついつい撫でようとした手を鉄の意思で引っ込めつつ、人間の後に続いた。

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