第154話 パラヴィスとスーリア

退けろッ」


 奈落の16区。

 全身に浅い傷を浴びた、パラヴィスが槍を振るっていた。


 周囲を取り囲むのは無数の喰鬼ブートの群れ。


 息をつくひまもなく剣、槍がパラヴィスに襲いかかる。

 槍で応じると、すかさず盾が割って入った。


「チッ」


 盾を傷つけてしまった場合、自身が喰鬼ブートとなってしまう可能性がある。


 間合いを確保せざるをえないが、後ろに下がれば。


 ――やっぱりな

 

 見上げると弓矢の雨である。


 矢を回避しながら、手薄な喰鬼ブートの群れへと再び斬り掛かった。

 そのまま数体を倒したものの、深く切り込もうとすると盾が邪魔し、距離を置けば弓矢が襲いかかる。


 1度でも判断を誤れば命は無い。

 すでに2時間以上、そんな生死を賭けた削り合いが続いていた。


「はぁはぁ⋯⋯分が悪いか、クソッ」


 集団戦において、攻撃は回数ではなく密度となる。有無ではなく濃いか薄いかの差だ。


 相手方の攻撃密度が薄いすきを突きながら、いかに相手を削ることができるかが肝要。そして自身が完全に消耗しょうもうしてしまえば、無論、それは死を意味する。


「スーリア、居るんだろうがッ!」


 パラヴィスが近くの喰鬼ブートを斬り伏せたとき、眼の前の群れを飛び越えて、1体の喰鬼ブートが片手剣で斬り掛かってきた。


 斬撃を槍のつかで受けるパラヴィス。


 両者の押し込めた力が振動となり、槍と剣をカチカチと小刻みに震わせる。


 パラヴィスと剣の喰鬼ブートが睨み合う。


 肉が削げ落ち、骸骨となったこうべ

 喰鬼ブートくぼんだみぞと化した眼でも、ただならぬ気配を込めた眼光がありありと見て取れた。


「ヴゥアァアアッ!!」


 叫び声をあげて喰鬼ブートが後ろへと下がる。


 喰鬼ブートが人であったときの名はスーリア。


 パラヴィスの実弟であり、剣衆の第4席であった男でもある。

 2年前、剣衆が五刃軍遠征を見越し、16区で新たなルート開拓を行っていた際、喰鬼ブートに堕ちてしまった。


 敵に包囲され、逃げ場を失った仲間を助けるためであったと聞いている。


 当初は信じられなかった。


 幼い息子と愛するアヌシュカ。2人を残して、弟スーリアがそこまでする必要があったのか。そして弟が助けようとした仲間も誰一人帰ってこなかったのも疑問だ。


 実はどこかで生きているのではないか。そんな期待もわずかながらあった。

 だが、こうして目の当たりにすれば、否が応でも飲みこまなくてはならない。


「ったく、律儀な奴だな。喰鬼ブートになっても、まだそんな魔剣を守ってるのか」


 スーリアは布で巻かれた長い物を背負っている。

 おそらく中身は剣衆の第4席に就いた者が、代々封印してきた最上大業物の魔剣であろう。


 本人に間違いない。


 パラヴィスの言葉には何も答えず、スーリアは剣で斬りかかる。


 太刀筋たちすじはどこか泥臭い。少なくとも天稟てんぴんに愛された者の剣ではない。


 だが、千切った折り紙を数え切れないほどに重ね合せ、浮き彫りにされた巨大な絵のような凄みがある。

 幼い頃からひたすらに続けられた修練と、命を何度も賭した実戦の果てにしか存在しない、そんな剣である。


 ――ルシウスの振りとそっくりだな


 薙刀グレイブへと形態変化させた刃で応じるパラヴィス。


 対してスーリアの片手剣も、刃とつか延伸えんしんし、刀身が分厚くなる。標準的な片手剣であった魔剣が、異様な形の長剣へと形態変化したのだ。


 長巻きソードスタッフと呼ばれる剣である。


 長大な刀身に長い柄を持ち、一見して槍のようにすら見える大剣の一種。


 薙刀グレイブ長巻きソードスタッフ

 奇しくも、いや必然の結果として、似た形状でありながら槍と剣に大別される魔武具同士がぶつかり合った。


 本来、喰鬼ブート相手には、刃の衝突を避けるのが定石である。万が一、裏返った魔武具を破壊してしまえば自身が喰鬼となってしまうためだ。


 だが、スーリアの力量を知っているからこそ、切り結ぶ。

 力一杯に。


 他の喰鬼ブートたちの攻撃をかわしながら、剣と槍との高速の応酬が繰り広げられ始めた。


 命を賭した勝負である。


 にもかかわらず、パラヴィスは奇妙な感覚を覚えていた。


 ――懐かしい


 ふと髑髏姿どくろすがたの弟へ目をやると、幼い頃の面影が重なる。幼少期に毎日、兄弟で日が暮れるまで手合わせし続けたことが、思い起こされた。


 ――ああ⋯⋯そういうことか


 いつかはここ16区に来るつもりであった。弟が喰鬼ブートに堕ちたと聞かされた時からずっと。


 だが、足は遅々ちちとして向かなかった。

 明日に、来週に、来月に、来年に。そう言って先延ばしにし続けてきた。


 その理由はパラヴィス自身も釈然としなかった。

 行かなくてはいけないのに、踏み出せないという矛盾を抱えた日々。


 相対した今、はっきりとその理由がわかる。


「スーリア、お前が完全に消えたら⋯⋯アヌシュカとタイラスは居なくなるよな」


 パラヴィス、アヌシュカ、タイラスは弟の死によって繋がっている。

 心のどこかで、そう感じ取っていた。


 2人に対して、口では自由になれと言った、口では面倒を見ると言った。


 だが、本心では。


「2人を守ってるつもりで、俺はすがってたんだな」


 斬り合いながらも、自嘲じちょうがこぼれた。


 涙を流すアヌシュカと、失望の瞳で見るタイラスが頭によぎる。

 これ以上、2人を傷つけてはいけない。


「俺は⋯⋯お前を封印するッ! スーリアッ!!」


 何より血を分けた兄弟である。

 こんな薄暗い場所で、さまよい歩き続けるより、ヤクシニー夜叉が祀られた神殿で静かに安置された方がいいに決まっている。


 パラヴィスの渾身の斬撃に対して、スーリアが斬り返した。

 左肩に痛みが走り、血がにじむ。


 人であった時より、スーリアの技が冴えている。


 周囲の喰鬼ブートたちの横槍を差し引いても、やや劣勢と言わざるを得ない。


 ――やっぱり75%程度の同調率だと勝てない


 間を置いたパラヴィスが槍を強く握りしめた。


「臨界点を超える」


 パラヴィスは槍へと魔力を込め、再び槍の魔力を取り込む。その循環を更に加速させた。身体の中に、魔槍の術式を発動した魔力が次第に充満していく。


 するとギギギッという決して人の肉とは思えぬ音を立てて、肉がきしむ。


 力を込めすぎたため、毛細血管が破裂し、全身に内出血が起こり、肌に紫のアザが広がる。

 

 さらに額の肉が隆起し、つののようなものまで現れた。


 まるで喰鬼ブートのようだ。


 それもそのはず。

 大半の魔武具の元となっている魔物は柘榴ザクロの実を嫌う鬼女ヤクシニー。またの名を夜叉もしくは鬼子母神とも言う。


 その術式は一本の刃を作り出すというシンプルなものであるが、月命神ソーマの眷属神であり、樹木のような柔軟さを持つ。そのためヤクシニーの魔力を宿した魔武具は、使い手の特性に応じた形を取るのだ。


 その力を宿した魔武具と使い手が『同』により、文字通り一心同体へ近づくことで夜叉やしゃとしての化生けしょうを帯びた結果である。



 2体の魔性が、再び目にも止まらぬ速さで斬り合い始めた。


 速度と力が上がり続け、常人には時折見える残像と金属がぶつかり合った火花だけしか見えないだろう。


 時折、残像が通り過ぎ、巻き沿いにされた喰鬼ブートたちが崩れ落ちる。あまりに素早いため、喰鬼ブート自身が崩れるその瞬間まで斬られた事に気が付かぬほどであった。


 魔武具の性能はともに良業物。

 魔力量は両者ともに1級。

 肉体は鋼のように鍛え上げられ、精神は片やすでに人ではなく、片や常人を凌駕りょうがする。



 互角。



 だが、互角ではダメだ。



「もっとだ⋯⋯もっと」


 槍との魔力をより強く取り込み、魔力の循環を加速させ、さらに同調率を上げていく。超えてはいけないところまで。


 牙も爪も鋭く伸び、人外へと徐々に近づいていくパラヴィス。


 巫女との『封』を用いない場合、パラヴィスの同調率の上限は86%。

 魔槍の全てを引き出すことはあたわないが、それでも大半の聖戦士が70%にも届かないなか、衆長に恥じぬ値である。


 そして現時点ですでに86%。


 未だパラヴィスの刃は、スーリアへ届かない。


 ――あと0.1%⋯⋯行けるか!?


 喰鬼ブートは聖戦士が魔武具の力を引き出しすぎた末路。

 つまり己の上限以上にまで同調率を上げてしまった時に、のだ。


「いや⋯⋯行かないとな。堕ちたとしても」


 パラヴィスは踏み超えた。

 有史以来、多くの聖戦士がそうしてきたように。


「ッぐがあああッ!」


 牙が生えたパラヴィスの口から苦痛と快楽が入り混じった叫びが溢れ、額のコブのうちから、骨が皮膚を突き破りむき出しとなった。


 つのの露見は喰鬼ブートへ堕ちることを意味している。


 すきと見たスーリアが長巻きソードスタッフの刃を上へ向け、下段から一気に切り上げる。

 さくりという技である。


 一方、パラヴィスは薙刀グレイブを振り降ろし、両者の刃がぶつかる直前、円を描くように槍を回転させた。


 つかのしなりとテコの原理でスーリアの得物を巻き取ったのだ。

 巻き上げという技だ。


 手からほうられたスーリアの長巻きが、回転しながら虚空を舞う。


 パラヴィスに軍配が上がった瞬間である。


 そして後わずかで、喰鬼ブートに堕ちる。


 だが、その前に。


「もらったッ!」

 

 無手となったスーリアを斬らなくては。



 薙刀を振り上げた。



 そのとき。



 凄まじい衝撃が駆け巡った。



 最初は魔槍に。


 次は右肩からジュッという破裂音とともに。



 脳が痛みを認識する前に、パラヴィスは吹き飛ばされた。

 吹き飛ばされながらも右肩を確認する。


 ――弓矢かッ


 右肩に魔力の結晶である弓が突き刺さっている。右肩の骨も筋肉もぐちゃぐちゃで、感覚がまったくない。


 遠く離れた場所に鈍い音とともに落下したパラヴィス。


「ぐッ! あッあぁあッッ!!」


 全身に駆け巡る痛みを叫び声で誤魔化した。


 かろうじて左手だけで握られた槍の刀身には無数の亀裂が入り、弓矢がえぐったような深い溝が掘られていた。

 あと1度でも振れば砕け散るだろう。


 何が起きたのかわからない。

 正確にいえば、起きたことだけは分かっている。魔弓を持った喰鬼が弓矢を放ったのだ。



 問題は、その常識外れの威力。



 一撃で、良業物の槍を無力化し、『同』の同調率86%以上という驚異的な数値まで引き出した体を破壊したのだ。


 突き刺さた弓矢は魔力へと戻り霧散すると、ぱっくりと開いた穴から血が吹き出す。


 その身体は血色を取り戻しており、爪も牙も角も消え失せていた。

 喰鬼に堕ちる直前、槍に致命的な攻撃を受けて『同』が完全に停止し、不幸中の幸いにも変化が止まったのだろう。


 だが、自身が先程までいた場所を見ると、信じられない光景が広がっていた。


「ま⋯⋯さか⋯⋯」


 弓の衝撃で薄紫色の霧がトンネルのように開いていたのだ。


 奥に見えるのは魔弓を持った喰鬼。


 その魔弓を知っている。

 なぜなら奈落に足を踏み入れる者たちは、必ず頭に叩き込まれるからだ。


 その魔弓を目にしたら一目散に逃げなくてはいけない。仲間に構わず、ただひたすらに走れと、そう教えられる。



「さ、三大喰鬼さんだいブート⋯⋯」



 長い共和国の歴史の中、幾度ともなく行われたヴリトラ討伐の遠征。

 その中で3度だけ、四聖が喰鬼に堕ちるという凶変が起こった。


 なぜ凶変か。

 鉄則として喰鬼討伐では相手の力量を上回らなくてはならない。


 だが、四聖とは聖戦士の頂点にあるもの。

 つまり、それは討伐できる者が居ない喰鬼の誕生を意味していたからだ。


 討伐不可能な喰鬼は、いつしか三大喰鬼と呼ばれるようになった。


 三大喰鬼は特定の縄張りを持たず、数年ごとに奈落をさまようと言われており、広大な奈落でそうそう出会うものでもない。


 だが、考え方を変えれば、いつどこであっても不思議はないのだ。

 事実、三大喰鬼の出現時には例外なく甚大な被害を出してきた。


 その災厄が今、現れた。


 スーリアが長巻きソードスタッフを拾い上げ、横たわったパラヴィスに近づいてくる。さきほどの戦いも、全て水の泡となった。


「通りで、この場所は死人が多いわけだ」


 おそらくスーリアも三大喰鬼と遭遇し、仲間を守るために堕ちたのだろう。結果は全滅であったが、それなら納得もできる。


 槍はほぼ全壊、利き腕は動かない。

 今できることと言えば、自決するか、最後の力で喰鬼ブートに堕ちることくらいだ。


 三大喰鬼はいつでも殺せる距離から、成り行きをずっと見ていたのだ。

 パラヴィスの魔槍 穿断を完全に破壊しなかったのは、おそらく喰鬼ブートを増やすため。


「はははっ」


 乾いた笑いがこみ上げる。


 弟を連れて帰ることはできず、約束は守れない。

 五刃軍は組成され、数年後にはタイラスが遠征に向かうだろう。


 結果は何百年も繰り返されてきた通り。

 喰鬼ブートの数が更に増えるだけだ。


 スーリアがすぐ目の前に立ち、長巻きソードスタッフを大きく振り上げた。


 その手は震えている。

 まるでパラヴィスを殺めることにあらがっているかのように。


 ――スーリア⋯⋯泣いてるのか


 喰鬼ブートに感情はない。

 あるのはただ、武具としての本能である戦いを求める欲求だけのはず。


 手合わせは数え切れないだけやってきたが、真剣勝負は過去2回しかない。


 槍衆の衆長を巡る勝負で、パラヴィスが勝った時。

 アヌシュカへの告白を賭けた勝負でパラヴィスが負けた時。


 両方ともスーリアは悔しそうに泣いていた。「なぜ、いつも兄さんは」と。

 不思議とパラヴィスには、その時と同じだと思えた。



「スーリア。安心しろ、お前に俺を殺させはしない」



 パラヴィスは砕けかけた槍の刃を、己の首筋に向ける。

 そして、力を込めた。


 その時、キュッという高い音が響く。



 気がつくと眼の前に、見慣れぬ槍が突き刺さっていたのだ。



 兄弟を隔てるように。


 だが現れた槍以上に、パラヴィスの目を釘付けにしたものがある。

 スーリアの長巻きソードスタッフの刃が真っ二つに斬られているのだ。


「スーリア?」


 首筋に当てた槍を手放し、急速に崩れていく弟へと手を伸ばすパラヴィス。


 崩れていく弟スーリアの表情は安堵に包まれていた。

 まるで呪いから解放されたかのように。



「何が⋯⋯起こった」



 スーリアが霧散し、魔剣が土塊に還る。残ったのは背負っていた布に包まれた魔剣だけであった。


 混乱するパラヴィスの視線は、次に槍へと注がれた。


 凄まじい名槍であることは疑いようがない。

 なぜこんなものが、という疑問が沸き起こる中、どこか既視感がある。


 ――見たことがある


 無論実物ではない。無崇邑の武具店の女店主リタが、酔った時に散々見せつけてきた本に書かれていた槍である。

 

 間違えようがない。刃に大きな返しが付いている特徴的な形だ。


 400年以上前に失われた魔槍。

 かつて槍衆の衆長が受け継いできた最上大業物の魔槍。


「骨⋯⋯影⋯⋯だと」


 何が何やらさっぱり理解できない。



「危なかった」



 知る人間の声に思わず振り向いたパラヴィス。


「ル、ルシウスなのか? ⋯⋯ンッッ!?」


 振り向いた先にいたのは黒い鎧。


 不気味というより恐怖に近い存在感を漂わせる魔物である。クアドラ神の眷属神の中でも、かなり高位の詠霊と同等の気配だろう。


 だが、それは魔力量の話。

 黒い鎧に秘められた武人特有の気配は別次元である。


「そう。今は式を顕現させてるけど」


 黒い鎧からルシウスの声が返って来た。


「式をまとう⋯⋯たしか白妖とかなんとか。いや、それより。どうしてここに居る!? この槍は何なんだ!? お前がやったのか!?」


 仮にルシウスがスーリアを倒したとして、なぜ喰鬼ブートになっていないのか、疑問が溢れ出た。


「話はあとで」


 蚩尤をまとったルシウスが、パラヴィスの前に突き刺さった槍を引き抜く。


 すると一層、槍の気配が強くなった。

 槍の主人がルシウスであることは間違いないだろう。


 そしてルシウスは三大喰鬼へと、矛先ほこさきを向ける。





「そうか、蚩尤。お前はが欲しいんだな」



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