第148話 先代大巫女

 日も沈み、無崇邑へと戻ったルシウス。


 門を過ぎるなり、慌ただしい声が耳に飛び込んだ。

 集落の様子がいつもと違う。

 出たときには普段通りだったはずが、今は異様な気配なのだ。


 ――どうしたんだ?


 日没後だというのに市場には人があふれており、皆、水瓶みずがめを抱えている。


「そこのアンタ!ちょっと、どいてっ!」


「うわっ」


 ルシウスを押しのけるように数名の人間が通り過ぎる。

 ちょうどルシウスが通りかかった店に用があるようだ。


「そのプラムは全部買うわ! 私が先に見つけたのよ!」

「あんたはもう買ってるだろ! こっちはまだ一個も無いんだ」

「水がダメになってるんだから仕方ないでしょ!?」


 夏の終わりの市場。

 りんごやプラム、洋梨、ブドウが並べられている。


 どうやら邑人むらびとは、それらの果実を求めているようだ。


 ――何かの祭りか?


 良く分からないまま、熱気が立ち込める市場を離れ、集落の中央にある家へと帰ったルシウス。


「あ、おかえり〜」

「おかえりなさい、ルシウスさん」


 扉を開けるなり、2人の声が聞こえた。

 リビングを覗き込むと、巫女候補サイと鉄仮面のプリエナが並んで席に着いている。


「今日も勉強?」


「そうよ〜。タイラスから新しい本を借りてね」


 サイは神殿で勉強してる年齢である。

 いつまでも部屋にもっているだけともいかず、少し前からプリエナが教師として教え始めたのだ。


 ノア教に関わることに加えて、今のところ算数や国語、歴史などが中心のようだ。

 貴族ならば、さらに社交術、武術、音楽、美術などが加わるのだが、巫女にそれらの教養が必要かはわからない。


 ただし、王国と同じく共和国も、魔力と術式があるせいか、前世と比べて自然科学に関する知識はとても少ない。


「でも、プリエナが勉強を教えられるのは驚いたな。結構、勉強出来たの?」


「よくぞ聞いてくれました!実はね、私、座学はトップだったのよー」


 自慢げに鼻を高くするプリエナ。

 まるで何日も、その言葉を待ち続けていたかのようだ。

 その得意げな顔に、苦笑いしか出てこない。


「はは」


「ルシウスー、信じてないね⋯⋯なら、コレあげないから!」


 プリエナが台所に置いてある瓶を抱きしめる。

 その中には、プラムやりんご、洋梨が漬けられているようだ。


「それはなに?」


「拝水祭の為の果実水よ」


「拝水祭?」


「知らないの? 年4回ある行事の1つで、家族で果実水を作って幻水神ヴァルナへの感謝を捧げるのよ。ってか、ルシウスのお母さんは南部の人なのに作ってなかったの?」


 思い返せば、毎年この季節に果実水を作ってくれていたように思う。


「そう言われれば、あったような?」


 サイが大人用に椅子から飛び降りた。

 そして気恥ずかしそうにルシウスの所までやって来る。


「プ、プリエナ様といっしょに作りました。ルシウス様もよければどうぞ」


 サイは空のコップを差し出した。


「ありがとう」


 コップを受け取ると、プリエナから渡してもらった水瓶から果実水を注いだルシウス。


「サイ、これは飲むときに何か決まりとかあるの?」


「いえ、家族で飲む、ということくらいです」


「なるほど。それならプリエナとサイも一緒に飲もうか」


「いいんですか? でも、私は家族では⋯⋯」


「当然でしょ。一緒に住んでるんだし」


「は、はい!」


 サイが目を輝かせて頷く。


 性格も年齢も違うが、子どもらしいサイの反応に妹イーリスと面影が重なった。


 ダイニングテーブルへと着いた3人、いや4人。

 プリエナ、サイに続いて、傀儡ソルも珍しく席に座ったのだ。


 傀儡ソルは人ではないため、全く食事をしない。そのため、実際に飲みはしないのだが、今回のようなケースでは同伴してくれることが多い。


 晩ごはんを作る前のちょっとしたイベントである。


「じゃ、いただきます」

「いっただきますーす」

「いただきます」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 3人はグラスを飲み干した。

 口の中に色んな果物の爽やかな薫りが重なり、控えめな甘みが疲れた体にみる。果汁から作ったジュースとは違う風味である。


「あ、味は」


 心配そうに見つめてくる。


「すごく美味しいよ。サイのお母さんに教えてもらったの?」


 首を振るサイ。


「お母さんはいません。私は生後すぐにヴァルナ神殿へ預けられたそうです」


 どうやらサイは孤児だったようだ。

 返事に困るルシウス。


「巫女候補にも色々いるのよねー。共和国中の孤児たちを集めたり、私みたいに特定の家系から出したり」


 プリエナがグラスを手で揺らす。


「⋯⋯そうか」


 考えてみれば当然か。

 多くの巫女や聖戦士を聖都だけで輩出できるわけではないだろう。共和国全体から集められていると考えたほうが自然だ。


「私は気にしてません、巫女になれるというのは名誉なことですから。この果実水の作り方はエリナオ様に教わりました」


「エリナオ様? サイの知り合い?」


「先代の大巫女様です。いつも私達、巫女候補にも優しくしてくださいました」


 ――あの女の人か


 聖域に来て間もない頃、ヴァルナ神殿からの帰り道、遺体となって魔法陣へ吸い込まれていった女性を見かけた。


「皆⋯⋯私もエリナオ様が作る果実水が大好きだったんです」


 果実水を大切そうに見つめるサイ。


「そうか⋯⋯残りはサイが飲むといいよ。俺は井戸水で十分だから」


 ルシウスは飲み干したグラスを手に持ったまま台所へ向かい、土間においてある大瓶おおがめの水を飲んだ。


「うっ」


 思わざず土間へと水を吐いきむせるルシウス。


 ――この水、腐ってるッ


 口の中にひどい臭みが広がったままで最悪の気分だ。

 雑菌が繁殖した水を口に含んでしまった。


「ああ、薬屋裏の井戸もダメね、せっかく昨日、頑張って汲んできたのに」


 違うかめの水で口を濯いだルシウスが口元をぬぐう。


「腐ってたなら教えてよ」


「ゴメ、それは知らなかった。この所、雨が少ないでしょ? だから井戸の水も減って、濁り始めたの。それもあって今年はみんな、拝水祭に気合が入ってるみたい」


 確かに市場で見た果実を求める熱気は異様であった。

 無崇邑にはいくつか井戸はあるが、水の量が少なくなりつつあることは、2週間ほど前に小耳に挟んでいた。


「新しい井戸を掘らないとな」


 ルシウスの言葉にプリエナが首を横に振る。


「どこを掘っても多分一緒だよ。幻水神ヴァルナがアレじゃぁね」


「幻水神ヴァルナ?」


 以前、聖都で目にした特級中の特級の詠霊 。

 ノア教徒たちはをそれを幻水神ヴァルナとして崇めている。


 彼らの教義では世界を維持しているのは4体の主神であり、うち世界の水を司るのが幻水神ヴァルナという話らしい。


「そう。契約者、つまり次の大巫女がなかなか決まらないんだって。無崇邑の人たちもその話題でもちきりよ。普通なら1ヶ月しない間に次の大巫女が選出されるんだけど、もう2ヶ月も経ってるのに、おかしいって」


 勉強の件では茶化したが、プリエナはさとい。

 強い意思を持ち、どこか冷めた視点で世の中を見ている。本人の信仰心とは別に、宗教の設定を鵜呑みにする人間ではないと思う。


 ――本当に詠霊が世界を維持しているのか?


 そんな疑問が頭をよぎったとき、影を落とす巫女候補サイの姿が目に止まった。


「サイ? どうした?」


「いえ、何でもありません」


 大げさに首を振るサイ。

 諦めたような瞳で、プリエナがサイの頭を優しく撫でる。


「サイが気にする必要はないよ。だってまだ8歳なんだから、サイが大巫女になるのは少なくとも10年後ね」


 その言葉に驚きを隠せないルシウス。


「サイが⋯⋯大巫女に?」


「そりゃね。8歳で7つ目、つまり特級の魔核を持ってるなんて、巫女候補でもめったにいないから。間違いなく将来は大巫女」


 ヴァルナ神の魔法陣へと亡骸が吸い込まれていった先代の大巫女。まだ若く、もっと生きられたはずの女性だった。


 本来、人にはくだらぬはずの高位の魔物。

 それを降す為に、大巫女は命を捧げる。


「本当なのか? サイ」


「⋯⋯うん」


 ルシウスは腰をかがめ、サイと視線を合わせた。

 その瞳は真剣そのものだ。


 たった2ヶ月。


 それでも同じ家で過ごした仲である。

 寝食を共にし、休日には買い物に出かけ、毎朝2人の歌を聞いて目を覚ました。

 今さら、ただの同居人であったなどと割り切れるはずもない。


「俺はサイが何を信仰していてもいいと思ってる。それは本音だ。心の在り方は誰にも否定されるべきじゃないから」


 不穏な前置きに思わずプリエナが前のめりになる。


「ちょっとルシウス! サイにはサイの信仰が――」


「プリエナは少し黙ってて。サイがしたいことって何?」


「立派な巫女になる⋯⋯私の役割だって」


 ルシウスは再び真っ直ぐにサイの瞳を見つめた。


「そういうことじゃない。確かに特級以上の魔物は凄い力を持っているから神様みたいなことができるかもしれない。でも、その力は誰かに言われたから使うんじゃなくて、サイにとって本当に大事なことのために使ってほしい」


 命の使い方である。


 自分自身で選び取った先に、なおもヴァルナとの契約があるのであれば、尊重する。誰よりもルシウス自身がそう選んだのだから。


 だが、他人に強制されることでは決してない。


「私が本当に大事にしたい、こと?」


「そうだ。巫女候補としてのサイじゃなくて、サイ自身が大事にしたいことだ。いいかい? それが見つかるまで幻水神ヴァルナと契約しちゃいけない、絶対に」


 言葉に吸い込まれるようにサイの瞳が遠くなる。

 眼の前のルシウスではない違う過去へ、思いを馳せているようだ。


「⋯⋯エリ⋯⋯ナオ様」


「先代の大巫女がどうしたの?」


「確か⋯⋯エリナオ様も同じことを⋯⋯あれ? でも、すぐに忘れなさいって言われて」


「そうか。先代の大巫女が」


 先代の大巫女エリナオはサイに対して、1人の人間として接していたのかもしれない。


「はい⋯⋯昼食やお茶に呼んでくれたり、絵本を読んでくれたり、人形遊びの相手になってくれたり、時には一緒に寝てくれたり。沢山⋯⋯色んな話を⋯⋯してくださいました」


 サイの瞳に薄っすらと涙が詰まる。


「サイは悲しいんだね。エリナオさんが死んだことが」


 母親に近い感情を抱いていたのかもしれない。

 幼子のうちに棄てられた子が、愛情を注いでくれた相手に母を重ねるのは当然とも言える。


 その母がたった2ヶ月前に死んだのだ。

 まだ8歳の子どもが不安な生活の中で、一切その素振りも見せず、ずっと耐えていた。


 それが、ふとしたきっかけで、ついに限界を超えた。


 ハッとしたように必死に首を振り始めたサイ。

 慌ててそでで涙をぬぐう。


「か、悲しいわけありませんっ! エ、エリナオ様はヴァルナ神と1つへ還ったんですっ! 居なくなった⋯⋯わけでは⋯⋯無くて」


 ぬぐってもぬぐっても、涙がこぼれ落ちるサイ。


「これは、これは⋯⋯違います⋯⋯うっ⋯⋯か、悲くなんかありませんから」


 ノア教において、契約者は神の化身。

 死したのではなく、式と文字通り一体となったことで本来の姿に戻るとされる。


 その教義を純粋に信じるからこそ、悲しんではいけなかったのだろう。


 必死に泣いてはいないことをアピールするように笑み作るサイが、縋るような視線をルシウスとプリエナへと送る。見捨てられることを恐れているのかもしれない。


「サイ、泣いていいんだよ。ここでは誰も責めないから」


「え」


 不思議そうな表情を浮かべたサイを、鉄仮面を付けたプリエナが腰をかがめて抱きしめる。


「サイ。大丈夫、分かってる。分かってるから」


「うっ⋯⋯うぁ⋯⋯あわあぁああっ」


 そのままプリエナにすがりつくように泣き始めた。

 閉じた眼をプリエナの方へ押し当てながら。


 涙を止めたいのだろうか。気持ちを否定するように。


 それでも、死んだ事実は変わらない。


 仮に本来の姿に、ヴァルナ神に戻ったという話が真実だとして、果実水を作ってくれたり、絵本を読んでくれた人は、もう間違いなくこの世には居ないのだから。


 ルシウスは静かに立ち上がる。


「⋯⋯ちょっと待ってて。サイが好きな卵料理でも作るから」


 台所へ入った時、扉がトントンと叩かれた。


 サイを抱きしめるプリエナは、扉へ背を向ける。

 泣く姿を見せないようにしているのだろう。


「はい」


 急いで、ルシウスが扉を開けると扉の先には元巫女アヌシュカと息子タイラスがいた。


「お裾分けを作ってきたわよ。はい、どうぞ」


 アヌシュカが果実水が入った小瓶を渡してくる。


「僕も作ったんだよ」


 タイラスが笑みを浮かべた。


「ありがとう。アヌシュカ、タイラス。うちもプリエナとサイが作ってくれたんだ。後から、これに詰めてお返しを持って行くよ」


 受け取ったばかりに果実水の小瓶を振るルシウス。


「あれ、サイ? どうしたの?」


 タイラスが部屋の中をのぞき込む。

 床に屈み、サイを抱きしめるプリエナが気になったのだろう


「なんでもないよ。それよりパラヴィスは一緒じゃないの?」


「知らない。家族が集まる拝水祭を祝わないのは、俺達が家族じゃないからでしょ。ルシウス兄ちゃんもアイツには果実水を渡さなくていいから」


 ふてくされたようにタイラスが口をすぼめる。


「タイラス、なんてこと言うの」


「だって、居ないのは本当じゃないか!」


 2人を仲介するようにルシウスが口を挟んだ。


「えと、パラヴィスは何か用でも?」


「あの人は大事な会議に呼ばれてるわ」


「そうか。タイラス、パラヴィスにも都合があるんだよ。衆長だから」


 機嫌が悪いタイラスを宥めた時。


 ――なんだ


 突如、異様な気配を感じ取った。

 すぐにアヌシュカとタイラスを腕を掴み、家の中へと引っ張り入れる。


「ちょ、ちょっと!」

「ルシウス兄ちゃん、どうしたんだ」


 2人を家へと入れた直後、家の周囲に無数の足音が鳴り響いた。




「⋯⋯囲まれてる」


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