第147話 兆し

 2ヶ月後。


 宵闇よいやみが近くなる森の中。


 ルシウスの前には10体ほどの喰鬼ブートの群れがあった。それでも蚩尤しゆうは顕現させておらず、生身のままだ。


 その群れの奥に、一回り体が大きな喰鬼ブートがいる。


「お前がこの森のボスか」


 双剣を構える。


 応えるように喰鬼ブートたちも魔武具に構えると、夕日に赤く照らされた森に、殺気が張り詰めた。



 先に動いたのはルシウス。


 一気に駆け、喰鬼ブートの群れへ突っ込んだ。

 当然、その場にいる全ての喰鬼ブートが、ルシウスを取り囲む形となる。


 すぐさま四方八方から魔武具の刃が襲いかかる。

 機械のよう寸分違わず、全身の急所へ向けられている。


 一太刀でも受ければ、即死。


 それでも迫る刃を冷静に見つめるルシウス。


 左手には黒い魔剣。

 赤い夕日にも染められない漆黒の刃に魔力を流す。




 ぎ。




 空間に黒い面が現れる。

 斬撃の軌跡きせきを描くかのように。


 向かってくる刃が、黒い面を貫いたとき、キュンッという甲高かんだかい音が響いた。


 直後、いくつも魔武具の破片が空へと飛ぶ。


 たったの一振り。

 それだけで襲いかかる刃達を斬り裂いたのだ。


 本体である魔武具を破壊された喰鬼ブートたちが崩れ落ちる。


「⋯⋯2体もかわせたのか」


 咄嗟に引き下がったのは、剣の喰鬼ブートと群れのボスだけである。


 ルシウスが手にした魔剣を警戒する2体の喰鬼ブート


 左手の黒い魔剣で作り出した黒い面は、極めて薄い圧縮空間。極限まで圧縮された空間が、一気に弾け飛ぶことで衝撃波を生む。


 結果、切れぬもののない刃と化すのだ。


 そのあまりの切れ味に、2体の喰鬼ブートが身震いした。

 死への恐れか、それとも強者と戦えることの歓喜か。


「ぐおおおぉおッ!!」


 雄叫びと共に魔剣の喰鬼ブートが、分厚い剣へと魔力を流すと、刀身がより太く湾曲していく。


 ――戦斧みたいだな


 剣というより斧。

 斬ることではなく、叩き裂くことに特化した形状だ。


 斧と化した剣を大きく振り上げる喰鬼ブート

 一切の防御を捨て、攻撃だけに全振りしたかのような構えだ。


 喰鬼ブートと視線を合わせるルシウス。

 その瞳からただならぬ覚悟を感じとった。


「⋯⋯いいよ」


 次は右の魔剣。


 右手首をひねると、手にした白い刃が、赤い夕日の光を反射した。

 魔力を流し仕込むと、夕日の赤を塗りつぶすように、禍々しい光が灯る。


 喰鬼ブートの口角が上がる。

 真っ向から受ける選択をしたルシウスへの感謝か、それとも戦いの高揚か。


 気を整えた喰鬼ブートが溜めた力を解放。

 凄まじい速度で、斧がルシウスの頭上へと振り降ろされる。


 対して、ルシウスは刃を斬り上げた。



 刃が交わる。



 無音。


 金属同士がぶつかった衝突音すらない。


 しかし勝敗は明確であった。

 斧の刃が両断されていたのだ。


 少し間を置いて、はるか後方で斬り飛ばされた斧の一部が、地面へと落ちた小さな音がした。

 斧の喰鬼ブートが満足そうに笑みを浮かべたまま、崩れ去った。


 そして残されたのは1体。


 一連を見守った大きな喰鬼ブートが自らの番とばかりに、魔槍を構える。

 仲間をすべて失ったにもかかわらず、闘争心は一切衰えていない。


 その姿を哀れむようにルシウスは見つめた。


 ――戦いだけが存在意義、か


 ほぼ毎日戦っているが、戦況次第で逃げだすような個体は一体も目にしたことがない。


 果てるまで戦い続けるような個体ばかりだ。

 聖戦士が喰鬼ブートに堕ちた瞬間の思いのまま、時が止まっているかのように思えてならない。


「来い」


 ルシウスの掛け声と共に、魔槍の高速の突きを放つ喰鬼ブート


 ――早いな


 喰鬼ブートは闘術を使う。

 そのため身体能力を飛躍的に高める身体強化も当たり前に使ってくるのだ。


 突きの連撃。


 槍が腕をかすめて、わずかに血がにじむ。

 どうやら、先ほどまでの喰鬼ブート達とは技の練度も、魔武具の階級も違うようだ。


 それでもルシウスは更に前へと踏み込んだ。


「早いのは、お前だけじゃない」


 闘術を使えないルシウスの身体能力は、無論、人の範囲に留まる。


 だが両手にあるものは双剣。


 2本の剣を器用に別々に繰ることで、槍の連撃を受け流すルシウス。双剣の型も自分なりに形になってきた。


 高速の打ち合いが続く。

 刃がぶつかり合う音と音が重なり合うほどの応酬。


 ――やっぱり生身だと、闘術使いにはきついか


 徐々にではあるが、押されていく。


 それでもルシウスに焦りはない。

 なぜなら、この世界の戦いにおいて最も大事なものは、刃ではない。


 術式である。


 左手の黒い剣で、横一文で斬り裂く。

 空間に漆黒の刃の軌跡を作り出した。


 すぐさま右手の白い剣にも、赤い光をまとわせる。


 そして、同じように反対方向から横一線。


 黒い面を斬り裂いた。

 寸分の狂いなく黒い剣の軌跡をなぞるように。


「終わりだ」


 重なった2つの術式。

 闇の術式と光の術式が、一直線に混じり合う。


 圧縮と拡散。相反する属性同士の消滅と反発が瞬時に発生する。


 結果。



 斬撃が


 それは赤い光をまとった闇の刃であった。



 本来なら共存し得ない2つの物性。

 その矛盾の刃は、避ける間もなく喰鬼ブートが槍ごと、真っ二つに裂いた。


 通り過ぎたあとは綺麗にえぐれた断面だけが残された。


 飛翔した斬撃は喰鬼ブートを貫通するとすぐに対消滅する。


 ――刃の飛距離は1.5m、存在できる時間は0.2秒ってところかな


 圧黒の刃に収束した光をまとわせることで、剪断力を強化したのだ。


 打ち消し合うはずの光と闇を僅かな時間だけ掛け合わせることで、瞬間的に何倍もの能力を引き出すという定石を無視した技である。


 ルシウスは双剣を鞘へと戻す。


 それを見守っていたかのように、無数の黒い鎧兵が森を覆う闇から現れた。周囲の喰鬼ブート狩り尽くしたため、戻ってきたのだろう。


 この2ヶ月間、双剣術の習得だけを行っていたわけではない。


 鍛刃の業を発展させたルシウス流の縮魔の練により、魔力も増加させ続けた。


 結果、 当初では20体程度しか長時間呼べなかったが、今では500体程度に増えている。どの程度魔力が増えたのかは当の本人にもわからないが、数倍ということはないはずだ。


 さらに、双剣の性能も飛躍的に向上した。先程の技も、先週できるようになったばかりである。

 

 加速度的に増える魔力による鎧兵の増強。

 それにより喰鬼を狩る速度も上がり、蚩尤の力が増す。さらに取り込んだ双剣の魔剣の階級が上がることで、より力を増すという好循環である。


 だが、不満そうなルシウス。


「うーん⋯⋯敵が弱すぎる」


 蚩尤が順調に強化できていることは嬉しいのだが、相対的に森の喰鬼ブートが弱くなる。さきほど生身で戦っていたのも、蚩尤を顕現させてしまうと全く勝負にならないからである。


 格下とばかり戦っていては腕が上がらない。むしろ鈍るくらいだ。

 最近の課題は、いかに相手と接戦するかであった。


 にもかかわらず、喰鬼の数が激減し、狩りにすら困っている有り様だ。

 あと数日もせずに狩り尽くすだろう。


 そうなれば次は奈落だ。

 奈落はパラヴィスから許可しないと言われているが、もともと夜中に勝手に忍び込むつもりだ。


「⋯⋯主⋯⋯もっと強い敵⋯⋯探す」


 ルシウスの横に音もなく何かが並んだ。


 傀儡ソルである。

 魔力が増えたことで、戦闘にも積極的に着いてくるようになった。

 どうやら当初は魔力消費を抑えるため、極力動くことすら控えてくれていたようだ。


「ははっ、それじゃ、どっかの戦闘民族みたいな――ッ」


 急に左手に鈍い痛みが走る。


 邪竜の苛立ちだ。


 圧倒的な強者であるサマエルはもとより、ルシウス自身の魔力や技が増え、蚩尤の力が増し続ける中、誰よりも力を欲しながらも、唯一取り残されつつあった。


 邪竜の焦燥は日に日に強くなっていく。


「領地に帰ったらオルレアンス家が竜種を見つけてくれているかも知れない。そしたら進化できるだろ?」


 なだめてみるものの、全く納得いかない様子の邪竜。


 ――仕方ないか


 ルシウスは、説得を諦めて無崇邑むすうむらへと歩き始めた。



 ◆ ◆ ◆



 一方その頃、聖都では。



「どうなっているの!?」


 大理石の柱で囲まれた堅牢な部屋のなかで、女の声が響く。


 中央には四方に計8つの席が設置されている。

 席に腰掛けているのは7人。1つは空席のままだ。


 四神会。

 サンガーラ共和国の最高諮問機関である。

 構成委員は四人の大巫女と四聖の計8名のみ。


 諮問機関とはいえ、通例であれば協議会から提出された採決事項を承認していくだけの形だけの機関である。


 そう、有事以外は。


「落ち着くのだ、カリナ。陽炎神アグニも見ておられる」


 声を荒らげた陽炎神アグニの大巫女カリナを、同じくアグニを司る盾の四聖クォデネンツが諌めた。


「クォデネンツ。これが落ち着いていられますか!?」


 なおも納得がいかない様子の陽炎神アグニの大巫女カリナ。

 その声に部屋に集まった神祭司たちが肩をすくませる。 


「いいじゃない。外苑の森にいた喰鬼ブートが消えるくらい。むしろ助かるでしょ」


 面倒くさそうに爪をいじる妙齢の女は、魔弓の四聖サリアン。


「サリアンさん! 封印される魔武具の数は増えていないのに、喰鬼ブートの数だけが減っている、それも急激に。ヴリトラが堕ちた大災厄以来、有り得なかったことが起きているのですよ!?」


「カリナ様、心をお鎮め下さい。騒ぎ立てても変わりません。リシータ様、報告は本当なのでしょうか?」


 丁寧に言葉を返した若い女は空雷神インドラの大巫女ナヴィア。

 そのナヴィアから話を振られたのは20歳ほどの女。


 月命神ソーマの大巫女リシータである。


「ええ、報告では2ヶ月ほど前から、徐々に数が減り始め、2日前に派遣した調査隊の報告では1体も見つけられなかったようです。おそらくは、もう殆ど外苑の森には喰鬼ブートは居ないでしょう」


 月命神の大巫女リシータの横で蓄えた白ひげを撫でる好々爺。

 名を魔杖の四聖ナリスという。


「ほほっ、何やら面白いことが起きておるな。四聖に就いて長いが、このようなことは一度もなかった」


「笑い事ではありません! ナリスさん。今の状況はお分かりですか!? ヴァルナ神のの契約者も行方知れずのまま、空位が続いているのです。世界に混乱が生じるまで時が無いというのに、聖域では得体のしれないことまで起き始めたのです!」


「然り。だが凶兆と見るか、それとも吉祥と見るかは、今だ定まっておらん」


「凶事だと定まった時点では遅いのです。そもそも剣衆つるぎしゅうは何をしているのですか!? 一刻も早く繋ぎのサイを見つけだすべきでは!?」


 尋ねられたのは、剣の四聖アーク。


 四方に配置された席のうち、唯一1人だけで座している。

 横にいるはずの幻水神ヴァルナの大巫女は今なお空席のまま。


 長い髪を後ろで束ねた、一見して細身の男。だが、その内に込められた尋常ではない気配を感じ取れない者はこの場には居ない。


「聖域を中心に周辺の街を捜索中だ」


 一言だけで返した。

 それが気に障ったのか陽炎神アグニの大巫女カリナの顔が歪んだ。


「もとは言えば、幼いサイ以外に大巫女候補を立てられなかったヴァルナ神殿に責任があることをご理解されているのですか!? 先代エリナオ様が人格者であったことは否定いたしませんが、巫女たちを堕落させては意味がないでしょう!」


 強くとがめに入ったのは盾の四聖クォデネンツ。


「大巫女に足る人材がそもそも稀なのだ。適齢期の候補者がいないことは過去に何度も起きたこと。ゆえに『繋ぎ』という仕組みがある」


 言い過ぎてしまった自覚がある陽炎神の大巫女カリナが、反論する言葉を飲み込んだ。


「そう……ですね。確かに『繋ぎ』の巫女が2、3年ほどに、全ての神殿から候補者を1人輩出すれば、世界は維持できる。幸いアグニ神殿にはあと2年ほど修行を詰めば大巫女たり得る候補が複数いるわ」


 一連の会話に交わらず、目をつむったままの剣の四聖アーク。

 譲歩するように先ほどは打って代わり、声を落ち着けて話しかける陽炎神アグニの大巫女カリナ。


「剣聖アークさん。必ずサイを見つけだして下さい。必要なら我が盾衆をお貸しします。共和国全土へ派遣しましょう」


 剣の四聖アークが目をゆっくりと開く。


「隣の王国が帝国に襲撃された今、聖域から戦力を分散するべきではない」


「ですが――」


 カリナの言葉を遮るようにアークが低い声でつぶやいた。



「それに関係して、動議がある。今年は12年の1度のカリ・ユガの年――」


 剣聖アークが他の6人をゆっくりと見回した



「五刃軍を組成し、奈落へ派兵する。その是非を皆に問う」



「五刃軍⋯⋯まだやるおつもりですか、あれだけの聖戦士や巫女を犠牲にして。今や奈落は喰鬼で溢れかえってるではないですか!?」


 カリナだけではなく、その場にいる他の神祭司や高位の聖戦士たちも息を呑んだ。

 皆、先ほど以上に神経を尖らせながら、傾聴する。


「450年以上、続けられてきた戦いだ。神は取り戻さなければならない。此度こそ、悪神と化したヴリトラを討つ」


「大厄災により【マヌの再生】から【ノアの浸礼】へと名を変えて450年。かつての名前を覚えている人もほとんど居なくなった今、どれだけの人がヴリトラ神を必要としているのでしょうか」


 月命神ソーマの大巫女リシータもたまらず意見を上げた。

 その声に、剣聖アークを除く3人の四聖が首を縦にする。


 対して、剣聖アークは場外へと話を振る。


「槍衆の長パラヴィスよ、どうだ?」


 部屋の片隅で気配を殺しながら立っていたパラヴィス。

 大巫女も、主神も失った槍衆には、本来この組織に参加する資格はない。


 招集されたのは、この件のためだ。


「⋯⋯俺もそう思う」


「ほう? 槍衆の復興は諦めるのか」


 目を見開いた剣聖アーク。槍衆からその言葉が出てくるとは思っていなかったようだ。


「多数の聖戦士ではなく、自分を含む少数の先鋭が奈落の最下層へたどり着けばいい」


「それでヴリトラを討てると? 度重なる奈落への無理な侵攻により、最上大業物はおろか大業物すら失ってしまった槍衆に」


 パラヴィスは自身が背負った槍の穂先へと目をやる。

 良業物の槍。


 一般の聖戦士が持つ者であれば十分なもの。

 だが衆長しゅうおさの得物にしては、余りに貧弱な槍であった。


「⋯⋯誰かがやらねぇと」


「それは感傷による消極的自殺に過ぎない」


「それでもこれ以上、巫女たちが命を落とし、聖戦士たちが力を使いすぎて喰鬼に堕ちるのよりはマシだ」


 2人の視線が交わる。お互いに譲るつもりはないとばかりだ。

 緊迫した空気に、神祭司の文官や聖戦士たちから滝のような冷や汗を流す。


 だが、中央の席に座した7人の中に、気圧される者は1人もいない。

 話を打ち切るように、手を上げたのは月命神ソーマの大巫女リシータである。


「では、五刃軍については剣衆と槍衆で方針をまとめてから再動議ということで。森の喰鬼たちの件に話を戻しますが、2ヶ月前といえば、たしかエリナオ様がヴァルナ神のもとへと還られたあたりですよね?」


「2ヶ月前⋯⋯エリナオ様の葬儀、そう、思い出した。あの日」


 リシータの言葉に空雷神インドラの大巫女ナヴィアが考え込んだ。


「何かありましたか?」


の人が大瓶おおがめの間で魔剣を作ってたのも2ヶ月前⋯⋯偶然?」


 独り言のように呟くナヴィア。


 以前のやり取りを思い出しのか、大巫女のカリナ、盾の四聖がため息を着いた。クアドラ神以上の存在が聖域にいるなどという世迷言などを、とでも言いたげに。

 たいして、弓の四聖サリアンは自身の守護対象であるナヴィアを愛でている。


 だが話が見えない月命神ソーマの大巫女リシータは再び問いかけた。


「ナヴィア?」


「あ、いえ、そう言えば2ヶ月前にラーヴァナを見たと思いまして」


 ナヴィアは誤魔化すように違う話題へと切り替えた。


「ラーヴァナ!? あのラーヴァナが、聖域に帰ってきてるの!?」


 その言葉に殊の外驚いたのは月命神ソーマの大巫女リシータ。


「は、はい。偶然かもしれませんが⋯⋯」


 2人の言葉に、先ほど以上に緊張したのはパラヴィスだ。

 なにせ、そのラーヴァナの巫女を匿っている張本人だからだ。


 月命神の大巫女リシータが急に立ち上がった。



「今すぐの行方を探し出します」



 魔杖の四聖ナリスを伴った月命神ソーマの大巫女リシータは、足早に部屋を後にした。



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