第137話 巫女候補
ルシウスは
寝起きのプリエナを叩き起こし、椅子に座ったままソルに呼びかけ、母屋へと向かう。
あくびをするプリエナを横目に、母屋の扉をノックした。
「タイラス、今、手が離せないから出てちょうだい」
家の中から女の声が聞こえる。昨日会った女性だろう。
「はいー」
少年の声がすると、すぐに扉が開いた。
扉の先には、昨日助けた8歳ほどの少年が立っている。
鉄仮面のプリエナを不思議そうに眺めたあと、ルシウスと目が合った。
「あ、昨日のお兄ちゃんだ!」
満面の笑みを浮かべる少年。確か名前はタイラス。
――いったい、どういうことだ?
昨日の時点では、確実に手足の骨が折れていた。
しかし、目の前の少年は自分の手でドアを開け、立っている。
包帯どころか、怪我の痕さえ残っていない。
「助けてくれてありがとう! パラヴィスから聞いたよ、運んでくれたって」
「それより、怪我は?」
「あれくらいならへっちゃらだ! 魔剣を抱いて寝れば一晩で治るよ!」
「一晩で!?」
ルシウスは、槍使いのパラヴィスから聞いた「同」という闘術を思い出す。
身体強化の術式によって、怪力や瞬発力、さらには魔物並みの回復力までも行使できるのだろう。
それを一晩も維持できるとは驚くべき使い勝手だ。
――兵士の質が違いすぎる。共和国が大国として、他国の侵略を一切許さないわけだ
「お兄ちゃんたち、あの
「ああ、あれから――ふガッ!」
説明しようとしたルシウスの口を、プリエナが素早く押さえた。
「あれからねー、君たちを背負って逃げたんだよ」
プリエナが満面の笑みで、さらりと嘘をつく。
「そうなの!? よく喰鬼から逃げられたね!」
「逃げ足には自信があるんだ~」
得意げに足を撫でるプリエナ。
「それくらいにしておけ、タイラス。飯が冷めるぞ」
部屋の奥から現れたパラヴィスが、息子タイラスの頭をぽんぽんと叩く。
「……わかってるよ、うるさいな」
タイラスが無愛想に手を払いのけ、奥へと戻っていく。パラヴィスは少し困った顔をして、ルシウスたちに奥へ入るよう促した。
「中へ入ってくれ」
「はい、お邪魔します」
ルシウスは、タイラスたちが奥へ入っていったのを見計らい、プリエナに耳打ちする。
「なんで嘘をつく?」
「黙っておいたほうがいいいからよ。もし、
「……なるほど。わかった」
ルシウスは小さくうなずいた。
聖域のことはプリエナのほうが詳しい。ここは素直に従っておいた方がいいだろう。
その後、ルシウスとプリエナはパラヴィスに誘われるまま席に着いた。
食卓には、家主のパラヴィス、その息子タイラス、そしてルシウスとプリエナが並ぶ。
ソルは
食べる必要がないのだから、母屋までついてこなくてもよかったのだが、指示がない限りルシウスのそばにいたがる。
傀儡としての
少し遅れて、さらに二人がダイニングに入ってきた。20代中頃の女、アヌシュカと呼ばれていた女性だ。
その隣には、タイラスと同じくらいの少女が立っている。
昨日、森で気を失っていた少女だ。
「お、アヌシュカ。その子も目が覚めたか?」
「ええ、そうよ。さあ、あなたも席に着いて」
少し戸惑う少女は、アヌシュカの後ろに隠れてしまう。
特に鉄仮面のプリエナを警戒しているようだ。
「サイ、こっちに来なよ」
タイラスが呼びかけると、少女サイは、はっとして隠れるように彼のもとへ向かい、横にちょこんと座った。
「まったく、人見知りなんだから。この子の服を着替えさせるのも大変だったわ」
「許してあげてよ、母ちゃん。サイはあまり知らない人と話したことがないんだ」
タイラスの母アヌシュカが席に着いた瞬間、パラヴィスが低い声で話しかけた。
「よし、皆揃ったな。タイラス、早速だが説明してもらうぞ。なぜ巫女を連れて森にいたのか。聖都の外へ巫女候補を連れ出すことは重罪だぞ」
パラヴィスの有無を言わさぬ態度に、タイラスは目を合わせようとしない。
「……あんたには関係ない」
一気に場が凍りついた。
――反抗期か?
玄関での様子もそうだが、タイラスはパラヴィスに対して妙に強い当たりを見せている。
「あ、あの……」
沈黙を破ったのは、意外にも少女サイだった。
「タイラスは……悪くありません。私を助けてくれたんです」
少女の言葉にパラヴィスが視線を移す。
「助けた? 順を追って話してくれ。そもそも、なぜタイラスが巫女候補と顔見知りなんだ」
「ヴァルナ神殿で会ったんだ。僕は魔剣の訓練で神殿に通ってる。サイとは1年以上前からの知り合いだよ」
タイラスがため息をつきながら答える。少し後ろめたそうだが、少女に悪いと思って話し始めたのだろう。
「道理で最近、聖都に通い詰めていたわけだ」
「か、関係ないから!」
タイラスは顔を真っ赤にして、サイの目を避けるように
「わかった、わかった。それで助けるとはどういう意味だ?」
「……聖域の外に連れ出そうとしたんだ」
下を向いたまま、タイラスはぽつりと答えた。
その言葉に、パラヴィス、アヌシュカ、そしてプリエナの目が見開かれる。
――何かまずいのか?
聖域の風習や常識にまだ馴染めていないルシウスは、話についていけない。
「お前、意味がわかっているのか! 巫女候補を外へ勝手に連れ出すのは重罪だぞ!」
「わかってるよ。でも、サイは命を狙われてる」
「ありえん。7つ目の巫女候補は厳重に警護されているはずだ」
タイラスの言葉を即座に否定するパラヴィス。
唇を噛みしめるタイラスに代わり、サイが再び声を上げた。
「ほ、本当です! 2週間くらい前に『神殿を去れ。さもなくば命を奪う』って手紙が届きました。その後、本棚が倒れてきたり、壁に短剣が刺さっていたり、通りすがりに髪や服を斬られたり……。でも、犯人は捕まりませんでした」
「僕もサイから相談を受けた。でも、皆はイタズラだって本気にしてくれなかった」
落ち込むサイとタイラス。
「ヴァルナ神殿で巫女候補が脅され、なぜ捕まらん? 剣衆は何をしている?」
「皆さん、忙しいみたいです。1ヶ月前から神殿は慌ただしくて……。あの件に続いて、隣国と帝国が戦争になったようで。共和国も危ないって、皆が言ってて……」
ルシウスが戦った帝国との戦いのことだ。
――俺が戦った影響か。
隣国が大国と戦争状態に入ったのだ。それも緩衝地帯として長く存在してきた王国へ侵略国家が攻め始めた。
共和国でも緊張感が高まったのは当然といえる。
その影響が共和国の中枢で何かしらの影響を及ぼした。いや、中枢だからこそと考えるべきか。
「王国と帝国が戦争? ⋯⋯初耳だぞ」
パラヴィスが、ルシウスとプリエナを交互に見る。
3人がこの場にいることが何かしら関係しているのではないかと、予感しているのだろう。
また聖域は閉ざされた空間だ。
共和国の中枢である聖都ならば、諜報活動による情報が届いているだろうが、聖都の外である
「でも昨日の朝稽古の帰り。ついに僕はサイが暗がりで男に短剣を突きつけられているのを見た。そこでがむしゃらにソイツを振り払って、サイを連れて神殿を出たんだ」
「それで、森を抜けようとして
「そうだよ」
「俺はともかく、なぜアヌシュカにも黙ってやろうとした?」
タイラスは少しの間、黙り込んでから、ポツリとつぶやいた。
「母さんを……巻き込みたくなかった。悪いことをしているって分かってたから」
「タイラス! あんたって子はっ!」
アヌシュカの大声に、タイラスはシュンとして縮こまってしまった。
とはいえ、皆、状況は察した。
何度もサイもタイラスも、大人たちに訴えてきたが、その言葉を真剣に取り合ってもらえなかったという苦い経験をしたからこそ、子ども2人だけで動いたのだ。
「結果、ルシウスとプリエナに助けられた、と」
「そう」
「どうするつもりだった? もしルシウスたちに会わなかったら? あの広い森で偶然、居合わせなかったら死んでたんだぞ。俺も、お前が森に入って行った所を見た奴が教えてくれたから探しに行けただけだ」
パラヴィスはじっとタイラスを睨みつける。
全くの偶然ではない。
あの広い森の中で、ルシウスがいち早く発見できたのは、蚩尤が魔剣の存在を感じ取ったからだ。魔力感知や音では決して届きはしなかった。
戦いに飢えた
もしタイラスが逃げるばかりで戦うことをしていなければ、見過ごしていた。
「……勝てると思った。奈落じゃなくて
「このバカ野郎! 無謀を勇気と一緒にするな! 誰かの命を預かっているときは、なおさらだ!」
パラヴィスの怒鳴り声は鋭く、まるで空気を切り裂くようだ。
本気で怒っているのだろう。
サイはびくっと身を震わせる。
タイラスが俯いたままだ。
そして消え入りそうな声を振り絞る。
「⋯⋯なよ」
「ん?」
タイラスが顔を上げて、パラヴィスを睨みつける。
「本当の父親でもないのに、
タイラスが急に席を立ち上がる。
腰に当たった机が揺れて、スープが
「タイラス!」
アヌシュカも立ち上がり、タイラスの
「……みんな自分勝手なくせに、僕には指図ばっかりだ!」
タイラスはそのまま奥の部屋へと駆け出し、叩きつけるように扉を開けて隣の部屋へと入って行った。
ダイニングには重苦しい空気が残される。
「……すまんな、ルシウス、プリエナ。気にしないでくれ。あいつは時々、癇癪を起こすんだ」
力なく笑うパラヴィス。
サイは少し悲しそうな顔を浮かべてはいるが、驚いた様子はない。
友達として話は以前から聞いていたのだろう。
「ねえ、パラヴィスとタイラスって、訳ありなの?」
あっさりとした口調でプリエナが尋ねる。
「プリエナ、そんな立ち入ったこと」
「違うよ、ルシウス。ノア教では同じ敷地に住むってことは、もう家族同然ってことなの。だから、事情を知ろうとしない方が不作法なんよ」
「……ああ、そうだな。そのとおりだ。説明しておくべきだったな。タイラスは俺の弟の息子で、アヌシュカは弟の妻だ。今は訳あって、俺が二人の面倒を見ている」
パラヴィスはタイラスを「息子」と呼んでいたが、血縁上は
「パラヴィスの弟さんは、今はどこに?」
「……今は奈落にいる」
「奈落?」
「見たろう。聖域の大半を占める大穴を。あれが奈落だ」
来る時に、そして森を出入りする時にも見た巨大な穴。光すら届かぬほど深く、異様な存在感を放つ大穴だ。
「その奈落で、何を?」
「……
ルシウスは口を閉ざす。
以前、ドワーフから聞いた話では、魔武具はその力を引き出しすぎると裏返り、持ち主を呪う武器となる。
そして、プリエナから聞いたところでは、
つまり、
「まったく馬鹿な奴だよ。妻と子供を残して、
パラヴィスの肩に、アヌシュカがそっと手を添える。
「悪いな。せっかくのスープが冷めちまった。話を戻そう。サイ、と言ったか?」
「は、はい……」
サイは緊張しながらパラヴィスを見つめている。
「正直言って、俺もどう判断すべきかわからん。神殿以上に安全な場所があるとは思えない。しかし、お前たちの話を頭ごなしに否定するつもりもない」
サイはさらに緊張を募らせ、小さな手を固く握っている。
「だから、神殿のゴタゴタが落ち着くまで、しばらくここで身を隠せ」
「いいん……ですか?」
サイは感激のあまり両手を合わせた。
「幸い、うちにはもう巫女がいるからな。な、プリエナ?」
パラヴィスがプリエナに視線を送る。
「えっ、私?」
「仕方ないだろう。巫女候補を導くのも巫女の役目だ。仕事をしろ、仕事を」
「ぷぅ〜」
「プリエナ様は、巫女なのですか?」
サイが尊敬の視線をプリエナへと向けた。
「一応だけどね」
「ど、どんな神を宿しておられるのですか!? 讃歌は何節にありますか!?」
サイは興奮したように席から身を乗り出す。
「はい、はい、落ち着いて〜。サイちゃんの面倒は私が見るけど、7つ目の巫女候補に指導できることなんてないよ。
口では謙遜しながらも、プリエナはまんざらでもなさそうだ。
「まあ、巫女候補に触れられるのは巫女だけだからな。生活の面倒を頼む。……まったく、俺の家は隠れ家じゃないんだがな」
ルシウスは素早く食事を終え、席から立ち上がった。
「タイラスの様子を見てこようかな。まだ子どもだし、放ってはおけない」
邪竜も外に出たがっている。
タイラスを背に乗せて、空でも見せてあげようと考えたルシウス。
「ありがとう、ルシウス。だが大丈夫だ。あいつは弟に似て
パラヴィスの方がタイラスのことを、よく知っているだろう。
母親であるアヌシュカも友達であるサイも、その言葉に同意しているようだ。
「わかった」
「それとルシウス。あとで一緒に聖都へ出かけるぞ」
「聖都へ?」
「さっき言っただろう。お前の死んだ魔剣をどうにかするためにな。それにさっきのサイの話もある。一度、神殿を見に行こうと思う」
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