第134話 開始

「ノア教徒ではありません」


 パラヴィスの魔槍に込められる魔力と殺気を更に増す。

 ノア教徒ですらないものが聖域に足を踏み入れたことが不愉快なのだろう。


 それでも矛先ではなく、パラヴィスの目をまっすぐと見つめるルシウス。


「⋯⋯そうか。ルシウス、お前は聖域で大人しくすることを約束できるのか?」


「約束できません。目的がありますから」


 少なくとも森にいた喰鬼ブートはすべて倒させてもらう。喰鬼ブートが持つ魔武具の中に、きっと蚩尤が求める魔武具もあるはず。

 更に詠霊とも契約しなくては。


 村まで来る道中、喰鬼ブートは共和国内でも討伐対象だとプリエナから聞いたが、それでも大人しく、という表現には当てはまらないだろう。


 よりパラヴィスの殺気が強くなる。

 いつ首が飛んでもおかしくない。


 その様子に冷や汗を流して、プリエナが咎めた。


「ル、ルシウス、もう少し言い方があるでしょ!?」


 ほぼ時を同じくして、殺気にあてられたソルが、静かに立ち上がろうする。

 その手を引き止めたのルシウス。


 ――動くな、ソル


 指示従い、再びソルが椅子へと座り込んだ。



「なぜ誤魔化そうとしない? バカ正直に言えば、俺の信頼を取れると思ってるのか?」


「何も後ろめたいことがないからです。国を守るために魔武具と詠霊が必要だから来た。それだけだ」


 パラヴィスの目が鋭くなる。


「俺たちにとって魔武具は自分の身体と同義。詠霊も、お前らの国では魔物の一種なのかもしれんが、俺達にとっては信仰の対象だ。⋯⋯奪うなら死の報復が待ってる」


 槍の刃が前へと押し込められる。

 刃とルシウスを隔てるのは薄皮一枚のみ。


「魔武具は少し触らせてくるだけで問題ありません。それに式との契約は当事者同士の対等の交渉。魔物は物ではなく意思ある存在で、奪うとか与えるとかの話じゃない」


「だったら許可なく入って来るのではなく、正式な手続きを踏め」


「その場合、最短でも数年、それ以前に入れないかも知れません。王国へ帝国が侵攻してくるまでに間に合わない。だから潜入しかなかった」


「危険を犯してまで達成したい目的があるなら、なぜ息子を助けた? 関わらない方がよかっただろう?」


 ルシウスは瞳に強い決意が灯る。



「貴族は民の剣であり盾だからだ」



 蚩尤が気にしていたことも後押しになったが、同じ状況なら何度で同じことをするだろう。


 眉を吊り上げるパラヴィス。その表情には読みあぐねている。まるで虚を突かれたように。


「あの場で無視すれば間違いなく死んでいた。あなた達がノア教を信仰するように、俺には俺の守りたいことがある」


 場に沈黙が流れる。


 誰もが、次の言葉を出せず、10秒ほど、お互いがお互いを睨み合う。


 沈黙を破ったのはパラヴィスであった。



「ぷっ、ははははっ!」


 パラヴィスが膝を叩いて、笑い始めたのだ。

 訳がわからず、気抜けしたままで見つめるルシウスとプリエナ。


「悪い奴ではないとは思っていたが、行動が大胆すぎて、逆に警戒しちまった。脅すような真似をして悪かったな」


「なに? 試したの? サイテー」


「だから、謝ってる。それに俺にも責任ってのがあるんだ。不審者が居たが気の良さそうな奴だった見逃した、ってのは流石にできない。代わりと言っちゃなんだが、宿として、うちの離れを使ってくれ。行くアテも無いんだろ?」


「家を貸してくれるんですか?」


 生活拠点をどうやって見つけようかと考えあぐねていた所だった。

 もちろんプリエナの伝手つては期待していたが、それでも、すぐに手に入ることはないだろうと考えていた。


「むしろ目の届かない所へ、勝手に行かれる方が困る。一応、これでも衆長しゅうおさで、この辺りの奴の面倒を見る立場でもあるしな。念の為、言っとくが、周りには黙っておけよ? 村の連中には俺が誤魔化しておく」


 ルシウスは深く頭を下げる。


「ありがとうございます。住まわせてもらえるならすごく助かります」


 時間は有限だ。折角の言葉に甘えさせてもらおう。


「どうせ空いてる離れだからな。ともかく案内しよう」





 案内された場所は、母屋のすぐ隣りにある古い小さな家屋だ。

 扉を開けると、すぐに台所が併設されたコンパクトなリビングがあった。


「中のものは全部使ってくれていい。しばらく放置してたが掃除すれば使えるだろう」


 コップが倒れたままの2人掛けのダイニングテーブル。

 ひざ掛けが掛けられた2人掛けの小さなソファー。

 埃を被った2人分の食器が飾られた食器棚。


 まるである日突然、持ち主がいなくなったかのようだ。


 それらを物悲しそうに見つめるパラヴィス。


「⋯⋯昔、誰か住んでたんですか?」


「ああ、俺の弟夫婦が使ってた。⋯⋯ともかく好きに使ってくれ。俺はタイラスの様子を見に戻るから」


 パラヴィスは顔を隠すかのように振り返り、母屋へと戻っていた。


 ――昔、なにかあったのか?


 ルシウスの疑問を潰すように、プリエナの抜けた声が家の中に響く。


「奥は寝室ねー。って、ベッド1つじゃん!?」


「俺はソファーで寝るからベッドは使っていいよ」


「ルシウスってば、紳士」


 指をひょこひょこと振りながら、リビングへ戻ってくるプリエナ。


「本当は一緒に寝たいんじゃない? 今はこんな顔だけど、もともと美姫として沢山の男に言い寄られてたし、まだこの官能的な体は健在よ?」


 すらりと伸びた腕を自分で指先で撫でて、豊満な胸元を強調するように沿わせた。


「ここでは自由なんだから、自分にとって本当に大事な人を見つけた方がいい。それに顔も治せるかもしれない。最上級の治癒系術式なら体を復元できるらしいし」


「ぷぅー」




 その後、内見もそこそこに、部屋の掃除に追われる。まずは住めるようにしなくては話にならない。


 部屋中に降り積もったを払い、カーテン、毛布などの汚れを洗い流し終わった時には、すっかり日が暮れてしまった。


 ひと段落つき、パラヴィスたちのお裾分すそわを、小さなダイニングテーブルで囲む2人。食事中であるため、プリエナも仮面をとっている。


「プリエナは聖域の情勢にかなり詳しそうだけど、そんなに何度も来たことがあるの?」


「4才から10才まで住んでたからねー。ラーヴァナと契約する以上、下積みは聖都でしなきゃいけない決まりなの。ま、頻繁に家には帰ってたけど」


 幼少期から住んでいたのであれば、むしろ故郷に近い感覚だろう。道理で詳しいはず。


「その住んでた聖都じゃなくて無崇邑むすうむらに来たかったみたいだけど、なんで?」


 プリエナが手をひらひらとさせる。


「もともとねー、知り合いに無崇邑むすうむらの誰かを紹介してもらう予定だったの。聖都には旅人もいないから宿もないし、先祖代々住んでる人たちばかりで、よそ者は目立ちすぎるんよー」


「なるほど⋯⋯となると無崇邑むすうむらの人たちは聖都の人とは違うのか? クアドラ神を信仰してないと言ってたけど」


「違う⋯⋯というより、違ってしまった、という方が正確かな」


「どういう意味?」


「うーん、詳しく教えてもいいけどルシウスは【ノアの浸礼】についてちゃんと知ってるの? その前提がないとわかんないと思うよ」


「自然への帰依きえを教義として、太陽、天候、大海、生命の神を崇めてる、くらいは」


「はぁ〜〜〜」


 プリエナが大きなため息をついた。


「違う?」


「あってるけど、ざっくりしすぎ。正しくはクアドラ神である『陽炎神アグニ』『空雷神インドラ』『幻水神ヴァルナ』『月命神ソーマ』を主神とした教義よ。この世界を維持している神々に仕え、奉仕することが目的で、帰依はその結果ね」


「でもさっきの話からすると、その神って、要は詠霊なんでしょ? クアドラ神がそうかは知らないけど。それならプリエナの式ラーヴァナも信仰の対象ってことにならない?」


「そうよ。詠霊だと何が悪いの?」


 ルシウスが知る前世の神の概念とは根本から違う。

 前世の宗教をそこまで正しく理解しているとは言い難いが、少なくとも前世の神は、もっと象徴的な存在だ。


 人が直接、契約している存在を信仰するという感覚はよくわからない。

 ルシウス自身も3体の式と契約しているが、彼らは相棒であり、半身である。

 信仰の対象ではない。


「自分の半身を信仰するってことは、自分も神さまってこと?」


「違うよ。私にとってはラーヴァナは半身だけど、ラーヴァナにとって私は、この時代に受肉した化身の1つに過ぎないの。ノアの教義ではアヴァターラっていう考え方なんだけど、伝わる?」


「うん、全然わかんない」


 ルシウスは誤魔化すように笑みで答えた。


「はぁ、ルシウスって頭の回転は早いほうだけど、実直過ぎるっていうか、概念を抽象的に捉えるのは苦手だよねー」


 口をすぼめるプリエナ。


「思考実験的に、物事をこねくり回して考えるのは趣味じゃない。それよりも、ちゃんと誰かの為になることに頭は使いたいからな」


 ルシウスは自分のパンを口に詰めると立ち上がった。そして剣を腰に差し、ベルトと靴紐を強く締め直す。


 無崇邑むすうむらの成り立ちについて興味がないわけではないが、それ以上に大事なことが沢山ある。


「なんで外に行く準備してるの?」


「ん? 今から森に行くから」


「ええっ、やっと一息ついたのに?」


「プリエナは休ん出ていいから、ソルも」


「頑張りすぎー、私はパス」


「⋯⋯了⋯⋯」


 ソファーにうずくまったプリエナと、部屋の暗がりに静かに立つソルを置いて、夜の集落へと繰り出したルシウス。


 一直線に向かった場所はへいに付けられた門。門番に確認すると、基本的に閉まることはないらしい。朝まで締め出されることは無さそうだ。


 ――行くか


 ルシウスは村を出て、月明かり中、駆け出した。


 森に入るなり、はすぐ見つかった。

 魔力感知ではなく、蚩尤しゆうが場所を的確に教えてくれるのだから、迷いはしない。


 今回は自分から向かう。


 一直線に茂みをかき分けて、森を進むと、槍を持ってる喰鬼ブートが目に留まる。


 ――実験してみるか


 魔力を込めると、ルシウスの影がり上がる。


 現れたのは蚩尤とよく似た黒い鎧。


 蚩尤の術式の1つ、鎧兵だ。


 魔力で作られたつわものには王国の元近衛師団長であった男の記憶と術式が刻まれている。


「これを」


 ルシウスは魔力から魔槍を作り出して、鎧兵へと手渡す。


 受け取るなり、すぐに鎧兵は走り出した。

 その動きは洗練されており、木々の枝を軽々と躱し、月夜の森でも体軸を一切ぶらさない。


 目標は、喰鬼ブート


 強襲に気がついた喰鬼ブートも獲物を構える。

 奇しくも相手も同じ魔槍。



 お互いが槍を構え。



 振り抜く。



 鎧兵と喰鬼ブートが切り結んだ。



 勝敗は一瞬で決した。


 喰鬼ブートの槍を一刀両断したのだ。


 斬られた刃が、月の光を受けてチラチラと白光りしながら宙を舞う。

 それがカシノキの幹へと突き刺さった。


 突き刺さった刃と、刀身を失った槍から魔力が吹き出す。


 その魔力が鎧兵を包む。


 ――やっぱり


 鎧兵を通じて、蚩尤へと力が流れ込んで来るのをはっきりと感じ取れる。

 蚩尤の姿で直接倒さずとも、造兵の術式で作り出した鎧兵を通じても力を得られるということだ。


 ルシウスの口角があがる。


 魔力も体力も時間も有限だ。

 できるだけ効率的に喰鬼ブートを狩らなくてもはならない。


 ルシウスが残り少ない魔力を込めると、おぼろにじむ月影がいくつも揺らめく。


 現れたのは鎧兵たち。

 その数はおおよそ30体。


 全力なら1000体の鎧兵を造りだせる。

 だが、今は魔力が少ない状況だ。無理なく長時間維持できる数で留めておくしかない。


 ルシウスは元近衛師団長へ、魔槍を持たせたまま、命じる




喰鬼ブートを駆逐しろ」

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