第132話 聖域

「ルシウスに常識は通じないと思ってたけど、ここまでとは思わなかったよ……」


 呆れ顔でルシウスを見つめるプリエナ。


「俺というより蚩尤しゆうの特性だから」


 ルシウスは黒い鎧、蚩尤の顕現を解く。


「一緒よー! 契約者と式は一心同体なんだから」


「まあいいや。それより、喰鬼ブートだっけ? 人には戻せるの?」


 プリエナは首を振る。


「一度、喰鬼ブートになったら、もう戻れない。本体は人じゃなくて魔武具の方だから、思考も自我もなくなるし。ただ武器としての存在意義に従って、戦いのために人を襲うだけの哀れな存在」


 言葉が本当であれば、もはや魔物と呼べる存在ですらない。

 戦いの中で、魔物や人の命を奪うことはある。もはや躊躇ためらいはないが、好んでやることではない。


 だが、喰鬼ブートに限っては、破壊こそが救いなのかもしれない。使い手にとっても、武具にとっても。


「……そうか。で、その喰鬼ブートを食べる魔物ってのは共和国だと珍しいのか?」


「今まで、そんな魔物は聞いたことがない」


「そうか、道理で」


 目の奥にある白眼魔核の中に居る式、蚩尤しゆうは気もそぞろ。

 森の至るところ、それこそ無数に何かを感じ取っている。おそらく魔力感知ではなく、魔武具の気配を察知しているのだろう。


 つまり、喰鬼ブートがまだまだいるのだ。



 ――全部食べさせれば、蚩尤しゆうが完全復活できるかもしれない



 蚩尤は、かつて應龍おうりゅうという魔物たちと戦い、一度、死を迎えた魔物である。

 帝国の技術を使い、人の手により無理やり蘇らされたが、完全とは言い難い状態であった。


 以前、最上級の魔槍を喰わせたときに、ずいぶんと活力を取り戻したのだが、ここ聖域でも同じことが起こせるはず。


 ――聖域まで来た甲斐があったな


 そう考えた時、左手に僅かな痛みが走る。


 邪竜である。

 怒りに混じったものは感情は、焦燥。


 蚩尤が完全に力を取り戻し、さらに上級の魔剣を摂り込めば、更に強力な存在となる。そのことに焦りを覚えているのだろう。


 ――仕方ないだろ?


 邪竜をなだめるルシウス。進化を促す竜種の存在は、今オルレアンス家に調査させている。


 邪竜を無視して、今はできることから進めるしかない。


 ともかく力を得るための目処は立った。


 喰鬼ブート狩りをするにしても、まず生活基盤を整えなければ。

 寝られる場所の確保、食料や生活必需品の定期的な調達などができなければ、すぐに行き詰まる。


 はやる気持ちを押さえて、ルシウスは意識を失っている少年と少女へと目をやった。


 2人とも、見慣れない部族衣装を身にまとっている。

 少年は褐色の肌に、上着のすそひざまである長い黒いシャツ姿。

 少女は白い肌に、4色の大きな布で作られたワンピース姿だ。


 特に少女ののそへ目がいった。


 小さな文字で小さな単語が7つほど刻まれているのだ。


のどに入れ墨が入ってるな。何かのまじないか?」


 文字に釘付けとなったのはプリエナである。


「……このタトゥ、巫女のもの。それも…………」


 鉄仮面により表情は読み取れないが、恐怖にも似たものが声が混じっているようにも感じる。


 巫女は、ノア教において特別な地位にある存在と聞いたことがある。


 特に巫女たちの頂点である4人の大巫女は、ノアの中では神と一体となる存在として、現人神あらひとがみのように扱われるらしい。


 ともかく、森の中にいたのでは、らちがあかない。

 特に少年の方は、骨折するほどの怪我を負っている。早く治療を受けさせなくては。


「ソル。女の子の方を頼む」


 ルシウスが誰にも視線を向けずに口にすると、どこからともなくソルがスッと現れ、少女を背負う。


 ルシウスは負傷した少年を両手で抱え上げた。


「プリエナ、このあたりに村とか町は?」


「聖域には聖都ラーマとクアドラ神をあがめない者たちが溜まる無崇邑むすうむらしかないよー」


「へぇ、聖域でも神を信仰しない人なんかいるんだな」


 口にはしたものの、それほど気にはならない。

 もともとルシウスは転生者ということもあり、あまり神の存在を信じてなどいないのだから。


「この子たちは聖都と無崇邑むすうむらのどっちから来たと思う?」


「この年齢の巫女なら間違いなく聖都」


「そっか。ともかく聖都へ行ってみるか」


 目的地は変わらない。

 聖都は大きな街らしく、人も多いらしい。


 ルシウスたちは潜入者である。

 大きな街であれば、紛れ込むことも可能だろう。


 ルシウスはプリエナの道案内に従い、森を歩く。

 できるだけ抱えた少年の傷を悪化させないようにゆっくりと。




 しばらく森を歩く。

 

 東に登っていた日が真上から熱を放つ。

 朝方の森はまだ涼しかったが、真夏の日中の暑さまでは覆い隠してはくれない。


 ルシウスは肩の布で汗をぬぐった。


 そのとき、再び蚩尤しゆうが何かを感じ取った。


 喰鬼ブートだ。

 正確に言えば、気配は常に漂っていたが、こちら側へと急速に近寄ってくる個体がいることを検知したのだ。


「仕方ないか」


 戦いは子供たちを聖都へ届けてからにしたかったが、降りかかる火の粉は払いのけねば。むしろこの場合、木から頭上へ落ちてくる果実を美味しくいただくと言った方が適切か。


 ルシウスが少年を静かに地面へと置き、剣を構える。


「式は顕現させないの?」


 プリエナの質問に対して、10mほど離れた草むらを見つめながらうなずく。


「さっきくらいなら、蚩尤しゆうは必要ない。それに魔力も全然足りてないから」


「魔力不足?」


「大量に魔力を吸い上げる奴がいるからね」


 サマエルのことである。


 式として契約した魔物たちは肉体に宿り、契約者に術式や力を与える。その代わり、契約者は魔物へ魔力を与えなければならない。


 そして、与える魔力量は、魔物の格によって決まる。


 もともと邪竜と蚩尤の2体だったときも、4つの魔核で生産できる魔力では足らず、迷宮で手に入れた偽核によって補っていた。

 そこに2体よりも遥かに上級の魔物であるサマエルと契約してしまったのだ。


 結果、ルシウスは深刻な魔力不足におちいっていた。


 もっとも3体とも高位の魔物であるため、魔力えさが足りないからと言って、獣や下級の魔物のように主を見限りはしないのだが。


「で、どするの? それ」


「詠霊と契約して、縮魔しゅくまれんをやるしかないな。プリエナにも協力してもらうから」


「ええー、痛いからあれキライー」


 悠長ゆうちょうに会話を続ける2人。

 緊張感はなくとも、視線は喰鬼ブートが向かってくる方向からずらさない。



 そして、ついに茂みが激しく揺れた。


 緑の中から現れたのは、やはり喰鬼ブートだ。

 紫色の肌に、つののある頭蓋骨ずがいこつの頭。


 だが、さきほどと1つ違う点がある。



「……弓か」



 手にした武具が、剣ではなく弓なのだ。


 魔弓まきゅうというのだろうか。

 片手剣、大剣、刺突剣、槍の魔武具は見たことがあったが、弓型は始めてだ。


 ――蚩尤、あの魔弓はどう?


 自らの式へと語りかけた。

 蚩尤には、あと3つの魔武具をコピーできる余地がある。

 それを埋める事も今回の旅の目的だ。


 返ってきた反応は『拒絶』。


「お気に召さないか」


 苦笑いを浮かべたルシウス。

 蚩尤は義にあつく、邪竜やサマエルに比べれば、ルシウスの意思や責任を尊重してくれる式だ。


 だがこと、武具においては、妥協がない。


 おそらく眼の前の魔弓よりも上級の魔武具の気配を感じ取っているのだろう。

 ならば、もう用はない。半身である蚩尤の力の一端いったんになってもらう。


 ルシウスが光の宝剣へ魔力を流すと、刃に沿って光がともり、光の線を成す。


 ――片付ける


 思い切り地面を踏み込んだ。


 その時。


「あんた達! 大丈夫か!?」


 少し離れた所から声が響いた。

 その声へと振り向くと、一人の男がこちらへと走ってきている。


 槍を持った20代後半の男だ。

 服装は少年とよく似ている。


 ――聖域の人か


 手にしているのは大槍。

 その大槍が魔槍であることに、気がつくのにさほど時間はかからなかった。


 ルシウスの気が、わずかに逸れたことを感じ取ったのか、弓を手にした喰鬼ブートは、つるを力いっぱい絞る。


 絞った弦にえられるように、すぐさま魔力が矢の形を成していく。

 魔力に物性を帯びさせる術式なのだろう。よく似たものは、東部でも目にしたことがある。



 喰鬼ブートが弓矢を放つ。



 めをほとんど作らない実践的な打ち方だ。


 放たれた弓矢はまっすぐルシウスの心臓へと一直線に向かってくる。

 セオリー通り、頭ではなく、体を狙って流れるように。


 ――問題ない


 竜炎で焼き尽くすため、術式を発動しようとしたとき。


 突如、何かが眼の前に現れた。

 飛翔する矢と、ルシウスの間に割り込んできた形である。


 それが先程の魔槍を持った男であることに、一瞬、遅れて気がついた。


 ――ありえない


 50mは離れていた。

 弓矢が放たれてから走って来るには距離がありすぎる。


 蚩尤しゆうでもなければ不可能なほどの、疾走速度が必要なはずだ。

 だが、眼の前の男は生身だ。


 疑問を置き去りにするように、キッという金属同士が擦れあった音とともに弓矢が、2つになって左右の森の奥へと飛んでいった。


「矢を……大槍で斬った」


 男は振り向いて、ニカッと笑う。


「お! タイラスじゃないか。探したぜ。お前さんたちが保護してくれてたのか」


 男は後頭部をさらしたままだ。

 再び喰鬼ブートが弦を絞り、矢を魔力で作り出し始めた。


「危ないッ!」


 ルシウスが男をけ、喰鬼ブートへと斬りかかろうと体を前傾する。

 

 だが、ルシウスの体はピタと止まる。


 理由は、男が消えたからだ。


 気がつけば、眼の前に居たはずの男が、槍を横へぎながら、跳躍している。


 人の身体能力を遥かに凌駕した動きだ。


 そのまま10mほどの間合いを一瞬で詰め、半月の閃光を残し、刃を振り切った。

 弓には傷1つ付けていない。


 直後、崩れ落ちる喰鬼ブート


 体が崩れ落ちた後に、首だけがコロコロと転がった。


 その断面は綺麗すぎる。

 刃が精確無比に振るわれ、無駄な力が一切かからなかったことの証左。


「こいつか? 最近、村の周りを彷徨うろついてたのは?」


 男がヒョイと地面へと転がり落ちた魔弓を拾った。

 槍術の腕前が凄まじいことは間違いない。

 だが、ルシウスが知らないも使っている。


 不審そうに見るルシウスに対して、男が申し訳なさそうに振り向いた。


「悪いな。獲物を横取りした形になってしまった」


「いえ……助けていただき、ありがとうございました」


 助けてもらわなくても問題なかったのだが、それはそれとして、礼をする。


「それはこっちのセリフだ。俺のバカ息子を助けてくれたんだろ」


 男が地面に寝かせた子供を指さして、槍を背負う。


「……喰鬼ブートに襲われてましたので」


「手を掛けさせて、すまないな。こんな息子でも無事でよかった。俺はパラヴィスだ。無崇邑むすうむら衆長しゅうおさをやってる」


 槍使いパラヴィスは、地面に横になった息子のタリアスと少女サイを両肩で担ぐ。


「ルシウスと言います」

「私はプリエナでーす」

「……ソル……」


 当然、王国から来たことは口外しない。

 3人は最低限の挨拶に留める。


「大した礼もできないが、よければむらに寄ってくれ」


 今は、潜入中なのだ。不用意に、もてなしなど受けない方がいい。

 それにむらと言っているくらいなのだから、潜入するのにも適さないだろう。


「いえ、俺たちは――」


 ルシウスの言葉を遮ったのはプリエナである。


「はいはいー! お願いします!」


「プリエナ」


「いいから、いいからー」


 プリエナが目配せする。何か意図があるのだろう。



 半ば無理やりプリエナの言葉に連れられて、目的地を変更。無崇邑へと行くこととなった。


 今年の夏は暑いなど、他愛もない世間話をしながら、槍使いパラヴィスの後に続くこと10分ほど。


 突然、緑一色だった視界が開けた。


「……これは」


 眼の前に広がる光景に。言葉が続かない。



 足元は断崖絶壁。


 そして、眼の前に広がるのは巨大な縦穴だ。



 それも尋常ではなく深く、広い奈落のようだ。

 対岸がかすんで明瞭には見えず、足元の奈落も暗くなっており、底が見えない。


 更に不可思議な光景が広がる。


「穴の上に……岩山が浮かんでる」


 穴の中央辺りに4つの巨大な岩山が浮遊しているのだ。


 岩山の上には、教会のような白い建物が立ち並んでいた。

 それぞれの岩山が橋で繋がっており、1つの街を作っているようだ。


「あれが聖都ね」


 確かにとルシウスは頷いた。

 幻想的な街には、聖都という言葉がよく似合う。


 よく見れば、4つの大岩の周辺にも、いくつもの大小の岩山が同じように浮かんでおり、それぞれが橋で結ばれている。


 うち、いくつかの橋は穴のふちへ繋がっていた。


 あっけに取られるルシウスを横目で見る槍使いパラヴィス。


無崇邑むすうむらははあっちだ」


 槍使いパラヴィスが指さした先にあるのは、穴のほとりに作られた木でできた塀。塀の向こうからは煙が立ち上がっている。


 おそらく村全体を木のへいで囲っているのだろう。


「さ、あと少しだ」


 無崇邑へ向かって歩き始めるパラヴィスに続き、むらへ向かうルシウス達であった。


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