四柱の神

第131話 聖域の境界

 鬱蒼うっそうとした森の中を歩く4人。

 真夏のだるような熱気を、木陰が和らげてくれるためか、皆、深くフードを被っている。


 その中で、先頭を歩く男がザクロの大樹の前で止まった。


「悪いが、案内はここまでだ」


 フードを被った男が親指をクイッと上げる。

 指の先には、木と木の間にるされた立て札がある。



これより聖域。万人の侵入を許さず。禁を犯す者、死の災い在り』



 サンガーラ共和国――通称『巫女と魔剣の聖地』――。


 4人は共和国の中央にある聖域のふちにいた。


 残った3人のうち1人が進み出る。


 無骨な鉄仮面を付けた女だ。


 仮面を被った女の名前はプリエナ。

 健康的な褐色の肌に、すらりと伸びた手足、女性らしい凹凸のある体。王国を統べる四大貴族の生まれにして、王国でも数人といない特級の式を持つ女だ。


 しかして、その輝かしい来歴にもかかわらず、名すら与えられなかった女でもある。


 その結果が、不釣り合いすぎる鉄仮面。仮面の下には、焼かれた顔が隠されていた。


「ここまでありがと」


 プリエナはフードの下から出した袋を案内人へと手渡した。

 銀貨を溶かした銀を詰めた袋だ。


 受け取った袋をふところへしまいながらも、案内人は戸惑った表情を浮かべている。


「今からでも考え直したほうがいい。聖域に足を踏み入れたら神罰が下るってのは、ノア教徒にとっちゃ常識だ」


「私もそう思うんだけど、あの人がねー」


 案内人の言葉に同調して、緊張感なく片腕を上げる鉄仮面プリエナ。

 プリエナの視線の先にいる青年がフードをはいだ。


 ルシウスである。


 王国史上初の4つの魔核を持ち、15歳にして数々の武功をあげ、千竜卿という称号を持つ。


 そのルシウスは新たな力である上級の魔剣と契約する詠霊を求めて、共和国を訪れた。


「神が居るなら大歓迎だよ。会いたいくらい」


 ルシウスの言葉に、案内人の男とプリエナが顔をしかめた。

 彼らは敬虔けいけんなノア教徒である。


 それでもプリエナの出自であるソウシ=ウィンザー家と繋がりを持つ男に無理を言って聖域まで案内させたのだ。


「ルシウス、不謹慎すぎー。ソル、あんたも何か言いってよ」


 最後尾に居た一番小さなフードを被った少女がぽつりと答える。

 とても人間とは思えぬ無機質な美しさだ。


「……主……望むなら……」


 ソルは人ではない。

 ルシウスの魔力を元に動く人ならざるヒトガタ。


 傀儡かいらいである。


 ソルがプリエナへと目をやると、プリエナは「うっ」と声を漏らして、数歩、後退あとずさりした。


 なぜかプリエナは傀儡ソルを怖がる。

 道中、何度かルシウスが尋ねたことがあるのだが、理由ははぐらかされた。

 傀儡ソルは解呪の術式しか使えない、人畜無害な傀儡だと言うのに。


 また、それだけではない。


 プリエナは聖域についても話そうとしない。「聖域に入ってから教える」と繰り返すだけだった。



 だが、それも今日まで。



「ともかく、考えは変わりません。聖域に入ります。案内ありがとうございました」



 ルシウスは立て札を横切り、境界線の向こう側へと足を踏み入れた。

 残り3人の視線がルシウスの背中へ集まる。


 その視線を受けても、なお前に進む。


 王国の国境から共和国の信徒たちが巡礼する都市まで12日。さらに都市から山道を歩き続けること9日間、やっと目的地に到着したのだ。


 一切の迷いはない。


「プリエナ、ソル、先へ急ごう」


 時間は待ってはくれない。今、ここで足踏みしている間にも、世界は、情勢は動き続けている。聖域に居れる時間は長くて1年。

 それまでに求める力を手に入れなければならない。


 茂みを押しのけながら進むルシウスに、傀儡ソルが続く。

 プリエナは大きくため息をついた後、意を決したように聖域へ踏み込んだ。

 おそらく本心では聖域に入ることは反対なのだろう。


 ソルの考えはよくわからない事も多いが、基本的にルシウスの目的に沿った動きをしてくれる。


「ちゅ、忠告はしたからな!」


 振り返ると、案内人の男が逃げるように来た道を戻っていく姿がある。


 軽く礼をした後、ルシウスは前へと向く。


 ――聖域と言っても、ただの森のようだが


 地面から張り出した木の根を避けるため、横にある大樹へと手を掛けた。

 僅かな痛みが指先に走る。


 ――いばら


 よく見ると聖域のきわはザクロの木だらけ。


 森の奥へと目を凝らすと、カシやクスノキというどこにでもある陰樹の森。

 どうやらザクロの木が茂っているのは境界のみようだ。


「……聖域はザクロの木で囲われているのか?」


「そうよ」


 仮面の奥底にあるプリエナの瞳が真剣さを増す。


「何か宗教的な意味でもあるのか?」


「……いや実用的よ」


「実用的? それはどういう――」


 ルシウスが聞き返したとき、ソルがつぶやいた。


あるじ……魔力……」


「ん?」


 ソルの言葉通り、確かにうっすらと魔力が辺りを覆っている。

 魔力が満ちる場所は、魔物の領域である。


 ――魔物の住処なのか? 聖域が?


 ルシウスの警戒度が少し上がった。

 故郷のシルバーハート領には魔物の森が拡がっている。そこは人外の領域だ。



 きな臭すぎる。


 聖域は世界で最も信仰されている【ノアの浸礼】の中枢。

 世界を支える神に祈りを捧げる巫女と、それを守護する聖戦士が住む聖都が在るという。


 だが、そこは魔物の森だった。


 ――ともかく聖都を目指すしかないか


 木をかき分けて、獣道を進んだ、その時。

 目の奥に違和感を覚える。


「なんだ?」


 魔力を蓄える魔核。

 ルシウスが4つ持つ魔核のうち、目の奥にある白目魔核と、その中にいる存在が震えている。


 ――蚩尤しゆうが何かを感じてる


 ルシウスの足取りが次第に早くなる。

 すぐ後を音もなくソルが追従する。


「ちょっと! いきなりどうしたのよ!」


 ルシウスを追いかけるように、プリエナも走り出した。


 舗装ほそうもされていない山道だというのに、地を滑るように駆ける3人。


 ルシウスもプリエナも優れた身体能力を持つ。

 2人とも幼少期から修練を怠らず、痛みを伴う魔力の増幅訓練も欠かさず行い続けてきた強い精神力もある。

 常人ならざる存在だ。


 人ではない傀儡ソルは言うまでもない。


 その3人は暗い森の中、木々や枝葉を押し分けて走り続ける。



「うわわああぁあ!」



 突如、森に小さな悲鳴が響いた。

 離れているため、とても小さな声だが。


「……プリエナ、ソル。先に行く」


 ルシウスは声が聞こえた方角に向かって、加速する。

 右手は腰にいた光の宝剣に手を当て、いつでも抜刀できる状態だ。


「待って、ルシウス! 聖域で目立つのはヤバいよ!」


 プリエナの言う通りだ。

 聖域は元来、外部からの侵入を認めていない場所である。


 その場へ潜入したのだから、目立たない方がいい。

 少なくとも不測の事態に介入などしないほうが良いに決まっている。

 そのことは十分に理解していた。


 だが、魔力が漂う森の中で、叫び声が聞こえた。

 このまま放置すれば最悪の結果となるだろう。


 何より、蚩尤しゆうが悲鳴が聞こえた方角に対して、興味を示している。


 ――ここはリスクを取る


 ほぼ時を同じくして、左手に宿る存在も何かを感じ取ったのか、勝手に顕現しようする。


 三ツ首の邪竜。

 ルシウスが契約している3体の式の1つ。


 左から黒い粒子が漏れ始めたが、それを右手で押さえつけた。


「邪竜、今はダメだ。目立ちすぎる」


 ルシウスが魔力を散らして、無理やり顕現を解いた。

 魔核を通じて、邪竜の強い不満が伝わってくる


 このところ邪竜は以前にも増して好戦的だ。道中も何かあるたびに顕現しようとしてきた。前までは格下には一切興味を示さなかったが、今は戦いの気配が漂う度、前へ出ようとしてくるのだ。


 原因は先日契約した式、サマエルにある。


 ルシウスが契約している3体の式はいずれも特級。

 だが、特級の中にも明確な序列があるようで、サマエルは他の2体と隔絶している存在であった。


 誰よりも力を求める邪竜にとって、それは許しがたいことなのだろう。

 

 それは理解はしつつも、時と場合による。


 ルシウスは邪竜の不満を無視して、森の木々をかわしながら進んで行く。

 だが、それらしい者は見当たらない。


「ホントにもうっ! サイアクー!」


 プリエナも文句を言いながら、背後からなんとか追走してきた。

 さらに5分ほど森を疾走した時。


 ――いた


 重なった枝の隙間に2つの人影を捉えたのだ。


 地面を跳躍し、木の幹を真横に蹴り、空中で急旋回。


 枝葉の間から飛び出た。


 着地したルシウスの前には。


 ――子供と……何だ、あれ


 まだ10歳にも満たない2人の子供。

 少年と少女だ。

 

 逃げ惑ったのか、全身は泥だらけで、枝で切った傷がほほにある。

 少女の方は、すでに意識を失っているのか、地面にしていた。


 その2人の奥には、異形が立っている。


 形は人。

 服は破れ堕ち、露出した肌は死人のように紫色に染まっている。


 それだけなら人だと思える。

 だが、頭は鬼のような角を持つ頭蓋骨がむき出しとなっていた。


 ――魔物


 その魔物は剣を手にしている。

 珍しいことではない。出身の北部にも人が使っていた武器を奪って使う魔物もいた。東部に至っては、武器自体を生成する術式の魔物ばかりだ。


 だが、その剣にルシウスは眼は釘付けとなった。


 剣自体に魔力がのだ。

 魔力をまとわせたのでもなく、込めたのでもない。


 それと同じものをよく目にしていた。


 ――魔剣


 聖域に足を踏み入れて、数十分と経っていないにもかかわらず、早くも魔剣と相まみえた。

 その剣について確認したいが、今はそれどころではないようだ。


 魔剣を持った魔物が、子供へと刃を向ける。


 すぐさまルシウスは光の宝剣を抜刀。


 ――早いッ


 まるで剣術に精通したかのような滑らかな動きで、剣の魔物が2人の子供へと振り下ろした。

 間に合わない。


 最悪を想定したとき。


「わおおおっ!」


 男の子が、小さな剣でその斬撃を受け止めたのだ。


 ――あれも魔剣!?


 少年が手にした剣も魔剣だ。

 しかし、魔剣を手にしたもの同士でも、体格差も技術差も在りすぎる。


 少年は力任せに押し切られ、吹き飛ばされた。

 その体が地面へと転がり、ルシウスの前方に投げ出される。


 すぐさまルシウスが駆け寄った。


「大丈夫か!?」


「……誰……?」


 少年は朦朧もうとする中、ルシウスを散漫に見る。


 その少年の目が、ルシウスの右手で止まった。

 正確に言えば、右手に持った光の魔剣だ。


「……剣衆つるぎしゅうの……人……た、助けて……サイ……が」


 震える少年の指が、剣の魔物の前に取り残された少女へと向けられる。


「わかった。ここで待ってて」


 ルシウスの言葉を聞き届けた少年は気を失った。見ると手と足が折れている。相当無理をしたのだろう。


 ルシウスは駆ける。


 剣の魔物は、ルシウスに目もくれず、倒れたままの少女へと剣を振り下ろした。


 迷わず目の奥にある魔核、白眼魔核の魔力を開放。


 体表を白眼魔核からあふれた魔力が包み、それが形を成していく。

 全身の神経が肉体とは違うものと繋がり、目線がせり上がる。


 走るルシウスは、黒い大鎧に包まれた。

 少しヒビやサビがある甲冑。周囲にはひし形の黒い鉄板が6枚、浮遊している。



 名を蚩尤しゆう



 魔剣に代表される魔武具を取り込み、喰らう魔物。武具の化身である。


 浮かぶ鉄板の1つに手を当てると、鉄板が変形し、剣の形を取った。ルシウスが持つ光の宝剣を、蚩尤しゆうが取り込んだ結果である。


 鎧をまとったルシウスが地面をえぐりながら、疾走。

 

 そして、素早くその巨体を滑り込ませ、魔物の剣を受け止めた。



 2体の人外が剣を交えて、にらみ合う。



「退け」


 一刀を交えただけ。

 たったそれだけで、力関係は明確となった。


 自分よりの魔物を一方的に殺す趣味はない。


 ルシウスたち王国の人間は魔物と契約することにより、理外の力を行使してきたのだ。魔物を否定することは自分たちの力を否定することに繋がる。

 魔物の生息地を管理する一族として生まれ育ったルシウスには特にその意識が強い。


「ウウウッ!」


 唸り声を上げた骸骨頭は更に剣に力を込める。

 もはや刃が欠けることも、折れることもいとわない力の込め方だ。


「……そうか」


 ルシウスは剣を素早く引き戻し、後ろへとバックステップ。

 そして、着地と同時に大地を蹴る。


 刃をまっすぐと魔物へと向けたまま。


 その剣を受けるつもりなのか、魔物が剣で自分をガード。


 ――そんなもので止まるか


 あと僅かで刃がぶつかり合おうという時。


「ルシウス、ダメ! それは喰鬼ブート! 剣を破壊したらルシウスが喰われるよ!」


 背後から響いた声はプリエナの声。

 咄嗟とっさにルシウスは刃を止めて、横へと距離を取る。


 振り返ると、魔法陣を背負い空を浮遊するプリエナの姿が見えた。

 プリエナは、森を駆けることを諦め、術式で空を飛んできたのだろう。


喰鬼ブート?」


「そう。魔武具使いの末路だよ。剣を壊したら、壊した人をしろにして蘇る。喰鬼ブートは封印するしかないの」


 プリエナは剣の魔物を物悲しそうに見つめた。


「……なるほど」


 ルシウスはうなく。


 そして間髪かんぱつ入れず。


 思い切り、

 刃の先に居るのは、当然、喰鬼ブート


「私の話、聞いてたッ!?」


 そのまま剣ごと喰鬼ブートを切り捨てた。


 気を失った少女の真横に、真っ二つになった肉体が倒れ、折れた剣が転がった。

 そして魔剣だったものは、びた鉄くずと土に混じり合ったものへと急変する。


 代わりに、折れた剣の中から吹き出したのは魔力の塊。


 どす黒い、負の感情が込められた魔力が、肉体から離れた魂のように浮遊し始めた。

 魔力感知の術式を持つ者であれば、それは薄く黒い霧のように知覚できる。


「ヤバい、ヤバい、ヤバい!あの魔力に取り込まれたら」


 魔力の塊が、空中を少しだけ揺蕩たゆたうと停止。


 直後。


 突風に吹かれた煙のように急速に動き出し、ルシウスへと降り掛かる。

 そのまま負の魔力に覆われた。


「ルシウスッ!」


 プリエナの叫び声が響く中、覆った魔力の塊がしぼんでいく。

 そして、すぐさま立ち消えてしまった。


 現れたのは蚩尤しゆうをまとったルシウス。


「大丈夫だよ、プリエナ」


「なんで……喰鬼ブートになってないの」


「言ってなかったっけ? 裏返った魔武具の魔力は、蚩尤しゆうらしいよ。あれくらいだと大した力にはならないけど」


「ええ……」


 プリエナの驚きと呆れが混ざった声が森に吸い込まれていった。

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