第123話 審判
「アデライード卿、こちらでよろしいな?」
魔導船のメインブリッジの上段にある展望デッキ。
そこには人がひしめいていた。
中央にあるのは簡素な机と椅子。
腰を駆けるのはアデライード卿と、本艦隊の最高責任者である提督である。
「確かに」
北部、東部、南部を帝国に渡す代わりに西部を帝国の属国として存続させ、統治権をウェシテ=ウィンザー家に保持させることが記載してある。
アデライード卿は羽根ペンで目の前に置かれた用紙に署名する。
「
用紙を受けとった提督が満足そうに副官へと手渡した。
「であろう。何故か周りは簡単な数合わせすら出来ぬものばかり。流れる大河を小石では
アデライード卿の回りにいる西部の貴族たちが大げさにうなずく。皆、家族を連れ、抱えきれないほど手荷物を持ち込んでいた。
「そうですな」
視点が上がる。
アデライードたちが乗った旗艦は西部の郊外に残り、他の部隊が西部を除く3つの州を蹂躙するのを見送る予定だ。
塔に退避していた息子ディオンと合流した後、ともに新たな国として、王都に凱旋する手はずとなっている。
東南北の州都だけではない。
王都も『船』には乗れぬ派閥外の者たち、裏切り者たちの粛清が始まる。
民草も多少は犠牲になるだろうが、必要な痛み。
アデライード卿達は好奇の眼差しで外を見おろしていた。
まるで皆、遊覧飛行のように歓声を上げる。
これから祖国が侵攻されるにもかかわらず、気にした様子はない。むしろ、新しい世界がやってくる事に目を輝かしている者たちもいるほどだ。
そんな様子を横目で睨みつけるのは帝国の将校。汚物を見るような視線で調印式を終えた提督へと駆け寄った。
「提督。あんな者たちを
小声で話しかける。
「むしろ船をうろつかれる方が困る」
「……簡単に自国を売る輩。猿共の中でも、より唾棄するべき猿です」
「それは私もだ。まあ、猿共は知らんのだろう。帝国が真に実力主義であることを。我が国では役職の重さは責任の重さ。高いところから落ちるときの方が痛みは強い」
「その説明はしておられなかったのですね」
「そもそも説明してやる義理がない。猿相手に獣兵を無駄に消耗するつもりはないのだ。本番は後に控えているのだからな。策で猿どもが勝手に
提督が苦々しい表情を浮かべた。
「この国にいると言う戦帝を退けた者、ですね。やはり信じられません。あの陛下を退けるような人間が存在するとは」
「事実だ。本装備ではなかったとはいえ、敗走したのは陛下自身が認めて、国中に布告を出したではないか」
「ですが、そのような人材を有する王国が、なぜ今回の策に乗るのでしょうか。罠なのではないですか?」
「ああ、そうだ。当初、作戦本部も罠である事を一番に懸念していた。だが、
提督は深い侮蔑を込めた溜息をついた。
帝国将校も、理解ができないとばかりに、遊覧気分で下を眺める西部の貴族たちへ視線を送る・
「はぁ。それならば、これほどの戦力を持ってくる必要はなかったのでは?」
魔導船には帝国将校と膨大な数の獣兵が乗船しており、王国を2度、
「念の為だ、念の――」
突然、警報が鳴り響く。
「高魔力反応あり! 距離210。まっすぐ本艦へと向かってきております! 魔導砲と推定!」
「魔導砲だと? どこからだ?」
「王都ブラッドフォード、いや、【塔】からと推定! ……なんだ……この魔力……魔導砲以上ッ!?」
提督が振り返り、アデライードを睨みつける。
その顔には
「妾は何もしらぬ。そもそも魔導砲は帝国のみの技術のはず」
アデライードの言葉に、提督が舌打ちをしながら指示を飛ばす。
「全力右舷回避ッ!!」
「何だ……この動きと速度は……」
「何が起きた! 報告を怠るなッ!」
「ま、魔導砲が、8時方向へ方向転換しました!」
「魔導砲が曲がっただとッ!? 間違いないのかッ!?」
「間違い有りませんッ!」
「クソッ!どうなってる! 全艦へ通達ッ! 多重魔防壁を展開ッ! 展開を急がせろッ!!」
すぐさまメインブリッジの窓から見える魔導船達が、隙間なく魔防壁を展開する。
高度に訓練された連携である。
次の瞬間、信じられないものを見た。
周囲が赤く照らされたのだ。
真昼だというのに赤い光が覆い尽くす。
直後。
前方に見える8機の魔導船が、風船のように破裂した。
「へ?」
高い判断能力と人望を兼ね備えた提督が発した言葉とは思えないほどに、間抜けた声が船橋に響く。
過ぎ去ったのは、1本の赤い光の筋。
大規模転移により、王国の奥深くに打ち込まれた
最新鋭の戦艦。
多くの将校と獣兵を搭乗させた戦艦。
それが目の前で弾け飛んだ。
提督は最初に、自分の正気を疑った。
次に考えたのは幻だ。
だが、目の前の計器が示す情報が、すべての搭乗員の表情がそれが真実であることを物語っていた。
信じ難いことに、特級の魔物魔石から無限とも思える魔力を引き出し、展開された魔防壁が一撃で貫かれたのだ。
それも1機ではない。
8機もまとめてだ。
「なんだ……あれは……」
貫いた光の正体が
赤い龍、いや
6枚の翼を持つ光で作られた蛇龍。
それが更に、転移したばかりの魔導船を次々に貫いていく。
周囲を照らす赤い光が
呆然と立ち尽くす中。
「うわッ!!」
乗員の一人が声を上げた。
その男の顔が石となっていたのだ。
「きゃああ!」
「うぎゃああぅ!!」
次々に声が上がる。
「何だ!?」
混乱する提督や将校たち。
見ると帝国兵たちが、次々と異形となっていくのだ。
目から黒い血を流す者。
腕が鳥の羽根になった者。
気が触れたかのように機器を叩きつける者。
混乱に混乱が上書きされ、裏返ったように冷静になっていく提督。
「なぜ……呪いが……」
横で呟いたのはアデライード卿。
「呪いだと!? この全てがかッ!?」
「分からぬ。一度に、これだけの呪いが振りまかれるなど見たことも聞いたこともない」
横で困惑するアデライード卿を捨て置いて、提督は前を向く。
外は赤い光に包まれている。
その赤い光が提督の指先に触れたとき。
「ぐっ」
先程まで有った指先が、影のような虚無の空間に溶けていった。
跡には、影が張りつたような指先があるだけ。
「あの赤い光が原因か……今すぐ船窓を封鎖しろッ! 今すぐッッ!!!」
サマエルの放つ赤い光は厄災の光である。
ありとあらゆる呪いの触媒にして、塔の呪いの根源。
サマエルとの契約時。
高い魔力量と強力な式を持つ者は呪いに対して、耐性を持つ為、かかりづらい。
ゆえに特級の式を2体と契約しているルシウスは呪いにかからなかった。
また、サマエルの光を目の当たりにしたキルギス達は、傀儡ソルがルシウスの指示通りにすぐ解呪していたためこと無きを得た。
だが、魔核すら持たぬ帝国兵。
彼らは、呪いの耐性が一切ない。
すぐさま窓枠が隔壁で覆われていく。
あと僅かで締まり切るというとき。
背筋も凍るような視線を皆が感じ取ったのだ。
提督も、帝国将校も、西部の貴族たちも。
当然、アデライード卿も。
閉じていく隙間から見えるのは、赤く光る
「ま、魔防壁全開ッ!! 一切の余力を残すなッッ!!」
提督が乗る特製の
3つの特級の魔石を用いた堅牢無比な魔防壁が展開された。
それでもサマエルは羽ばたいた。
まるで前方には何も存在しないかのように。
魔法壁と蛇龍が激突。
結果、魔防壁は。
一瞬で消失。
赤い光が船に降り注ぐ。
船橋だけではなく作戦室、武器庫、居住区画、全てに。
船の中が呪いで満たされる。
あらゆる乗員の体と精神が異形となり果て、地獄に飲まれたかのような状況と化した。
だが、その呪いは苦しみを生まない。
すぐに全てが無に帰すのだから。
呪いを全身にうけながら、アデライードがぽつりとつぶやいた。
「……ディオン……私はまた……死な――」
全ては赤い光に飲み込まれた。
◆ ◆ ◆
「あああぁぁああああっっ!!!」
ディオンの叫び声とともに、瓦礫をばら撒く 40数機の魔導船だった物。
背後には言葉を失った近衛騎士団とキルギスの民たち。
「羽が6枚か。ほとんどの魔力を注ぎ込んだのに、不完全な形でしか顕現できなかった」
契約したてで魔力同化が進んでいないとはいえ、完全な姿で顕現させられる気が全くしない。
ルシウスは右手を開閉した。
多くの命を奪った。前回の戦い以上に。
右手が小刻みに震え、気持ち悪さが這い上がってくる。
だが、無理やり左手で押さえつけた。
罪を振るい落とすかのように、震える権利すら自分にはありはしない。
罰は受け止め続けなければ。
自分が生き続ける限り、自身が殺めた事は己の胸に刻み続ける。
それでも
「……塔を下りましょう」
ルシウスの影から数十という鎧兵が立ち上がる。
そして、倒れた騎士たちや疲弊して動けなくなったキルギスの民を担いだ。
ルシウス自身は停止して動かなくなったソルを再び抱きかかえる。
「許さぬ、許さぬ、許さぬ、許さぬ」
近衛騎士団に拘束されながらも、
「貴方の犯した罪は、法のもとに裁かれる。極刑は間逃れない」
「……法? 法は私だ。貴様からすべてを奪ってやる。家族も友人も領民も、皆殺しだ」
ディオンの後ろ盾となっていた貴族たちは、魔導船と共に
どれだけ今から口から呪詛を並べ立てようとも結果は覆りはしない。
ルシウスは騎士団にディオンへ任せ、魔法陣へと消えていった。
塔を出ると空には邪竜と亜竜たちが飛翔していた。
王都はまさに混乱の最中。
至る所から火の手と悲鳴が上がり、皆が逃げ惑っている。
だが帝国兵の姿は見当たらない。おそらく撤退し始めたのだろう。
もっとも王国の奥深くで旗艦を失った今、彼らに捕虜になる以外の選択肢があるのか疑わしいが。
「千竜卿。お待ちしておりました」
塔を出るなり、走ってこちらへ向かって来る青年。二十歳前で、聡明さを感じさせる男だ。
どこかで見たことがあるように思う。
「あなたは?」
「シリル=ウェシテ=ウィンザーと申します。先王の孫にあたるものです」
「……孫」
「私のことは後ほど。ともかく急ぎ、千竜卿に許可をいただきたく」
シリルは
「何の許可でしょうか?」
「東部と北部に駐留させている西部と南部の混成部隊に出撃の許可を。千竜卿しか徴兵権を行使出来る人間がおりません」
東部と北部に部隊が駐留しているなど、初めて聞いたことである。
それ以上の驚きは、ルシウスしか徴兵権を行使出来る人間が居ないという話。
王が崩御した後、通常は、宰相や大臣たちによる議会が組成され、王権を代替できる。そうしなければ次の王が決まるまでの間、国治が立ち行かない。
「宰相や大臣たちは何処にいるのですか? それになぜ西部と南部の部隊が、他州に?」
シリルが恥じ入るように抵当する。
「先ほど塔より放たれた砲魔は千竜卿が放ったものだと推察いたします。その砲魔に半数ほどが巻き込まれて死んだものと思われます」
どうやら、最期にアデライード派に鞍替えした者が半分ほど居たらしい。
そのため議会は機能不全に陥っているのだろう。
シリルは言葉を続ける。
「邪竜と亜竜たちの防衛もあり、西部の帝国兵は既に問題ではありません。ですが、今回の作戦はおそらく帝国軍による挟撃。つまり東部を始め、北部にも同時侵攻されている可能性が高いと思われます。お
1人苦笑いを浮かべるルシウス。
――陛下には全く勝てる気がしないな……
いったいどこまで読んでいたのか。
流石にサマエルを降すことは予想していなかっただろうが、ルシウスが妖精王から与えられた力で王都を守り、反転攻勢に出ることはシナリオの1つとして想定していたのだろう。
「わかりました。千竜卿の名において出撃を許可します」
「ありがとうございます」
早速、走り去ろうとしたシリル。
「あ、待ってください。南部にはどの部隊が?」
「南部、ですか?」
シリルはピンときていない。
思い出せば、艦隊が大規模転移で現れてすぐさまルシウスが撃墜したため、進行方向まで把握できていないのだろう。
西部と南部は同盟関係にあった。
そのためシリルも南部は襲われていないと考えているようだ。
おそらく部隊の配置からしても、王すらも南部が切り捨てられるとは思っていなかった。
「ええ、帝国の魔導船は南部にも向かおうとしていたフシがあります。可能な限り南部にも部隊を」
「……承知しました」
シリルはそう答えたものの、頭を悩ましている。
兵力は有限である。ただでさえ帝国との力の差がある状態なのだ。下手に兵力を分散させれば、防衛機能を果たせない。
意図はルシウスにも十分に伝わった。
「ならば南部には自分が行きましょう。北部と東部は兵力を回して――」
ルシウスの言葉を遮ったのは近衛騎士団長マルクである。
「それでは北部と東部に千竜卿がいないことを帝国に知られてしまう。帝国は千竜卿が居ない場所に戦力を集中する。王都にて全体指揮を。南部には近衛騎士団と西部の残存部隊を派遣しよう。守るべき王も今は…………居ない」
マルクの顔には後悔と哀悼が込められている。
責任を感じているのだろう。
それはルシウスも同じであった。
「……わかりました、お願いします」
そうは言っても、今から州を超えていくのだ。
部隊での移動となれば1日2日では不可能。
おそらく今回の侵攻で、南部が最も被害を被ることは間違いない。
ルーシャルが自らの手を汚しても、死罪になっても、回避しようとした事態となってしまった。
その被害に晒されるのは、大半が何も知らなかった民である。
あまりに実りがなさすぎる。
それでもルシウスは振り返り、前へと向いた。
目に入ったのは、怯えきった民。
傷だらけの王都を守護する兵たち。
魔力が尽きかけて絶望に打ちひしがれる王都に居た貴族たち。
ルシウスと近衛騎士団が塔から降りてきたことが王都中に伝わり、集まってきたのだろう。
皆、
「……シリル様。残った大臣たちと、王都にいる貴族、騎士を集めてください。戦の対策本部を組成します。情報の収集と指揮系統の一本化を急ぎましょう」
「千竜卿、シリルとお呼びください。今、あなたは王の代わりなのですから」
シリルの言葉により、ルシウスの肩に、見えない重圧が乗りかかる。
まるで大きな岩が載せられたかのようだ。
いつも王が感じて居たものだろう。
自分の差配が間違えば、国が亡くなるかもしれないという焦燥感。
自分の判断が間違えば、多くの民が死ぬかもしれないという危機感。
そして自分の指示で、多くの貴族や騎士が命を賭ける。それを決して無為にしてはいけないという責任感。
ルシウスは周囲に向かって声を張り上げる。
「私は、かつて1度帝国を退けた!」
一斉にルシウスに視線が集まり、皆が耳を澄ます。
「今回も王国の勝利を約束しようッ!」
ルシウスの言葉に、集まった民衆たちの間から、一気に歓声が上がる。
王都中に響いた歓声は混乱の中にあって、希望をもたらすものとして十分であった。
邪竜と千の亜竜が舞う王都に、一気に活気が戻り始めたのだ。
今から王都に満ちた活気を、国全土に広げなくてはいけない。
――まったくガラじゃない。やっぱり俺は男爵くらいでちょうどいい
そう思いながら、シリルと王城へと歩き始めたルシウスであった。
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