第120話 契約

 妖精王だった存在が翼を広げ、滞空した。

 広大な塔の空間でも狭いのか、体をくねらせている。


 赤い光で作られた体が、更に光を帯びた。

 夜明け前に輝く一等星のように存在感が増していくのだ。

 蛇龍じゃりゅうとしか呼べぬその姿は、強烈な荘厳さと峻厳さを放っている。


「まだ魔力が上がる。底なしか?」


 ルシウスの右手は、僅かだが震えている。

 震える手を押さえるように、強く握りしめた。


 ――これしかない。乗り越える


 蛇龍の左右の瞳をしっかりと見定めるルシウス。


 対して、蛇龍の閉じられていた中央の3つ目がゆっくりと開眼した。

 それは宝石のように赤い輝きを持った瞳であった。




「……来る」




 爆音。



 蛇龍が12枚の翼を一回だけ羽ばたかせたのだ。


 翼の羽ばたきと思えぬ凄まじい音が成り響いた。

 音に乗るかのように、赤い光が駆ける。


 巨大な流星。


 それが自分めがけて飛んでくるかのような感覚だ。


 直撃すれば死どころではない。


 蒸発する。

 骨の欠片1つ残りはしない。


 蚩尤しゆう殉死じゅんしを覚悟していることが白眼魔核を通じて、はっきりと分かる。



 無理だ。逃げたい。死にたくない。



 原始的な感情が思考を埋め尽くした。


 進化の過程で得た、その本能は正しい。

 それに従うことが生存に有利だったからこそ、今も胸のうちに鳴り響いているのだ。



 だが。


 死ならすでに経験したはずだ。


 1度ならず2度も。



 ――乗り越えるッ!!



 ルシウスは本能を否定した。



「邪竜ッ!」



 ルシウスが命じると、邪竜が背後から全力のブレスを放つ。


 赤と黒赤の線が混じり合う。



 力と力の衝突。



 周囲に衝撃が駆け巡り、漏れ出た余熱により、マグマが蒸発。



「……だめか」



 止まらない。

 激流を遡上そじょうする渓流魚の様に、邪竜のブレスを押し返しながら前進する赤い蛇龍。


 邪竜の息が切れる。


 陽炎が揺らめく空間から現れたのは赤い蛇龍。


 ――傷1つない


 ルシウスと邪竜の視線が合う。


 邪竜は意図を察知し、素早く後ろへ下がる。


 迫る蛇龍の前に突如、盾が現れた。


 ――遠隔えんかくたい


 精神世界の4年間で身に馴染むほどに使い込んだ。

 今では息をするように離れた場所で術式を発動できる。


 盾と赤い蛇龍が衝突。


 そして、盾は砕け散った。

 何度もルシウスの身を守ってきた盾がまるでガラスのように。

 ほんの僅かに勢いを殺した程度。


『無駄』


 妖精王の言葉を無視し、ルシウスはすぐさま新しい盾を生成。



 ――遠隔えんかくたい


 盾と赤い蛇龍が衝突し、盾が砕け散る。



 ――遠隔えんかくたい


 盾と赤い蛇龍が衝突し、盾が砕け散る。



 ――遠隔えんかくたい


 盾と赤い蛇龍が衝突し、盾が砕け散る。



 距離が詰まる。

 にもかかわらず、赤い蛇龍の破壊力はいささかも衰えていない。



 凄まじい魔力の塊。


 死の化身が迫る。



なんじも……所詮、人か』



 あと蛇龍の頭、数個分ほどで死の牙が届く。


 それでもルシウスはまっすぐに赤い蛇龍を見つめていた。



「いや、狙いどおりだ」



 ルシウスの背後。


 邪竜の中央の首の前には、暗黒の球体が浮かんでいた。

 あらん限りの力を、押し込めた力の塊。


 左右の首が暴発を抑え込む。ギチギチと音を立てながら。



 ルシウスが左手を掲げる。


 すると邪竜の前方に、圧黒の球体が10個ほど浮かんだ。

 こちらは、ルシウスの術式である。


 圧黒は、円を描くように順々に配置されていた。


「これに賭ける」


 ルシウスの言葉に応え、邪竜が溜めに溜めた圧黒のブレスを。



 放つ。



 邪竜が放った黒い球体が、ルシウスが作り出した圧黒の円をくぐった。


 圧黒と圧黒が引き合いながら、反発し合う。


 結果、圧黒のブレスは高速で回転。

 負の螺旋らせんを描きながら無限に縮小するように。


 親疎しんその能の応用である。

 父ローベルは術式同士の反発を竜巻に使っていた。



 ルシウスは竜巻のように回転する圧黒のブレスとしたのだ。


 赤い蛇龍が笑み浮かべる。

 真正面から打ち砕くつもりなのだろう。


 が、圧黒のブレスは、赤い光には当たらなかった。


 すぐ横を過ぎ去ったのだ。


『…………』


 変化はすぐに現れた。


 真っ直ぐ進んでいた赤き蛇龍が次第にずれていく。

 いや、引き込まれていく。


 回転する黒いブレスに。


 体を輝かせながら必死に抵抗する蛇龍。


 その時、蛇龍の周りに爆炎が舞い上がる。


『炎を薄く撒いていたか』


 ――拡狭こうきょうたい


 薄く邪竜にばらまかせいた炎のブレスを一気に収縮させたのだ。

 そして、赤い蛇龍の横から――高速で回転する圧黒のブレスの方へ――押し出すようにが炎が迫る。



 赤い蛇龍が、眼前に迫る。



「まだだッ!」


 ルシウスが魔力を操作すると、無数の魔槍が魔力に引きつけられ、炎が舞い上がった場所へと刺さる。


 塔主たちの体を突き刺したときに、予め複製しておいた魔槍である。

 精神の4年間で、ルシウスが最も多用した四能したいは、親疎しんそたい


 魔力や術式を引き寄せたり、反発させるという魔力操作は、応用範囲が広いのだ。


 蛇龍の体内から魔槍が芽吹くように無数に突き出した。

 多くの魔槍が光の暴力により引きちぎられる中、地面へと突き刺さた魔槍がわずかに減速させる。



 赤い蛇龍が肉薄。



 ルシウスは防魔の盾を構える。

 そして盾にありったけの魔力を込めた。


 ――鋼衣こういたい


 ありったけの魔力を込めた盾と赤い光が接触。


「ぐッッッ!!!」


 一瞬で亀裂きれつが入る。

 破滅そのものと言って過言ではない破壊力。


 熱い何かを感じて仕方ない。

 熱なのか、魔力なのか、高まりすぎた神経なのか。その正体はわからない。



 はっきりしていることは1つ。


 失敗すれば死ぬ。


 当然、死とは自分だけの話ではない。


 家族、友、仲間。そして、愛する人。

 全員だ。


 痛みが全身を駆け巡ってなお、ルシウスは魔力を押し込め続ける。

 駆け巡り過ぎた痛みが、鼻血となって吹き出した。



「こんなもんじゃないッ! あのときの痛みはッッ!!!」



 大盾を思いきり右上へとね上げた。

 螺旋らせんのブレスがある方へ。



 赤い光の暴力が横を通り過ぎる。


 そして、赤い蛇龍は塔の壁に衝突。


 爆発。



 過ぎた後には、深く、深く、えぐれむき出しとなった大地。


 そして、一気に風が吹き荒れた。


 ルシウスが全身から煙を上げて、振り向くと。



 ――塔の壁に、穴が


 不壊物質で作られている塔に大穴が空いていた。


 そして穴の先にあるのは赤き光る蛇龍。

 塔の外に拡がる空に浮かびながら、3つの瞳でルシウスを見ている。


 ルシウスが限界とばかりに蚩尤と邪竜の顕現を解き、鼻からこぼれ落ちた血を服でぬぐう。



「耐えたぞ。一歩も動いていない」



 結果としては、ひと一人分、進行をずらしただけだ。

 魔槍は刺さったものの蛇龍はすでに傷一つ無く、耐えたと言い切るには言い過ぎな気もする。


 だが。



「俺は生きている」



 赤い光る蛇龍は何も言わない。

 じっとルシウスを見つめたままだ。


 ルシウスは【砲魔の手枷てかせ】をはめた右手を前へと突き出した。「来い」と誘うように。


 蛇龍の形が収縮し、再び12枚の翼を持った妖精王の姿を取った。


 そして、近寄り【砲魔の手枷】から垂れる鎖へと触れたのだ。


 途端、膨大な魔力が右手へと流れ込んでくる。それは無理やりルシウスの魔核へと巨大な存在をねじ込んでいるかのようだ。


ッッ!」


 激流のような魔力の注入。

 内部から魔核が破裂するような感覚。


 砲手魔核へと流れ込んでくる存在を受け止めきれない。


 契約に必要なものは、相性と魔力の釣り合いである。


 そして、絶望的なほどに魔力量の釣り合いが取れていない。

 小石と大岩を置いた天秤てんびんは決して水平になりはしない。


 ――無理なのか、ここまで来て


「主……手伝う……」


 傀儡ソルがルシウスの右腕へと手を重ねた。


 ソルの表情がくもり、溢れ出る魔力を吸い上げ、偽核へ魔力を流していく。

 偽核が悲鳴を上げていることがわかる。


 ――妖精王の魔石……


 傀儡ソルが妖精王自身の魔石を核として動いている存在だからだろうか。

 流れ込む魔力を制御してくれている。


 そして、膨大な魔力が少しだけ緩んだ時に理解した。


 赤い光る蛇龍の願い。



とこしなえの運命に拒絶を』



 ――あぁ、相性がいいな


 初めて一致した。

 思いが。願いが。


 破滅しかまたぬ運命など、いくらでも否定してみせる。

 どれだけの苦痛を受け入れようとも。


 ルシウスの魔力と赤く光る蛇龍の魔力が絡み合っていく。

 二度と解けぬように、混ざり合う2つだったもの。



 砲手魔核の中にあるのは圧倒的な存在。



 契約は成った。



 同時、魔力を取り込みすぎた偽核が停止し、ソルが糸が切れたように崩れる。


 ルシウスが右手でソルを受け止めた。

 おそらく一時的なオーバーヒートのようなものだろう。


「妖精王……本当の名は?」


『…………』


「妖精王?」


『ルシファー、サマエル、サタン。好きに呼ぶが良い。名など唯一無二の我には不要』


ルシファー明けの明星か、俺と微妙に被ってる。ってことは呼ぶならサマエルかな」


 サマエルは何も答えない。

 本当に名に興味がないのだろうか。


 それにしては少し違和感があるようにも思う。


 ――またいつか、ってことかな


 半身として共に生きる存在なのだ。急いてもしかたない。


 ともかく、やることがまっている。

 次に行かなければ。


 ソルを抱えたまま、振り返った所で魔力を感じた。

 6体の塔主たちである。


「まだいたの?」


 塔主たちは混乱しているようだ。

 自分たちの主が人の式になると思っていなかったのだろう。


「それぞれの場所に帰れ」


 ルシウスが右手を振ると、一目散に消えていった。


 ――何か落としたな



 機能を停止したソルを地面へと横にして、塔主たちが消えた場所へと近寄る。


 塔主達がいた場所には、黒、赤、藍、青、茶、黄の特大の魔石が落ちていた。

 両手で抱えないと持つこともできなさそうなほどの魔石。


 おそらく塔主たちを魔石を媒介に喚んだのだろう。


「これが【塔主の心臓】ってやつか。6個もあれば十分かな、メラニア?」


 大声を上げながら手を振るルシウス。

 離れた壁際で固まる一団、キルギスの民である。


「「「……………」」」


 老若男女、全員が瞳孔が開ききった目を可能な限りに広げて、ルシウスを見つめていた。まばたきも忘れているかのようだ。

 メラニア自身も。


「メラニア?」


「は、はいッ!?」


「前、言ってたでしょ。【塔主の心臓】があれば塔を離れられるって。俺の領に来るといいよ。式持ちも傀儡かいらいを持てることも分かったし。6個あるなら、大分持つんじゃない?」


「え、ええぇ。え? えええっ?」


 語彙力ごいりょくが死んでいる。


「偽核も大量に余ってるから、皆、2体目が持てるし、これで――」


 ルシウスがキルギスたちに近づこうとした時、魔法陣が光る。

 その中から、現れたのは使い古された革鎧を身に着けた大男。



【狩人】であった。

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