第114話 落ちた英雄②

  ルシウスと近衛師団マルクの背中を見送った、王が口を開く。


「『船』という言葉は、も何度か漏れ聞こえておる。だが、今まで、それが何であるかは厳重に秘匿され、実態を掴めずにいた」


 王が言葉を投げかけたとき、謁見の間の扉が開いた。

 扉を開けた警備の兵士は相変わらず前だけを見ている。


 まるで意識を抜かれた置物のように。


 入ってきたのはルシウスと別れたばかりのディオンと、その護衛。

 王と母アデライード卿の2人の視線がディオンへと注がれる。


「ディオンか。今は枢密すうみつな題を話しておる。後に致せ」


 王の命に対して、アデライード卿が口を挟む。


「義兄上。ディオンは『船』の話と関わります。同席を」


 陛下ではなく義兄上と呼んでいることから、これはウェシテ=ウィンザー家としての会話であることを強調しているのだろう。


 王はアデライード卿とディオンと順番に眺め見る。近衛師団長マルクまで控えさせたにもかかわらずディオンの護衛は良いと言うアデライード卿。


 王とて愚かではない。「ついにこの時が来たか」とばかりに、王の鼓動が早くなる。

 しかし、そんな心の片鱗も一切感じさせず、王は話を続けた。


「わかった。して、『船』とは何なのだ?」


「義兄上、この国に必要なものは何でしょうか?」


 質問に答えず、全く別の質問で返すアデライード卿。

 王は意図を図りながらも、応える。


「人だ。人こそが国」


わらわはそう思いませぬ。帝国が動き始めた今、乱世の到来は避けられません。その乱世において常人などいくら居ても足しにはなりますまい」


「足しというのは誤った捉え方よ。国の為に人があるのではない。人の為に国がある」


「果たしてそう――」


「アデル。腹の読み合いはもう良い。率直に申すが、誰かが謀反を企てておる。その一派を余は『船』だと睨んでおる。違うか?」


「当たらずとも遠からず。して、それは誰だとお思いで?」


 アデライード卿が氷のような微笑を浮かべた。

 王は、義妹と、謁見の間にしかれた赤い絨毯を歩く男を流し見る。


「お主と、我が甥ディオンだ」


 アデライード卿は笑みを崩さない。


「今回の件で明確となった。ルシウスが失脚し、北部と東部の票が割れれば、もっとも地盤を持っておるディオンが王となれる。なぜだ? なぜそこまで権力に執着するのだ? 今も十二分に高貴な存在ではないか? それこそ西部では余と遜色ないほどに」


 王が全ての家臣や近衛師団の席を外させたのは、この真意を問いただすためであった。


 証拠はない。すべての状況がそう示しているだけ。

 だが、王には確信に近いものがあった。


 アデライード卿の顔が笑顔にニタリと歪む。


「やはり妾には理解しかねることばかり。そこまで分かっておりながら、なぜ人払いに応じたのですか? それほどにウェシテ=ウィンザー家の醜聞はお嫌いですか?」


「本当に。本当にそんなことすら、分からぬか?」


 王の瞳に苛立ちが宿る。


「ええ、皆目かいもく検討もつきませぬ」


「お主とディオンのためだ。まつりごとの対立はあっても同じ血族ではないか。お主達がソウシ卿たちと頻繁に密会していることも、過分な権益を得ていることも、西部と南部の兵力が減らぬように維持していることも知っておる。だが、明らかな謀反まで成したことはない」


 キルギス族などは極端な例ではあるが、多少の不正はあれども国として栄続けてきたのは事実。


 国営は清すぎても、濁りすぎても行き詰まる。なぜなら万能ならざる人が作る法も行政も、また万能ではないのだから。

 その加減を差配するのが王政の才と言っても過言ではない。


「今ならまだ間に合う。頼む」


 アデライード卿とディオンが少しの間、止まる。


 そして、「ははははっ!!」大笑いし始めた。

 腹を抱えて。


「義兄上は老いた。血などという愚にもつかぬものに拘泥するなどと。それに……もう帝国と話は付いているのです」


 王は無念の表情を浮かべ、目をつむる


「やはりかッ。北部は、東部は……」


 王の溜息に近い嘆きと共に、走りだしたのは護衛。


 王の足元にあるのは、ルシウスが置いた光の宝剣と2本の魔剣。

 明らかに正気ではない護衛が目を血走らせたまま、宝剣を手に取った。




 そして、剣を現王の胸へと突き立てる。




 先ほどまでルシウスの愛剣だった光の宝剣で。



「ぐッ……!!」



 王が剣の刃を握り、血が流れ落ちる。




「義兄上。もはや北部や東部がどうとなど言っている場合ではないと、いつになったらご理解されるのですか? 今は判断と選択のとき」


 なおも笑みを崩さないアデライード卿とディオンが手にしたものは、赤い玉。

 凹凸がある表面に光が這う道具。


 帝国独特の技術、魔導具であることは見間違えようがない。


 2人は魔導具を行使したためか、手が痛みに震えているが、顔色1つ変えていない。


 アデライード卿が手にしたものは防魔の結界の中でも発動する特殊な術式は、おそらく外に声が漏れぬように作られた消音の術式。


 そしてディオンが手にしたものは、自身の魅了の術式を防魔の中でも行使させる抗防魔の術式であろうが、もはやそんなことはどうでもよい。



「国は……モノで……はないぞ……人……なのだ」



 王が一言、発するごとに、血がドクドクと流れ出す。

 それでも王は言葉を止めない。


「だからこそ、優れた者が舵取りをしなければならないのです。義兄上は国のあり方にこだわりすぎる。4つの州など今の時代にそぐいません。これから始まる乱世に必要なものは、時勢を紐解き、混迷の時代を生きる聡さと豪胆さ」


 正気を失った護衛が、突き刺さった宝剣を手離し、残り2本の剣を両手にする。

 そして、各々を王の腹へと突き刺した。


「義兄上は邪魔なのです。あの頭の悪い英雄ルシウスと共々消えていただきたい。我が息子ディオンのために」


 玉座から倒れ落ち、血が階段を伝う。



 アデライード卿もディオンも勝ち誇ったように床へと落ちた王を見下す。





「余を……舐めるな……すでに……手は……打ってある」



 王が最期に見せたもの。


 それは、笑みだった。



 2人を睨みつけたまま、王の瞳から生気が消え去った。


 長い治世に中、王国に安寧と発展をもたらした賢王にとって、それはあまりに似つかわしくない死であった。



「ふっ、苦し紛れの戯言よ。ディオン」


 頷いたディオンが放心状態の護衛へと命令する。


「自害しろ」


 魅了の術式により、言いなりとなった護衛が2本の剣を腹から抜き、自分の首筋に刃を沿わせる。


 あたりに舞った血しぶきが、白い床や壁を赤く染め上げた。

 来客用扉を警護する2人の兵も、それに続く。


 護衛が息絶えた頃、アデライード卿とディオンが目配せし合う。


 そして、手に持った魔導具をしまい、叫びを上げたのはアデライード卿。


「誰か! 誰か!」


 最初に現れたのはマルク近衛師団長。


「どうされたのですかッ!?」


 次々と声に応えるように現れる、扉の反対側に控えていた家臣や近衛騎士団たち。


 謁見の間になだれ込む者たちなど気にもとめず、王の元にいち早く駆け寄った近衛騎士団長マルクが腕を震わせて、王を抱き上げる。


 生前の覇気とともに血が流れ落ち、白くなった顔は年相応の老人であった。


「早く治癒者を手配するのだッ! 急げッ!!」


 声を荒らげたものの、すでに息がないことは明白。

 マルクは横で死んだ護衛を一瞥いちべつした後、アデライード卿へと強い口調で迫る。


「何がッ! いったい、何が起きたのですッ!」


 近衛師団長の背中から溢れ出た膨大な魔力が、周囲を覆い尽くす。

 家臣たちの怒号に近い叫び声が響く喧々囂々けんけんごうごうとした広間が、嘘のように凍りついた。

 皆、激しい怒りが込められた魔力に当てられ、動けなくなったのだ。


「その剣を見よ。下手人が知れよう」


 マルクは王の胸に突き刺さったままの剣を凝視する。


「光の……宝剣……」


 十数年前まで常に王自身がいていた剣。

 そして、ルシウスへ確かに下賜された剣をマルクが見間違えようがなかった。


「まさかルシウスが!?」

「あり得ない。陛下自ら見込んだ英雄ぞ!?」

「いや、だがあれは確かに……」


 アデライード卿が辺りを見回しながら大きく手を挙げる。


「魔剣を返上せよと命じた陛下へ、逆上して斬り掛かったのだ」


 マルクは王の亡骸を抱えたまま、首を振る。


「ありえません。この場にいる者たちの多くが、ルシウスが魔剣を返却したその場を見ております。そんな素振りは全く無かった」


「それは皆の目があったゆえに、抑えていたのであろう。皆の者、忘れたのか? あの者はジラルド子爵を襲った罪でここへ呼ばれたことを」


 皆が黙る。


「それはそうだッ!」

「いつかやると思っていた……」

「思い上がっているという噂は本当であったか!」


 次々に同調する貴族の声が上がった。言うまでもないが、アデライードの息が掛かった者たちである。



 アデライード派の貴族たちが更に追求の声を上げようとした時、王の近くで死んだ護衛の右手から砲魔が姿を現した。


 槍のような尖った角を持つ、風でできた馬である。

 防魔の結界でも砲魔自身の存在を消せはしない。


「……フルカスか」


 よくいる砲魔は元半身であった護衛を角に掛けると、風と共に消え去っていく。

 塔に帰ったのだろう。


 王自身の式は、礼節を重んじる。

 幸いなことにこの争乱の渦中、王の遺体を喰らうことを待ってくれているようだ。


 アデライード卿は特に言及することなく演説を続ける。


「もともと襲った理由は、自身の担当であったキルギスのため。奴は己の所持品が奪われそうになると、頭に血がのぼる性分であることに考えが及ばなかった妾の責任。妾が人払いなどせねば、こんなことは起きなかった」



 マルク近衛師団長が、強く奥歯を噛みしめた。

 マルクが謁見の間を後にして、時間にして、わずか数分の出来事であった。


「マ、マルク団長! 本当にルシウスが犯人なのですか!」


 戸惑う近衛騎士の1人が尋ねるが、それを誰よりも聞きたいのはマルク本人である。


 マルクが部屋を後にしたときに陛下は間違いなく生きていた。

 その時に部屋にいたのは王を除けばアデライード卿とルシウス。

 更に部屋を開けた時には、ディオンと死んだ護衛がいた。

 いつルシウスが出ていったのか、いつディオン達が入ってきたのかすらもわからない。


 だが、この4名のうち、だれかが死に関わったことは明白であった。



「わからないが、おそらく消音の術式が使われた」



 この場にいる誰もが音を耳にしていない。


 消音の術式はさして珍しいものではないが、アデライード卿もディオンも、死んだ護衛の式フルカスも、消音の術式ではない。

 しかし、千竜卿の名の通り、ルシウスが持つ千の竜騎士の中には消音の術式を使う者は間違いなくいるだろう。さらに、ルシウスならば防魔の結界でも無理やり術式を行使できる。


 また、ルシウスが術式より魔剣を好んで振るうことも事実。怒りに任せて貴族に対して、手を上げたこともまた事実。


 そして、今この場にいないのはルシウスのみ。


 人間性に目を瞑れば、ルシウスが犯人だというのは合理的な気もする。


 何より四大貴族の長たるアデライード卿の主張である。


 噂話は聞けどもルシウスと直接会ったことがある者の方が少ない。

 否定する理由もなく、一気にアデライード卿の主張に飲まれていく家臣たち。



「……本当にルシウスなのか」



 だが、マルクは納得がいかなかった。


 本来であれば謁見の間に近衛師団以外、武器を持ち込むことは許されていない。当然チェックもされる。

 今回ばかりはその魔剣自体が献上品であったのだ。予め段取りがなされていたことも有り、持ち込まないわけにはいかなかった。


 特例的に許された機会の折、振るわれた凶刃。

 来訪者であるルシウスより近衛師団長である自分が先に部屋を出された一連の流れ。


 さらに言えば、貴族の遺体は式が食べるため残らない。

 そのため暗殺や事故などにより貴族が死んだ場合、自ら姿を消した場合や囚われている場合などと区別がつかない事がほとんどである。


 暗殺されたことが、直ちに判別されるケースは多くはないのだ。


 だが、今回は明確であった。疑義の付きようがないほどに。



 どうしても、この出来すぎた状況が偶然だとは思えなかった。



「何が起きてる」



 王の護衛と騎士団を任された者としての責務。

 ルシウスと直接会話した身として、決してそんな人間ではないと、否定したい思い。


 その両者がせめぎ合い、心が激しく揺れる。


 すると頭に何かが入ってくるように感じたのだ。

 正確には植え付けられていたものが芽吹いたという方が正しいか。


 頭の中で、自分ではない声が囁き、自分ではない意識が増大していく。


 その術式には覚えがあった。



 魅了の術式。



 なぜ防魔の結界が張られたこの場で、という疑問と同時に、ディオンの姿が目に付いた。


「まさか……」


 心に作用する術式は、恐怖心や猜疑心などの動揺により掛かりやすさが変わる。

 多くの魔力を持ち、上級の式を契約しているものには掛かりづらいのだが、それでも、心の安定がある一定以上に損なわれれば作用してしまう。



 すぐさま自分の意思ではない声が、マルクの思考を覆い尽くした。

 それは、支配と言って良いものであった。



 無言でマルクは立ち上がり、狂気を帯びた瞳でアデライードへと尋ねる。


「ルシウスは……どこへ」


「その扉から出て行ったが、おそらく塔に向かったのであろう。王都の外へ逃げる前に、所持品であるキルギスを回収するに決まっておる」


 満面の笑みを浮かべたアデライード卿に見送られながら、マルクが的確に指示を投げた。




「王都にいる騎士団全隊へ通達……王殺害の疑いによりルシウスを……捕らえる」



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 お読みいただき、ありがとうございます。


 さて、今話、作者の想定以上にお叱りの言葉をいただきました。

 

 原因はいくつかあります。

 ①説明が不足していたこと。数話の間、劣勢が続くのですが、その状況を一早く終わらせるため、本来2話分あった話を無理やり1話にまとめた結果、なぜそうなったのかが伝わらなかった。


 ②伏線として後から説明しようとしたこと。不可解な展開の一部は、この後に続く話で説明する予定だったのですが、あまりに理解しづらかった。


 ③王に対する皆さんの愛着を読み間違えていたこと。これが個人的に一番かと思います。初期から出ているキャラクターへの対応として、相応しくなかったと反省しております。


 そのうえで、ある程度冗長になったとしても、きちんと説明を添えるべきという判断に至りました。原稿から割愛した文章を戻して再投稿いたします。よければ前話からお読みください。

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