第112話 前夜

 王城の一角。


 西部の盟主アデライード卿専用の応接室は、人がひしめいていた。


 部屋の最奥には、椅子とカウチソファーが並んでいる。


 椅子に座しているのはアデライード卿。

 そして、ソファーで横になっているのは西の王候補であるディオン。


 2人の前にあるのは、西部の主力派閥であるアデライード派の貴族たちである。


 その中でも一歩進み出て、アデライード卿の眼前で平伏する人が5人ほどあった。


「我が弟ジラルド子爵の容態は?」


 5人のうち先頭にある男が、汗を拭きながら答える。

 男は呪殺ギルドの長。


 公式には認められぬ闇ギルドの一角をまとめる存在であったが、その威厳は感じられない。


「はっ。昨晩は酷く錯乱されているようでしたが、今はすべての反応が消失しております。一旦、容態は安定したというのが当ギルドの一致した見解です」


 正確には安定したのではなく、精神が擦り切れたため反応が消えた。1度、完全に0に戻された自我が、おぞましくも再構築中であることなど誰も知るよしはない。


「では解呪はいかが?」


 呪殺ギルド長がチラリと背後で平伏する4人を垣間見る。

 ギルドが抱えている解呪の術式の保持者たちは、皆、表情が固い。


「いえ、その……解明を急がしております……あらゆる角度から調査させており……」


 歯切れの悪い言葉を並べた呪殺ギルド長。対して、アデライード卿の瞳が蛇のように鋭くなる。


わらわは経過の報告を求めているのではない。結果の報告を求めておるのだ。 違いはわかるか?」


「はっ!」


 5人はこれでもかというほどに頭を下げた。

 皆、日陰者である。


 この王都における絶対権力者の不興を買えば、翌日には路地裏で骸となっているだろう。事実、何度もそうしなった者を見てきた。


「ならば答えよ。簡潔にだ」


 呪殺ギルド長が息を飲む。

 言葉を選びつつゆっくりと口を開いた。


「……解呪はまず不可能かと思われます。極めて高度な呪いで、我ら呪殺ギルド秘蔵の文献でも、あれほど難解な呪いは記録がありませぬ」


 蛇の道は蛇。

 この国で最も術式に詳しいのはオルレアンスであることは間違いない。

 だが、こと呪いだけに話を限定すれば、オルレアンス家をしのぐ一派がいた。

 古来より呪殺を生業にしてきた呪殺ギルドである。


 だが、その呪殺ギルドをもってしても、ソルがかけた呪いを解呪するには至らない。


 その判断に間違いがないことは、アデライード卿自身も理解していた。

 彼女自身、呪殺ギルドには色々と世話になりながら、今の地位に就いたのだから。



「……そうか。下がれ」

 

 アデライード卿は無表情のまま、歪む口元を隠すようにおうぎで覆う。


 5人は安堵しながら背後の人集ひとだかりへと戻った。


「して、誰か。犯人はルシウスだと思うか?」


 呼応するように、一気にアデライード派たちの貴族たちがき立つ。


「武力行使の当日に呪われたのであれば、間違いございますまい」

「だが、ルシウスはまだ砲魔と契約していないぞ。オルレアンス家の鑑定で分かっている」

「すでにオルレアンス家は実質ルシウスの家臣と成り果てているのだ」

「ならば他所の呪殺ギルドへ依頼したとは考えられぬか?」

「呪殺ギルドの面々はここにおるだろうが!」

「北部の暗殺ギルドの線はないものか?」

「北部に王都以上の呪殺者が居るというのか? 馬鹿馬鹿しい」


 それを手で制したのアデライード卿本人。


「……何らかの形でルシウスが関わっているが、呪殺者の特定は困難というのは分かった」


 紛糾する中、1人の青年が進み出る。年齢はまだ二十歳前で、穏やかさと聡明さを感じさせる容姿。

 名をシリルという。


「ルシウス卿が人形を作成したという報告がありましたが、その可能性は?」


 どっ起きた笑い声が、部屋を埋め尽くす。それは嘲笑に近いものであった。


「愚かな。人形にそれほどの力があるわけなかろう」

「全く無知というのは恐ろしい」

「現王の血筋というだけで、増長するな」


 冷静に話をしたつもりが、誰も聞く耳を持たない。

 シリルは現王の孫の1人であった。

 現王の孫という立場にありながら、四大貴族ウェシテ=ウィンザー家の盟主候補ですらない末席に位置していた。


「傀儡というだけで、始めから可能性を排除するべきではありません。ルシウス卿が犯人かどうかはさておき、1人の人間が呪われたのであれば精緻に調査するべきです」


 幼少より頭も回り、正義感が強かったためシリルは成人とほぼ時を同じくして、アデライード卿と些細ないさかいが起きた。


 だが、それが運の尽きであった。


 結果、あらゆる権限や役職を取り上げられ、閑職にまで追い込まれた。便宜上、アデライード派閥の末端に収まることで、何とか西部政治に関与できる体裁を保っているに過ぎない存在。


「シリル。そなたが我が会合に呼ばれていたとはな」


 アデライード卿はほくそ笑む。


「昨今の貴族たちの緊張はただ事ではありません。何かの前兆ではないかと思いまして、わずかな伝手を辿りました」


 アデライード卿は、シリルをこの場へ呼んだ裏切り者を探すかのように派閥の貴族たちを見回した。

 目をつけられては大変と、皆、視線を逸らすばかり。


「人形を連れたいなどというルシウスの世迷い言。理解に苦しむばかりで慮外にいたが……」


 扇を畳み、シリルとは別の場所へと狙いすますように視線を送る。


「貴公等はどう思うか?」


 アデライード卿の視線を避けるように、人集ひとだかりが割れていく。


 道を譲る者たちは皆、下卑た表情。

 本会合のメインイベントというわけである。この時にために来たという者たちも少くない。


 人垣からあぶり出されたのは、中年の男2人、女1人。

 アルカノルム商会の中核であるシジク伯爵、ラースロー子爵、ルクヴルール男爵である。


 3人ともまるで隠れるように一番後に居たのだ。


「わ、私は……その……人形ではない……かと」

「有りえませぬ。人形ごときに」

「そうですとも! 我らの砲魔ならまだしも!」


「そうか。貴公等はそう思うか」


 アデライードが嗜虐的な笑みを浮かべた。


「……ときに、ジラルド子爵が襲われた日、貴公等は何処で何をしていた?」


 3人が同時に顔を伏せた。

 一連のやり取りをアデライード派の貴族たちは、押し黙ったまま注視する。


「計画では、ルシウスが武力行使に及ぶ時、我が弟と貴公らも一緒にいるはずだった。まさかルシウスを恐れて逃げ出しておったのか?」


 鋭いアデライード卿の視線に耐えかねた、シジク伯爵が声を上げる。


「ど、どうしても……外せぬ急用が入ってしまい……」


 他の2人もここぞとばかりに、同調する。


「そうなのです。現地へ行こうとは思っていたのです」

「ジ、ジラルド子爵からは了承をもらっておりました!」


「あい、わかった」


 3人は安堵して胸をなでおろした。


「妾の命より大事な用事があれば、好きなだけそちらを優先するがよい。代わりに

 


 3人の顔が真っ青となる。まるで死刑宣告を受けたようだ。


「ご、後生です! それだけはどうかッ!」

「申し訳ございません、この通り猛省しております」

「お願いいたします! チャンスを! チャンスを下さいッ!」


 3人がすがり付くように前へ出て、絨毯じゅうたんへ額をこすり付け始めた。


「妾は相談したのではない。命令したのだ」


 許しを得るため、なおも近づこうとする3人を、アデライード卿の私兵が取り押さえる。

 それでも服を破りながらも暴れる3人は、無理やり兵に連れ出されて行った。

 廊下から響くのは、悲鳴と嘆願の言葉だけであったが誰も聞く耳など持ちはしない。


 なぜなら、皆、待ちわびていたからだ。


「空いた席には他の者をてがおう。皆、推薦を寄越すがよい、妾が思惟しいしよう。以上だ」


「「御意に」」


 アデライード派の皆々が、一斉に帰り始めた。


 甘い汁を吸える席は多くはない。


 仲間の失脚は憂慮することではなく、機会なのだ。

 派閥とはいえ、もとより仲間意識など存在しない。


 誰かが落ちる瞬間を虎視眈々こしたんたんと狙い続ける。そのためには近くにいた方が、早く席にありつけるというだけの群れであった。


 だが、その群れの首魁しゅかいは常に1人。アデライード卿である。

 彼女が意図的にそう組織したのだ。


 帰る貴族の中から1人近づいて来る者が居る。


「アデライード卿。船とは何ですか? なぜ皆それに乗りたがるのでしょうか? どうしても寓意ぐういがあると思えてなりません」


 詰め寄ったのは現王の孫シリル。


 アデライード卿の目が少しだけ大きくなる。

 率直に聞いてくる者など、今の王都にはそう多くはない。忌諱ききに触れる行為であることは明白であった。


「そなたが知る必要はないことよ」


「ですが!」


 冷たく突き放されたシリルは、なおも諦められないといった様子だ。


「くどい」


 何がそうさせるのかはアデライード卿でも測りかねているが、その図々しいほどの実直さに現王を感じてしかたがなかった。


 張り巡らせた機略きりゃくことごとく、邪魔をするあの老人の顔が浮かぶアデライード卿。

 王がもっと愚鈍であれば、西部を掌握するのに、あと10年は早くできたはずだ、と。


「国にとって何か重要な懸案ならば、祖父上、いや陛下へと沙汰を仰ぐべきかと」


 だが、目の前の青年には、まだ現王のように手管てくだも無ければ、狡猾さもない若造である。

 策略を巡らせるまでもない。


「それを決めるのはお主ではない。私だ」


 2人の視線が相対する。


 だが、2人の間には如何ともしがたい身分の差があった。

 シリルが一歩下がるしかない。


「……出過ぎた真似を」


「下がれ」


 シリルは不服そうに部屋を後にした。



 そして、私兵以外、誰もいなくなる。

 つい先程まで人がひしめいていたとは思えぬ静けさが覆う。


 アデライード卿は傍らのソファーで横になったディオンへと目をやる。

 少し息が粗い。


「首尾はどうじゃ?」


 心配そうに手を差し伸べる。


「問題ありません、母上」


 ディオンは母の手を掴み、自身の右首へといざなうように置いた。


「今が最も大事な時。フォルネウスの魅了の術式を切らしてはならぬ」


 アデライードはディオンの首筋を強く抑え始めた。


「分かって……おります」


「それでこそ王の器よ、ディオン」


「は……い」


 なおも、強く右の喉元のどもとを押さえるアデライード卿。

 まるで首を締めているかのようだ。


「……母……上……はぁ……はぁ……」


 ディオンの息が浅くなってきた時、アデライード卿が首元から手を離した。


「機は満ちた。ディオンよ、お前は王となるのだ。誰にも捨てられることのない高貴な存在に」


「……分かって……おります」 


 ディオンは息を飲み込みながらも身を母へゆだね、アデライード卿はより掛かる息子の頭を優しく撫でる。

 


 そして、耳元で囁いた。



「明日、決行する」

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