第110話 人は変われる?

「おい。ここは私の私室だ。さっさと出ていけ」


 ジラルド子爵の言葉を無視して、美しい少女は迷わず進み続ける。


「兵はいないのか! 誰でもいい! この女をつまみ出せ」


 声に反応する兵はいない。

 無論、ジラルド子爵自身が、虚脱の呪いにかけたからである。

 大抵の場合、術者自身でも呪いを解くことは出来ない。


 呪いとは、渡るものだからだ。


 放たれた呪いは、それ自体が術者とは別の存在として、呪われた者を蝕み続けるのだ。


 ソルは部屋の中央で止まった。

 肩や胴に絡みついた数本の鎖がジャラジャラと音を立てて、床へと滑り落ちる。


「ジラルド様の言葉を無視するな」


 教師の1人が膝に手をついて、立ち上がった。


「話を聞いているのか!?」


 尚も反応しないソルへと詰め寄り、腕にかかる銀の髪ごと掴む。

 直後、教師が凍りついたかのように、不自然に硬直したのだ。


「何をしている? 摘み出――」


 ジラルド子爵が命令しようとしたとき。


「ギュわわあぁぐアアアアッッッ!!!」


 教師がのたうち回り始めた。

 それはまるで断末魔の叫び声である。


 耳にまとわりつくほどの異様な絶叫により、3人の酔いが一気に醒めた。

 尋常ではない。


 ジラルド子爵は目を見開き、少女の顔をまじまじと見つめた。

 まるで生気が感じられない冷たい磁器のような肌だ。


 そして、宝石のような瞳とジラルド子爵の視線が相対した。


 瞬時、焼け付く魔力が悪寒となって背筋を駆け抜ける。


 昔、一度だけマルク近衛師団長の特級の式に睨まれたことがある。

 そのときと同じ戦慄を覚えた。


「ひっ」


 受け入れがたい現実から目を逸らすように、目が泳ぐ。


「なんだ……これは!?」


 漂った視線の先のいずれにも、銀色の何かがあった。

 壁、床、天井と、部屋の至る所を這っていた。


 その異質な銀色の元凶は、考えるまでもない。


 ――髪


 再び視線を黒いドレスを着た少女へと戻すと、銀色の髪がうねっている。


 少女の髪が伸びている。

 床へと到達した銀色の髪が、床を這い、部屋全体を侵食するように覆っていく。


 間違いなく人外。


 そう確信したジラルド子爵は、最初に気を失った教師へを確認した。

 銀の髪が絡みついたまま、ビクビクと丘へ上げた死にかけの魚のように、動き続ける姿があった。


 だが、外傷があるようには見えない。


「毒……いや、呪いかッ!」


 確信したジラルド子爵が声を荒らげた。


「闇盲の呪いをかけろ! 呪いだけだ! 絶対に直接当てるなよ!?」


 戸惑うセクタスと教師。


「いや、ですが」

「そう言われましても……」


「早くしろッ」


 あまりに切迫した様子にセクタスはすぐさま右手から、黒い烏を放つ。

 頭上を飛翔したカラスが撒き散らした羽に当たると、すぐさまジラルド子爵の視界は闇に覆われた。


「ふう……これでもう呪われない」


 ジラルド子爵やセクタス達が、呪いをもたらす砲魔と契約するのには理由がある。

 呪いを使う者達は、その恐ろしさを誰よりも知っている。

 ゆえに対策を講じる。



 呪われている者は、それ以上、呪われない。



 毒を以て毒を制すのだ。

 塔の呪いである"代償"のような例外はあるが、解呪の術式は珍しく、多くを配備できない以上、呪われる前に自分に呪いを掛けるというのは現実的な対抗手段であった。

 

「あとはアデル姉様へお願いして、解呪できる者を手配しても貰えば――」


 安堵を浮かべたほほに、何かが触れた。

 柔らかく、嫋々じょうじょうたる風のように感じる。


 ――髪……落ち着け、問題ない


 直後、視界を覆った闇に光が差した。

 そして次々と、白銀の光によって闇がむしばまれていくのだ。



 ――呪いの強制上書きだとッ!?



 瞬く間に、失われたはずの視覚が戻ってしまった。

 すなわち、それは自分が呪われた事を意味している。


 恐る恐る周囲を探るジラルド子爵。


 そこにあったのは薄暗い太陽だった。

 日蝕により太陽と月が重なり合い、光と闇が共存しているかのようだ。


 少女の声がどこからともなく聞こえてくる。



「我が主と……同じ……選択を。そうすれば……出られる」



 少女の声が途切れると、深い森の中で目覚めた。

 空には月に被さられた太陽があり、辺りは夜のように暗い。


「ここはどこだ?」


 上体を起こすと同時に「グオォォオオオッ」という獣の雄叫び声が森に響いた。


「何の声だッ!? 誰か答えろ!」


 急いで立ち上がったジラルド子爵の近くに、人がいる事に気がついた。


 けが人を背負った貴族の男と、貴族の女。

 怯える幼い双子に、メイド服を着た侍女。


「なんだ……お前らは…………ンッ!?」


 貴族の男と女はジラルド子爵の両親であった。

 何年も前に暗殺されたはずの両親。


「父上、母上!?」


 両親を大きく見上げたことに違和感を覚えたジラルド子爵。


 少し遅れて、自分の背丈がひどく縮んだことに気がついた。

 手足は細く短く、頭が異様に膨らんだようで、全く体が動かない。


 ――子供に……戻ってる……のか


 3、4才ほどだろう。


「何が、どうなってる」


 よく見ると侍女も見知った者。今の今まで存在も忘れていた。

 子どもの頃、悪戯により素っ裸で第2層へと閉じ込めた侍女だ。

 結局、第1層へ戻って来ることはなかった。


 幼い双子もどこかで見たことがあるキルギス族だ。どこで見たのかははっきりと思い出せない。


 混乱の中、森の暗闇の中から何かが現れた。


 灰色の肌に、大きなかぎ鼻。

 裂けた口に牙が垣間見える醜悪な魔物。


「ゴブリンッ!」


 ジラルド子爵は我先に逃げ出した。

 子供に戻った自分に出来ることはないと、両親や侍女、キルギスの民を置き去りにして。


 真っ黒い森へと身を隠そうと茂みへと飛び込んだ。


 だが、草むらを分けた先にいたのは、醜悪な笑みを浮かべた1体のゴブリンだった。

 ゴブリンの手にした石斧が脳天へと振り下ろされる。


「うわああああぁああっ!!!」



 激痛と共に、意識が飛ぶ。



 死んだ。間違いなく。



 再び視界が、銀の光に包まれた。

 目を開けると視界に飛び込んだのは、深い森だった。


 先ほどと全く同じ光景である。


 そして、同じように底冷えする雄叫び声が鳴り響く。

 周囲には、けが人を背負った父と母、侍女と汚い奴隷ども。


「何だ、これはッ!?」


 すぐさま現れたのはゴブリンの群れ。


 自身の砲魔を放とうと右手をかざすが何もでない。

 式の力を全く感じない。


 何かないかと辺りを探ると、すぐ足元に一振りの剣が落ちていることに気がついた。


「剣だ! 剣、剣ッ!」


 剣を構えようとするが、体が小さすぎて持ち上げる事ができない。


「クソッ! クソッ! クソッ!」


 鞘を引き抜くのに手間取っていると、突然、臭気を感じた。

 横を振り向くと、ゴブリンが大きく口を開けながら笑っている。


 そして、錆た槍が自身の胸に突き刺さる。


「うわああああぁああっ!!!」



 激痛と共に、意識が飛ぶ。



 またまた銀色の光に包まれ、目を開けると深い森の中であった。



「いったい……なにが」



 3度目。

 父の背中に隠れたが、引きりだされ、木の棒で撲殺。



 4度目。

 双子の子供を身代わりにしたが、斧で腹を斬られて出血死。



 5度目。

 尻から槍で貫かれ即死。



 6度目、7度目、8度目…………………

 あらゆる方法で殺され続けるという悪夢。





 そして、68度目。


 無心に腕と足を振って走るジラルド子爵。


「はっ はっ はっ ひっい はっ 」


 だが、やはり3才の足では逃げ切れない。

 あっさりと足首を掴まれ、ゴブリンに宙吊りにされた。

 そのままゴブリンはジラルド子爵を振り回して、もてあそびだした。


「ひぃいいやぁああッッ!!」


 結果、道端の石に頭を強打し、脳漿のうしょうをぶち撒けながら死亡。



 再び、目を開けた先は、深い森の中であった。



「は、はははっ、はひはぅ、ははっ、ひひっ」



 ジルドラ子爵は壊れたように、ただよだれを垂らしながら、笑い始めた。

 何の抵抗もせず、ゴブリンたちになぶられ続ける。



「少しずつ……良くなってる……自我を……再構築して……」



 幻聴だろうか。

 どこからともなく少女の声が聞こえてくる。


「ああっ……」


 1番最初に聞いた時は、苛立ちしか覚えなかった。次に聞いたときは恐怖だ。


 だが、今は女神の慈愛のように感じてならない。


 閉ざされた空間。

 限られた情報。

 死と暴力により満たされた世界。



 繰り返され続ける存在の否定。



 その中で、唯一あった肯定。

 否が応でも己の意識が侵蝕されていく。



 すがりつく瞳に映るのは黒い太陽であった。


「ふふはっ、ああ、き、綺麗? な日蝕だ、ひひぃ」


 それはヴァンサン=ウェシテ=ジラルドという名であった者。

 もはや遠い過去のように思う。

 かつて手中にあった栄華が一瞬だけ頭をよぎるが、それもすぐに黒く塗りつぶさた。


「はひっ、どうでも? いっ、いいか」


 棍棒を脳天に叩き込まれ、頭蓋骨を陥没させながら、激しく笑った。

 ただただ可笑おかしく、可笑おかしくて堪らない。



 同じ笑い声が、塔の中にある城でも、木霊していた。


 虚空を見つめて1人で大笑いするジラルド子爵。


 隣にいるセクタスは糸が切れた人形のように力なく崩れていた。すべての思考を放棄したように。


 2人の教師は笑ったかと思うと、次の瞬間には涙をボロボロと流す。そして、泣きながら怒り始める。その後またも笑い出した。



 その4人を観察するように眺める傀儡ソル。



「人は……面白い……それぞれ違う……変わり方」



 ソルはいびつであった。


 ルシウスと余一の記憶を持つが、人間の感情は持ち合わせていない人形ヒトガタ


 それでもソルは信じていた。主ルシウスと同じように。

 人は変われる、と。


 だからこそ、ソルは呪った。

 領民を思いやれる貴族になってもらうため、純然たる善意で呪いを掛けたのだ。


 鑑定の儀の帰り道、かつてルシウスが立派な男爵となることを決意した、その瞬間を続く呪いを。


 無限に続く死の先に、何かを掴み取り、人は変われるはず、と。


 もしも目覚めた時には、万難を乗り越え、誰よりも痛みがわかる人間になっていることだろう。そう、誰よりも痛みを身をもって知った人間に。


 目覚めるのは5分後かもしれない。50年後かもしれない。もしかすると生を終えるまで、眠り続けるのかもしれない。


「早く……目覚めて」


 それは強力な呪いであった。


 妖精王の魔石を持ち、特級の偽核と繋がる存在。

 呪いの化現けげんと言っても過言ではないソルの術式は、感覚を偽り、幻惑を見せる――


 などという低俗なものではない。


 精神と肉体を強制的に切り離し、精神だけを偽りの世界へ幽閉するという呪いだ。


 ゆえに、当人にとっては起きたことすべてが、紛れも無い事実である。

 経験も、感情も、痛みも、死も、すべて。



 無窮誣告界むきゅうぶこくかいの術式とソルは名付けた。



 本人へ解呪方法を開示した後に掛ける呪いは、解呪の術式でも解くことはできない。


 唯一の解呪方法は、幼い双子の領民を助ける為、ゴブリンと刺し違えようとし、宝剣を用いてゴブリンを殲滅させることである。



 だが、ソルは理解していなかった。


 主ルシウスの執念がそもそも異常であることを。

 主ルシウスの魔力量は人より遥かに多く、宝剣の光を発動させ易かったことを。

 普通の人間は、他人を助けるためにゴブリンと刺し違えようとなどしないことを。


 遠い将来、目の前の4人が、自らを犠牲にして、キルギスを助けるかもしれない時。


 その人格は果たして、誰であろうか。


「死のない世界から……知恵の果実答えを掴み……取って。そうすれば……人は……変われる」



 感情を持たぬ呪い人形ソルは、壊れた4人に言葉を残して、館から消えた。

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