第109話 人は変われる

 ルシウスは邪竜を顕現させて、背へとまたがった。


 邪竜に反応し、周囲の砲魔たちの警戒度が上がったのか、魔力がひりついているように感じる。


「治癒はしておきました。では、後ほど」


 3つ首の邪竜は、空へと飛び上がる。


「待てッ! 待てッ! 待てッ! 」


 四人が一斉に両手を上げて猛アピールしてくる。


「今までのことは謝るッ! 賤民どもにも、少しは配慮しようではないか!」

「アデライード卿の命令に逆らえなかっただけだ!」

「それにディオン殿下からも念押しがあった! わかってくれ!」

「同郷の誼だろう!? な!?」


 この後に及んで、なお心にも無いことを口にし続ける者たち。


「あまり岸に近づかない方がいいと思いますよ」


 煮えたぎる岩漿の中から、赤い刃がスッと海面の上にせり出した。

 刃の下を泳ぐ巨大な魚影がある。


 第4層のマグマに住む鮫に似た砲魔で、2級の中でも上位の力を持つ。


 それが2体、3体と集まり小島の周囲を泳ぎ始めた。

 人の声と匂いに釣られて来たのだろう。



「「「ひっ」」」



 ジラルド子爵は這いずりながら、小島の中心へと行き、真ん中の岩へとしがみついた。


「お、お前ら! 何とかしろッ!」


 島の大きさは半径5メートルほど。

 大の男が1人中心でうずくまれば、他の人間はその分、マグマの海側へと押し出されることとなる。


 3人がお互いの顔を見合った。

 そして、1人に視線が注がれる。


「セクタス……お前だ、お前が行け」

「確かに! この中で北部ノリスはセクタスだけ」


 2人の教師がセクタスの背中を押して、海側へと押しやる。


「ふざけるな! 我がゲーデン家より多額の金が支払われているはずだ! 教師としての矜持を見せろ」

「金で命が買えるか」

「そうだ」


 少し離れた場所にある岩陰で成り行きを見守るルシウス。


 目眩がしそうだ。


 まさか邪竜の気配により気がたっている砲魔たちを前に、押し付け合いが始まるとは想定外である。


 ――この状況でも……まだ変わらない


 今までもルシウスへ敵意を露わにしてきた者は多くいた。


 四大貴族の令嬢オリビアは北部を救う大義のもとに、敵対心を燃やした。


 ホノギュラ領のオマリー伯爵は霊廟に固執し、全てを蔑ろにした。


 騎士ブルーセンは壊れていく自身とルシウスを重ね、命を賭して資質を試した。


 旅団長シャオリアは死した騎士の家族や友人たちの消化しきれない思いを引受け、ルシウスへ挑んだ。


 南部の王候補ルーシャルは南部の民を救うために、ルシウスを手に掛けようとした。


 皆、それぞれの思いがあったのだ。

 たとえルシウスには理解できない思いであったとしても、譲れない、守りたい、何かが。


 だが、ルシウスは今まで以上に困惑していた。


「私は子爵だぞ!? 西部の盟主アデライードの実弟にして、アルカノルム商会の一員。さらに次の王ディオンの叔父となる男だ! こんな所で死ねるか!」

「そうだ! 北部ノリスのお前が行け」

「ふざけるな! 俺も将来は子爵家を継ぐのだ! 庶子のお前らとは立場が違う」

「庶子とはいえ、西部の貴族だ! 他州といっしょにするな」


 ――この人たちが守りたいものは、何なんだ……


 我先に小島の中心へと向かう4人が掴み合いを始め、お互いの足を引きずりあう。

 結果、4人で煮えたぎる溶岩がある方へ絡み合って転げていく。


 そこへ、ここぞとばかりに忍び寄る影があった。

 他の鮫よりも2回りは大きな背びれが、赤い海面に覗かせた。


 ――マグマの主か


 島に目をやると、なおも4人は罵り合いに夢中だ。


 危険と判断し、ルシウスは声も出さずに邪竜へと命じる。

 邪竜が寝そべるように3つの頭を前脚に置いたまま軽く息を吹くと、炎の塊が放たれた。


 魔力と灼熱の塊がマグマの海を削り、大鮫を焼き捨てた。

 溶岩の中で破裂した炎が吹き上がり、巨大な火柱を立てる。


 だが、それでも4人は誰が中心に居座るかの口論に興じており、気がついても居ない。


「今の状況を理解していないのか?」


 そんな疑問を持ちながら見守り続けるルシウス。



 ジラルド子爵は2級の冷気系の術式。

 残りの3人は3級の速攻型の術式。


 ジラルド子爵がマグマを冷やして足場を作り、3人が鮫の襲来に備えれば、十分に対処できるはず。

 わざわざ、そういう場所を選んだ。


 小島からは分かりにくいが、下へ降りる魔法陣もそう遠くない場所にある。4人で協力して探せば、早ければ2時間、遅くとも半日程度で見つけられるだろう。


 命に関わるような砲魔はルシウスが裏で対処するため、自分の足で動きさえすれば降りられる。


 ルシウスの目的は復讐でも、私刑でもない。

 そもそも彼らが死に追いやって来た者たちの名すら知らないルシウスに、そんな資格は有りはしない。


 目的は、キルギス族たちの置かれた状況を体験させることで、心を入れ替えてもらうこと。


 メラニアを救出するために実力行使が避けられないのであれば、これを契機にキルギス族の為に、無理やりにでも彼らの事を理解させる機会も設けたのだ。




 そんな彼らを監視し続け、額から流れる汗がシャツの首回りをすべて濡らした頃。


 気がつけば2時間が経っていた。


 ――なんで島から出ようとしないんだ……


 4人は小島から一歩もでないまま、熱気に当てられ、地面へと無言で座り込んでいた。もはや言い争う体力も残っていないのだろうが、違うことに体力を使って欲しかった。


 これではキルギス族たちの苦労などほとんど体験出来ていない。


「申し訳ありません。ルシウス様の傀儡ソルはまだ見つかっておりません」


 背後から音もなく現れたのはメラニア。


 囚われていた彼女を救出後、ルシウスがジラルド子爵たちを見守っている間に城の探索をお願いしていた。


 ソルの存在は魔力の繋がりにより感じとれるが、場所や状況までは分からない。

 魔力の糸が1本だけのためだろう。


「大変な事があったばかりなのに、ありがとう」


「いえ、なにも。おそらく城のどこかに拘束されているとは思うのですが、塔の建物を使った地下室が想像以上に複雑なため時間がかかっています」


「心配だな。ソルは解呪の術式だから戦闘力は無いだろうし。それに兵士たちの呪いも解いてあげられない」


 ジラルド子爵は愚かなことにも、自らの手勢であった兵たちに虚脱の呪いをかけた。

 今彼らは城の周りを、虚ろな瞳で彷徨さまようだけの存在となっている。


 ルシウスは離れた場所にいる4人へと視線を戻す。


 相変わらず何もしていない。


「ルシウス様……もういいです」


「彼らは罵り合う以外、まだ何もしていない。本当に何も」


 厳しい目で睨みつけるルシウス。


「これ以上やれば、貴方の名誉が傷つきます」


 確かに、このままマグマの熱の中に放置すれば脱水症状で死んでしまうかもしれない。

 そうなれば、貴族同士の小競り合いどころでは無くなってしまう。


 ルシウスは諦めとともに、大きくため息をついた。


「……わかった、陛下へ謝罪する際、キルギス族の待遇改善と優秀な副官の派遣をお願いする。少なくとも無意味に人が死なないようにさせないと」


 王には頼らないと見栄を切ったばかりではあるが、恥を忍んで、頭を下げなくては。

 それでも、罪の無い命が助かるのであれば、貴族同士の悶着の仲裁などよりは余程価値がある頭の使い方か。


「心から感謝します」


 メラニアは深く一礼した。


「時間はかかるかもしれないけど変わるように働きかける。それでも、変わらないなら俺の領へ来ればいい。死ぬよりは余程良いから」


「はい」


 ルシウスは仕方なく再び邪竜を顕現させ、メラニアと共に4人の上空へと飛び立った。


「ルシウス卿………信じていたぞ」

「熱い……喉が乾いて……仕方がない」

「水を……水」


 ジラルド子爵が朦朧もうろうとする中、邪竜の背に乗ったメラニアが視界に入ったようだ。


「お前は……人……形遣い……私を助けろ……これは主の命令だ」


 つい数時間前まで、自分の都合で処刑しようとしていた相手に、自らの命を助けろと命令することの矛盾に気がついた様子はない。


「水です」


 持参した水がはいった革袋を投げた。


 すぐさまジラルド子爵が手に取り、一秒を惜しみながら、水を貪るように飲む。

 他の3人も順番を待つように血走った眼で水を凝視する。


 しかし、ジラルド子爵は水を渡さす、頭からかぶったのだ。


「ふう……生き返る」


 3人は「なッ」と一瞬だけ唖然としたが、我先にと、こぼれ落ちる水を飲もうと大口をあけた。


 ――分け合おうともしないのか


 1人が水をむさぼるだけでは飽き足りず浴びるほど浪費する。それ以外の他の者は流れ落ちるおこぼれをすすることに必死となる。


 その様子が西部を表しているように思えてならない。

 すべてを平等にしろとは思わないが、偏りが過ぎる。


「……なぜ島の外へ行かないのですか」


「こんな所で無闇に動けば、遭難して死んでしまうではないか!」


「座っていても同じです。ここは貴方の領なのですよね? 少しくらいは土地勘があるのでは?」


「あるわけないだろう。なぜこの私が魔物の領域などを知らねばならんのだ。そんな事より、早く助けてくれ!」


 ジラルド子爵が再び手をかざす。

 他の3人も少しの水を得て、再び助けを求め始めた。


「金ならやる、助けてくれ」

「助けてくれたら、今回のことは黙っておいてやる」

「ここは地獄だ! 早くッ!」


 その地獄を管理するべき貴族が、他者に困難を押し付けていることに疑問は持たないのだろうか。


「助けますが、特に何もしていただかなくて結構。私は自分の足で顛末てんまつを伝えに司法省に赴きます。その代わり、キルギスの民への処遇を改めてください」


「分かった! 約束する」


 ジラルド子爵が満面の笑みを浮かべた。


「本当ですね?」


「ああ! もちろんだとも!」


 分かっている。

 その場しのぎの出まかせであることくらい。

 本気の人間には、もっと気迫にも似た空気が宿るものだが、それが皆無だ。


 ルシウスの表情は悲しさに染まっていた。



 ◆ ◆ ◆



 その夜。

 ジラルド子爵の館では宴会が催されたていた。


 酒を煽っている者たちが4人。


 ジラルド子爵とセクタス、2人の教師たちだ。

 セクタスも未成年ながら酒をあおる。


「……あのルシウスの顔を見たか!? 世の中が終わったような顔をしていたな。ガハハっ」


 ジラルド子爵が、昼間の乾きを塗りつぶすように酒を一気に飲み干した。


「何が『本当ですね?』だ! そんな約束、誰が守るか! あのガキが【狩人】に狩られる前に、人形遣い共の頭を10個ほど送りつけてやろう。さぞ悔しがるだろうな」


「さすがジラルド子爵の奸計。やはり貴族に必要なのもは魔力でも式でもなく、ここですな」


 ゲーデンの息子セクタスが自身の頭をつつく。



 ジャラ……



「その通り! お前は北部ノリスだというのによく分かっているな」


 ジラルド子爵が気分良さそうに指を差す。

 昼間の罵り合いなど嘘のように笑い合う4人。


「はっ! 父から西部へ忠誠を誓うべきと言われております」



 ジャラ……



「西部ではなく、私に、だろ?」


「はい。その通りです」


 今回、姉アデライード卿に指示された事を完璧にこなした。


 姉が今まで謀略を違えたことなどない。


 キルギスの娘に塔を案内させた後、その娘に重罪を負わせる。

 罪状は何でもよかった。ただ首をねれば、ルシウスは必ず実力行使にでるという姉の言葉に従ったまで。


 そして、すべてその通りとなった。

 違いがあるとすれば、首をねる前にルシウスが動いたことであるが、誤差だろう。



 ジャラ……



 

 必ずその先にある計画も上手くいく。


 結果、甥のディオンが王位を継承することは確定的だ。

 そうなれば自分は王の叔父として、名実ともにさらなる権力を得ることができる。


「まさしく姉上は我らの女神よ」



 ジャラ……



 塔に咲いた薔薇と呼ばれ、絶世の美女として名をはせた姉アデライードは、現王の弟の第3夫人となった。


 すぐさま王の弟の寵愛を我がものとし、着々と手管を広げていき、裏で四大貴族を操りながら、政敵たちを蹴り落とし続けた。


 姉に目を付けられれば、死か、閑職かの2択とすら囁かれ、皆が恐れを成すまでに、さほど時間はかかりはしなかった。

 そして、王の弟が不審死で没した後、四大貴族の血筋ではない姉が四大貴族の長に推挙されるに至る。



 ジャラ……



「王国が帝国の属国となった後、王を輩出した血筋として私は伯爵。いや、大伯爵となる。こんな魔物がうろつく、賤民どもが居る場所の管理ではなく、私にふさわしい輝かしい地位を得るのだ」


 酒坏を掲げるジラルド子爵。

 セクタスや教師たちが、呼応するように盃を重ねた。



 ジャラ……



「おい。さっきから何か引きずる様な音がしないか?」


「そうですかな?」

「そういえば、確かにしておりますな」

「私も少し気になっておりました」



 4人が気にし始めた時、広間の扉がスッと静かに開く。


 扉の先にいた者。



「……女?」



 見たことの無い装飾過多な黒いドレスをまとった少女が立っていた。

 人とは思えぬほど美しい顔立ちの小柄な少女。


 だが、その容姿以上に目を奪われたものがある。


 全身に巻きついた太い鎖だ。


「あれは魔物の拘束具か?」 


 遺物として稀に見つかるもので、魔力の流れを歪め、術式の行使を阻害する特殊な効果がある上に、鉄鋼とは比べものにならないほど硬い素材で作られている。


 完全に捕縛すれば2級の魔物ですら拘束できると言われているほどである。



 だが、その鎖は無惨に引きちぎられていた。



「誰だ、お前?」


 ジラルド子爵が尋ねる。



「私は……ソル。人は……変われる……」



 美しい少女が無機質な笑みを浮かべた。

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