第108話 覚悟

 朝、ルシウスは宿で手紙を読んでいた。


 手紙の差出人はジラルド子爵。


 一昨日の夜にメラニアが連行されて、すぐに質問状と抗議文を送った。

 だが、今朝、届いた返事は様々な言葉で飾られていたが、一言で言えば。


「よそ者は黙ってろ、か」


 不忠罪は間違いなく死罪である。争点があるとしたら、何親等の家族まで死刑になるかだ。


 手紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱へと捨てる。


「どうしたの?」


「ああ、母さん」


 母エミリーが心配そうにルシウスの肩に手を乗せた。


「母さん……何で人は手を取り合えないんだろうな」


 ドワーフは虐げられていた。キルギスの民もそうだ。

 ルーシャルは南部を守ると言って、ルシウスへと刃を向けた。

 西部の貴族は自身たちの地位と権力を笠に傍若無人。

 そして、帝国は侵攻を進め、世界を脅かしている。


 母エミリーは困ったように微笑む。


「……弱いからよ」


「弱い?」


「そうよ。だから自分と自分の大事なものを守りたいのよ」


 ジラルド子爵達がキルギスの民を虐げていることが守ることに繋がるのだろうか。


「守る、という言葉はとても便利な言葉なの。『大事なもの』と『それ以外のもの』に境界線を簡単に引くことができるもの」


「線を引く……」


「そうよ。だけど誰かが切り捨てようとしているものは、誰かにとっては守りたいものかもしれない。私がルシウスを何があっても守りたいと思っているように」


 母エミリーがルシウスの頭を撫でる。

 幼い日、母の手が大好きだった。母の優しさに触れる度、貴族として立派になろうと思えた。父と母の期待に応えたかった。


「ルシウス。迷うなら貴方が守ってあげたら? 誰かの大事なものを。貴方は父さんに似て強いのだから、きっと誰より沢山のものを守れるはずよ」


 ルシウスは目を瞑る。


「……そうする」


 意を決したように1人立ち上がり、ダイニングに置かれた3本の剣を手に取った。


 そうして向かった先は王城。


 近衛師団長マルク経由で話を通してもらった相手は現王である。

 一国の主にして、万民の主君へと約束もなく、いきなり押しかけるというのは無礼極まりない。


 だが、今、時間がない。

 3時間ほど城で待機し、通された場所は王の私室の前だ。


「失礼いたします」


「入るがよい」


 ルシウスは躊躇いなく扉を開け、部屋へと足を踏み入れた。


 最初に意識を持っていかれたのは部屋である。

 ベッドと机と数脚の椅子がある程度で、ほとんど装飾品もなく、王の私室とは思えないほどに質素だったのだ。

 それはルシウスの私室と大差ないほど。


「驚いたか? 皆、初めて余の部屋に来た時は同じ顔をするものよ」


 椅子に腰掛けた王が、悪戯好きな笑みを浮かべている。


「いえ、そんなことは」


 ルシウスは頭を下げる。


「よい、ここには余とお主しか居らぬ」


「はっ」


「王らしく飾り立てたときもあったのだが、今のほうが落ち着くのだ。もともと王座に就く前は、幼少からずっと冷遇されていたからな」


 しわを寄せて快活に笑う。

 そのような話を聞いたことがあるが、今日はどうしても伝えたいことがあり時間を割いてもらったのだ。時間が惜しい。


「今日はご報告があり、お時間をいただきました」


「聞いておる、ジラルド子爵とのことであろう?」


「はい」


「余に仲裁を頼みにきたと。さすがのルシウスも、今回ばかりはお手上げか」


 息を吐きながら、王は椅子の背もたれへと深く腰を預けた。

 貴族同士のいざこざの仲裁の依頼など、よくあることなのだろう。

 なにぶん気位が高く、式の力を持つ者同士である。


「いえ、仲裁のお願いではなく、謝罪に参りました」


 ルシウスは一層頭を深く下げた。


「謝罪?」


 王の眼に少しの興味が宿る。

 前かがみとなり、ルシウスの目を真っ直ぐと見つめ始めた。


「これからジラルド子爵と事を構えたいと思います。無論、死人が出るようなことはいたしません」


「……分かっておるとは思うが、お主の方が分が悪い。正面から衝突すれば、お主の方が損害を被るぞ?」


「存じております」


「ならば、もっと余を頼ればよいものを。なぜ、いつも主は余を頼らぬ?」


 ルシウスは王の視線を見返した。


「自分が、自分であり続けるためです」


「どういうことだ?」


「人は弱いのです。強者にすがることに慣れれば、いつしか他者に全てを委ねるようになります」


「時と場合によるだろう。ときには大勢たいせいに身を委ねるのも政治よ」


「1度、2度ならば、そうでしょう。ですが、3度、4度、5度と続けば気がついてしまうのです。自分で解決するよりも、強者に頼った方が楽で、確実だと」


 王の視線が厳しいものとなる。

 捉えようによっては王権の否定とも取れる発言である。


「結果、強者に依存していきます。守りたかったものよりも、強者との関係性維持の方が重要となっていく。私はそれが何よりも恐ろしいのです」


 強者は人に限らない。

 血筋でも、社会的地位でも、神でも、歴史でも、何でもよい。

 自我を保つ根拠を、己以外のものに置き換えることができるのであれば。


 前世の両親がまさにそうであった。

 旧華族であった血筋に自身の価値を見い出そうとした結果、血筋を誰よりも崇拝することとなった。


 己の価値を高める為に自分以外のモノにすがったはずが、最後はその奴隷と成り果てるなど、世にありふれ過ぎている。


「それは本心か?」


 王はルシウスを強い視線で見据えた。

 まるで獰猛な魔物に睨まれたかのような威圧である。

 だが、ルシウスは真っ直ぐと視線をそらさない。


「はい。ですから謝罪のため、陛下よりいただいた魔剣を返上したいと思います」


 ルシウスは片膝を付き、持参した3本の剣を王へと差し出した。

 その剣とルシウスの姿を交互に見つめる王。



 すると「はははっ」と腹を抱えて大笑いし始めたのだ。



「陛下?」


「ああぁ、すまぬなっ!」


 尚も笑いが収まらない王が手で待ってくれと制した。


「だが、おかしくて堪らぬのだ。まさか余が王として最も苦心してきたことを、まだ成人もしておらぬ男爵があっさりと言い切ってしまうのだからな」


「陛下も?」


「ああ、当然だ。王が誰にすがるというのだ? 東の戦帝かあるいは南の教皇か。それは王自ら国を捨てると口にするのと同義ぞ」


 笑いを浮かべながらも、王の目には長年の苦労がこもっているように感じる。


「故に王は誰にもすがってはならぬ。自らの足で国を背負うのが王。本来、選王戦による領地運営とは、その素質を見定めるためでもあるのだが、派閥争いにしたがる者が多いのだ。後ろ盾なくば、自らの足で立てぬ者が、国を背負えるわけもなかろうに」


 王は誰も居ない天井を見上げる。

 自分の過去を思い起こしているのだろうか。


「そこまで覚悟が決まっているのなら、余から言うことはない。事が済んでから魔剣を返しに来るがよい」


「ありがとうございます」


 王がルシウスへと目配せする。


「心配するな。預かるだけだ。なにか理由を付けてお主に返す」


 ルシウスは姿勢を正し、3本の剣を腰と背へと戻す。


「……のう、ルシウス」


「はい」


「信じてもらえぬかもしれぬが、西部の貴族たちも始めからだったわけではないのだ。我が義妹のアデル……アデライード卿も若き頃は、国の為、民の為に尽力してくれていた」


 信じ難いが、王の言葉に嘘はないのだろう。


「余が長く生き過ぎたのだ。権力の中枢に長く浸りすぎた西部の貴族たちは腐敗し、抑えが効かなくなりつつある。最近では要職の者ですら他国と内通しているという噂も漏れ聞こえてくるほどだ。もはや……戻ることは出来んだろうな……残念なことに」


 王は仄暗い感情をはらんだ瞳を浮かべた。

 ルシウスの頭に後悔、そんな言葉がよぎる。


「人は変われます」


 ルシウス自身がそうだった。


「お主は真に、ルシウスよな。これからも国を頼む」


「……承知しました」


 ルシウスは深く叩頭し、王の居室を後にした。




 そして、その足で向かったのは塔。


 ルシウスは、全速力で王都の混み合った道を駆け抜ける。

 目指すは、塔の中にあるジラルド子爵の屋敷。


 王城は塔により掛かるように作れており、ルシウスの足であれば1時間もかからずに塔の入口へとたどり着く。

 巨大な門をくぐり、いつもの中庭へと抜ける。


 入るなり、昨日まで目にしていなかったものが目に飛び込んだ。


 ――私兵か


 中庭に居たのは数十人を超えるジラルド子爵の兵。

 皆、屋敷の出入り口を固めるように陣取っていた。


 おそらくルシウスの来訪を予期しての行動だろう。


「お止まり下さい。ルシウス卿」


 兵の1人が声を上げる。

 今更、言葉で足を緩めるはずがない。


「……ジラルド子爵との面会を」


「我が主から1人も通すなと言われております。その……」


 兵が言い淀む。


「人形使いの娘とその家族の首をねるまでは、と」


 ルシウスの膨大な魔力が一気に周囲に広がった。

 それも怒りが込められた魔力だ。


 兵たちの足が一歩どころではなく、背後へと数歩、下がる。

 中には逃げ始める兵もあった。


 その時、屋敷の扉が開いた。

 中から出てきたのはジラルド子爵、セクタスとその家庭教師たちであった。

 魔力を感知して現れたのか。


「おやおや、ルシウス卿も見に来られたのですか? 罪人の処刑を」


「何故こんな馬鹿げた真似を?」


「はて? 我が領の法に基づき適切な執行をしているけだが? ときに、ルシウス卿。他領の領主権限を著しく犯しているという認識はありますかな?」


 ジラルド子爵やセクタスが笑みを浮かべる。

 まるで挑発しているようだ。


 わずかな私兵と数人の貴族でルシウスに勝てないことは、相手もよくわかっているはず。


 ならば、目的は必然と集約されていく。


 ――俺に手を出させるのが目的か


 度重なる嫌がらせに反発したルシウスへ、罪を負わせたいのだろう。


 信頼の失墜を狙っているのか、王からの覚えを悪くしたいのか。

 そんなことは、どうでもよい。

 むしろ、そのどうでもよいことに他者の、領民の、命を捧げようとしていることに反吐が出る。


「メラニアは、何一つ罪を犯していない」


「ならば司法省へ届け出ると良い」


 正しい手続きではある。

 貴族間での認識が違う場合、介入するのは司法省である。

 だが、そんな事をしている間にメラニアの首は飛ぶ。


 当然、ルシウスは動かない。


「特級魔術師に詰め寄られては、我々も正当防衛しなくてはな」


 ジラルド子爵やセクタス、その教師、私兵たちが皆、左手に軽剣を抜く。

 右手に砲魔を宿す西部流なのだろう。


 ルシウスも魔力を込め、影から鎧兵達を喚び出した。

 その数は優に100体を超える。


「あれが……帝国を退けた……」

「怯むな、知ってただろ!?」

「気にするな! 殺されはしねえ!」


 兵たちに恐怖が走るなか、セクタスの激が飛ぶ。


「怯むな! 殺れ!」


 反応するように兵たちの右手から無数の獣たちを放つ。

 炎、水、氷などで出来た砲魔たちだ。


「全員拘束しろ」


 ルシウスの掛け声に応じて、一斉に鎧兵が飛び出した。

 鎧兵達は俊敏な動きで、砲魔の雨を躱しながら、前へ前へと進んで行く。


「避けられただと!? まずいぞ!」

「……なんて奴らだ……」

「に、逃げろッ!」


 始まったばかりというのに、わずかな劣勢ですぐに瓦解する兵。


 ――脆すぎる


 長らく東部や北部に戦いを押し付けてきたためか、命のやり取りは当然として、怪我ですら負う覚悟がない兵たち。


 逃げ惑う兵たちの背後で、ジラルド子爵の声が響く。


「バカ者共が」


 すぐさま冷気に似た白い霧で出来た髑髏が兵たちの頭上に現れた。

 逃げようとした兵の上に、冷気のモヤが降り注いだ。


 霧がかかった兵たちの瞳から生気が奪われ、虚ろとなっていく。


「戦え」


 そして、ジラルド子爵の言葉に従うように、兵たちがゆっくり振り返る。


 手をかかげ、再び砲魔を放ち始めた。

 ルシウスは放たれた砲魔達を躱しながらも術式の考察を進める。


 ――虚ろな村人の呪いの正体はジラルドの術式か


 おそらく呪いの類で自我を抑圧し、言いなりにする術式だろう。


 言うまでもなく、下策中の下策である。


 緩慢な動きと成った兵たちは、10秒とかからず鎧兵たちに押さえつけられた。

 そうしなければ、思考力が落ちた兵の間で、同士討ちが始まってしまう。


「ははっ! ついに手を上げたな! 貴族同士の直接的軍事介入は認められていない! これでどう釈明しようが、お前は罪を負うのだ」


 勝ち誇ったように声を上げるジラルド子爵。


 諸侯同士による内乱――いわゆる封建戦争――は、王国の法により禁じられている。かつて王政が不安定であった時代に領主同士の内乱が頻発し、国の弱体化を招いたためだ。


 そして、ルシウスの鎧兵が私兵を取り押さえた時点で、領内の執政に対して軍事介入したことは疑いようがない。


 当然ルシウス自身、そんなことは重々承知している。

 だからこそ、王へ謝罪に行ったのだから。


「化けの皮が剥がれるときが来たな、ルシウス!」

「アデライード卿の読み通りですな」

「早速、司法省へ届け出ましょう」


 セクタスと家庭教師たちもしたり顔で頷いた。

 まるでもう目的は達成したとでも言わんばかりである。


 一方、ルシウスは盾を顕現させた。



「まだ終わってない。剣と式を構えろ」



 大笑いするジラルド子爵。


「いや終わったのだよ。さっさと宿にでも戻って沙汰を待つがいい」


 ルシウスはその言葉を無視した。


 平和呆けが過ぎる。

 これだけのことをしておいて、用が終わったから帰れと言われて帰る戦いなどありはしない。


「10秒待ってやる」


 そして、数を数え始めた。


「1、2、3――」


 回り込んだのはセクタス。


「バカめ! 我が呪いを受けろ!」


 ルシウス目掛けて、砲魔を放つ

 それはカラスであった。


「4、5――」


 呼応するように2人の教師たちもセクタスと同じ烏の砲魔を放った。


「よくやった」


 ルシウスを挟み込むように、ジラルドも再び霧の髑髏を喚び出す。


「6、7――」


 四方からの一斉攻撃である。


「8、9――」


 だが、ルシウスに焦りはまったくない。

 むしろ怒りが湧いてくる。


「10…………舐め過ぎだ」


 ルシウスは式を素早く躱す。

 ただ真っ直ぐ放っただけの術式など当たるわけが無い。


 躱した勢いそのまま大盾でセクタスを殴りつけた。

「ぼぶッ」という肺から空気が漏れる音と共に、セクタスの細い体が空を舞う。


 そして、続いて教師たちも盾で殴り飛ばす。

「「ぼぶッ」」という声がほぼ重なった。


 シールドバッシュである。

 骨は折れただろうが余程あたりどころが悪くなければ、死にはしない。


 更に助走を付けるルシウス。

 砲魔を躱されたばかりのジラルド子爵の顔が曇る。



「ま、待てッ! 降参だッ!」


 ジラルド子爵は腕が取れそうなほどに、手を振りはじめた。

 が、止まらない。


 全力疾走のまま全体重を乗せて、盾を前方へと構える。

 轢くかのように、全身のバネを躍動させて、ジラルド子爵へと突っ込んだ。



 シールドチャージ。



 ジラルド子爵の体は意識と共に吹き飛んだ。









 しばらくして、ジラルド子爵とセクタス、2人の教師は目を覚ました。

 いや、水をぶち撒けられて目を覚まさせられたという方が正確だろう。


「うっ」


 彼らの目の前にいるのは1人の男。

 ルシウスである。


「なんだ、やけに熱いな」


 ジラルド子爵の声が漏れる。


「皆さん、お目覚めですか?」


 はっとした4人は立ち上がった。


「お前ッ! よくもッ!」

「我らに、こんなことをして許されると思うな!」

「そうだ、このことは正式に抗議を――」


 が、その声が一斉に止まる。

 なぜなら、目の前に拡がる光景に唖然としたからだ。


 自身たちが立っている場所は、マグマの海に囲まれた小島であった。



「ここは第4層の最上階付近です。キルギスの民より優れている皆さんなら問題なく下へ降りられますよね?」



 ルシウスは冷静に4人に言い放った。

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