第96話 閑話 領主の1日

 ローレンは、城の中を歩いていた。


 かつてルシウスが東部を訪れた際に、同じ屋根の下で過ごした同い年の少女である。養父であったユウが戦死した為、ルシウスと共に北部へ移り住んだ。


 だが、今いる場所は、ルシウスの故郷ではない。


 黄金都市ブルギアの城である。


 ルシウスは領主となったものの、平日は都市ブルギアで過ごし、週末は故郷のシルバーハート村で過ごすという生活を送っていた。

 最近、ルシウスを補佐するため、ローレンや侍女マティルダが同行することが増えたのであった。


 ローレンは、まだ片付かない調理場へと足を踏み入れる。


 調理場で侍女たちに混ざり、食器の片付けに追われるマティルダの姿を捉えた。


「マティルダさん、ルシウスさんはどこに居るかご存知ですか? 確認してもらいたい資料がありまして」


 手を止め、ローレンへと向く侍女マティルダ。


「朝からオルレアンスの方々に連れ去られて行きましたよ」


 ローレンは「またあの一族ですか」と半ばあきらめを覚える。

 近頃、オルレアンス家はルシウスに執着しているようで、事あるごとに連れ去ろうとしているのだ。


 またドワーフはドワーフで、ルシウスに頼り切りである。


 ローレンとマティルダが窓の下に広がる城下街へと視点を落とす。


 土ゴーレムが様々な資材を運び、ドワーフや人間達が、道や建物の補修に追われていた。王国広しと言えど、ゴーレムが闊歩する街など、ここくらいだろう。


 そして、都の外に広がる草原を貫く街道には、都市ブルギアを目指し、次々と歩いて来る移住希望者が見える。


 大半が、北部の寒村と帝国との紛争を避けてきた東部の民らしい。


「ルシウス様の魔力を使ってドワーフ達が大量の土ゴーレムを作り出しているそうです。日に日に復旧速度が上がっていると聞きます」


「あまり無理をしないよう、ローベル様とエミリー様からもよくよく言われているはずなのですが」


 ローレンは小さくため息をついた。


「オルレアン家へ行ってみます」



 ローレンは調理場を後にし、城の一角へと向かった。

 オルレアンス家が拠点を構える場所である。


 ローレンはオルレアンス家の従僕に挨拶を済ませ、ルシウスがいる部屋へと案内された。


「お邪魔します。ルシウ――」


 扉を空けて視界に飛び込んできたのは、異様な光景だった。

 所せましと置かれた計測機器に、床や天上に張り巡らされたツタのような配管。


 黒いローブが纏ったオルレアンス家の人間がひしめき合っている。


 その中心にいるのは、巨大な丸い筒の中に入ったルシウスである。

 辛うじて顔がのぞく程度で、全身は金属のようなものに覆われていた。


 筒型遺物のすぐかたわらにいるのは3名。


 オルレアンス家の前当主の老婆グフェル。

 現当主のラートス。

 次期当主の青年クレイン。


 3人とも悪魔のような笑みを浮かべていた。


「あのー、グフェル様。気持ちが悪いです。それと邪竜が嫌がってます」


 筒に覆われたルシウスが声を上げる。


「よく聞いてくれたね。今は、魔核に特殊な魔力を照射して、邪竜の中にいる魔龍の存在をつかもうとしているのさ。ひぃっひぃっひ、ひぃっひぃっひ。」


「いや、聞いてませんが」


「そうだろぅ。成功すれば魔龍の解明ができるかもしれないね。ひぃっひぃっひ、ひぃっひぃっひ」


 会話が完全に成立していない。


 ルシウスが反論しようとした時、現当主ラートスの声が上がる。


「うほぉおおっ! 母上、クレイン、見てくれ! 騎手魔核に収まった邪竜の魔力特徴量が4次元プロットではっきりと掴める! うほぉおおっ!」


「父さん、これは発見ですよ。ぐふぇっふぇ」


「うほぉおおっ!もっと出力をあげるぞ!」


 以前、似たような光景を目にしたことがあった。

 いやな予感しかない。


 顔が白くなっているルシウスが、声をあげる


「うっ……本当に邪竜が嫌がってます。というか、もう怒ってます」


 グフェルがルシウスへ語りかける。

 それは初孫を愛でる御祖母のようでもあった。


「そうかい。よく承諾してくれたね。ひぃっひぃっひ」


 ルシウスはあまりの噛み合わなさに困惑しているようだ。


「え? いえ、何も承諾してませんが」


「挑戦と失敗は常に表裏一体。歴史がそう、私に語りかけてくるよ」


「グフェル様。前も言いましたが、それ確実に幻聴ですよ?」


「その献身に感謝するよッ! ひぃっひぃっひ!」


 グフェルは悲しさとあきらめを足して百で割り、期待を1万くらい乗せたような表情を浮かべる。


「嫌です。というか邪竜が……」


 グフェルがグイと何かのつまみを捻る。

 直後、右手を口に当て、ルシウスが吐き気をこらえた。


 そして、左の魔核から吹き出した魔力が膨張していく。


「あわわっ」


 あまりの魔力に思わずローレンは後退りしてしまう。

 

 部屋中に充満した魔力が、次第に熱を帯び、火の粉となる。


 そして。



 ボンッと音を立て、周囲の機械がなぎ倒された。



「ケホッケホッ」


 ほこりと煙が舞い上がり、ローレンは咳をする。


 あとには、真っ黒に焦げたルシウスとオルレアンス家の3人。



「……だから言ったじゃない……ですか……邪竜が苛立ってるって……」



「「「すみません……やり過ぎました……」」」







「ひどい目にあった」


 着替えを追えたルシウスと、共に廊下を歩くローレン。

 髪はまだチリチリである。


「でも、楽しそうでしたよ。ルシウスさんも」


「そうかな?」


 苦笑いで返すルシウス。


 2人が辿り着いた場所は、城の中央。

 領主であるルシウスの執務室である。

 ローレンは一礼して、領主の間へと足を運ぶ。


 扉を開けると中は異様な雰囲気であった。


 部屋の中には円卓が運び込まれており、円卓にはうず高く積まれた資料の山。


 そして紙の山を取り囲むように、10人以上の家臣たちが群がっている。

 北部の盟主シュトラウス卿から派遣された一行である。


「おはようございます。ルシウス様」


「おはようございます」


 ルシウスは一人一人と挨拶しながら、円卓の最奥へと腰掛けた。

 座るなり、家臣が紙の束を持って、話しかけてきた。


「近隣諸侯であるアシュトン子爵、バークレー子爵、デヴォン男爵より面会の要請が来ております」


「また面会ですか。まだ街も瓦礫だらけで、色々と作業や調べ物もしたいのですが」


 深くため息をつくルシウス。


「貴族社会にとって、人脈づくりは優先されるものです。疎かにされると後々ツケを払うことになります」


「わかりました。空いているスケジュールに組み込んで下さい」


「承知しました。次」


 家臣はそう言って紙をめくる。


「【ノアの浸礼】より、教会と小教区の設置要望がありました」


 世界で最も信仰されている宗教【ノアの浸礼】。

 信仰を禁止されているのは帝国とその関係国くらいである。


 その教義は一言で言えば、自然への帰依きえと現状維持。

 信仰対象はクアドラ神と呼ばれる4柱であり、それぞれが太陽、天候、大海、生命を象徴するものとして考えられているようだ。


「民の受け入れを開始したばかりなのに。大した情報網と機動力です」


 小教区とは教会の自治が認められた区画である。

 通常は信者たちが住む小さな村であるのだが、大きな都市になると区画として設けられる。


 区画を求めてきたということは、早晩、このブルギアが大きな都市となることを見越しているのだろう。


「オーリデルヴ領の民には必要かと思われます。いかが成されますか?」


 新たな領の名前はオーリデルヴ領と改名した。

 『叡智を探求する者と黄金を掘る者』という意味である。当然、オルレアンス家とドワーフたちに由来するものとして、ルシウスが考案したもの。


「では、城の一角を割り当てましょう」


 家臣たちの顔が曇る。

 通常、小教区は街外れに設けるもので、城は都の中央に統治の象徴として建てられる。

 城に小教区を作るなど、前代未聞である。


「……理由をお聞かせいただけますか」


「この都市ブルギアは男爵領のため、騎士団の保持が認められていません。有事の際には、民を城に避難させます。教会が城にあれば治安に協力させやすくなります」


「それだけでしょうか?」


 家臣たちは、まだ納得できないようである。


 舐められているわけではない。

 着任当日、家臣たちへ、納得できない意見には必ず具申するように、命令したためだ。

 いくら前世があるとはいえ、まだ未成年であるルシウスは国の情勢を知らないことも多い。経験者の意見に耳を傾けたいという意思表示でもあった。


 だが、言いなりになるという意味でもない。

 押し通すべきは押し通す。


「教会を統治に使いたいと思います。そもそも自分は男爵に過ぎませんし、成人もしてません。人が増えれば、それだけ問題も多くなります。使えるものは何でも使います」


「諸刃の剣ですな。教会の権力を増長させることになります」


 王国においても、【ノアの浸礼】は微妙な立ち位置にいる。

 この国は王権神授説のように神の威光により王が立つわけではないため、政治と関わりが無い。

 そうは言っても信者は多いのだ。必然、教会の発言権は高まる。

 事実、騎士団には司祭が駐屯しており、都市、町や村を問わず、教会があるほどだ。


「城に構える条件として、裁判権を委譲しません」


「妥当でしょうな。徴税権はいかが致しますか?」


「直接ではなく、領で集めてから一定割合を支給します。ただし、民からの直接の寄進には税を課しません」


「……積極的に教会を傘下に置く、と」


「そうなります。綱引きで勝てるか、負けるかは、やってみなければわかりません」


「ですな。送られてくる者の手腕次第といったところかと」


「期待してますよ」


 ルシウスはニコリと笑う。


「悪いお人だ。我々に押し付けるつもりですか?」


「交渉や政争は得意ではないので適材適所です。それに家訓であり父の言葉でもあります。『何でも自分でやるより、信頼できる得意な奴に任せた方が100倍いい結果になる。領主の仕事は最後に責任とって体をはることだ』って」


 家臣達からため息に近い笑いが起こる。


「はぁ、致し方ありませんね。万事お任せ下さい。それでは次、農地の所有権についてはいかが致しましょう?」


「基本的に農奴のうどは作りません。金が無い者はすべて領からの土地を貸し出して、小作人として下さい。土地は有り余っているわけですから。一定の金額を領に支払えた者には、土地の所有権を与えて下さい」


 農民と一言に言っても3つの階級がある。

 土地を所有する自由農民。

 任意で領主から農地を借りる小作人。

 そして、自由農民や領主の農地に縛り付けられ労働力を搾取されるだけの農奴、である。


 式の力により、肥料の生成、作物の育成促進、病気の抑制ができるため、あまり不作になることはないが、それでも搾取する側とされる側という立場は自然と発生するのだ。搾取する側にとっては既得権益となるため、一度できるとその依存関係は強固なものとなる。


「遅かれ早かれ、農奴は生まれます」


「それ自体は仕方有りませんが、選択権の剥奪は許可できません。優秀な人間や成果を出せる人間には見返りを与えます。程々の既得権益は産業を円滑にさせますが、行き過ぎた既得権益は停滞を生みます。今のブルギアにとって、産業の停滞は都市の死を意味します」


「承知しました。では採掘権について……」


 ルシウスと官吏たちは、このようにオーリデルヴ領の制度を決定していく。


 領主には国への忠誠、納税義務や徴兵義務を負うことでかなりの裁量が認められている。言い換えれば、領主の判断が多くの人の人生を左右するのだ。

 ルシウスにとっても、大事な場である。


 制度について白熱した議論は続く。


 ――何もできることはありませんね


 一緒に執務室に入ったものの、ローレンが手助けできることはない。

 侍女マティルダの手伝いでもしようと、席を立った時、扉が開く。


「ルシウス様! 街の広場で争いが起きています!」


 場の視線が、一斉に伝令へと注がれた。


「自分が行きます」


「領主自ら、ですか」


「はい」


 ルシウスはスッと立ち上がった。

 同時に背後の影の中から黒いモノがせり上がる。

 造兵の術式で作られた、一体の黒い鎧だ。


 喚び出された鎧が手を合わせると、ルシウスの前に虚空の黒い円が開く。


「……転移系の術式ですか。そのような術式を持っているとは聞いておりませんでしたが」


「もともと竜騎士達とその契約した亜竜たちが持っていた術式です」


「まさか……それらを、全て使えるのですかッ!?」


「直接は使えません。鎧兵かブラッドワイバーンを喚んで、使ってもらう必要があります」


「だとしても……いくつの術式をお持ちなのですか」


「100までは数えましたが、それ以降は数えるのを諦めました」


「100以上の術式を1人が……」


「使える術式は限られます。大体の術式には互換性があるので、上位互換がある術式をわざわざ使う必要がありません。ともかく急ぎましょう」


 笑みを浮かべたルシウスは、空間が切り取られたような黒い円をくぐった。

 ローレンと他の家臣たちも、後に続く。


 くぐった先は、都市ブルギアの入口付近の広場である。


 目の前ではドワーフたちと移住予定者たちが群を成して、相対していた。

 緊迫した雰囲気である。

 今にもお互い、取っ組み合いになりそうだ。


 ドワーフ達は土ゴーレムを従え、移住者達も数体の式を顕現させている。

 先頭にいるのはドワーフ族のおさダムール。


「この広場にあるトンネルはこのままだ。これは決定事項だ」


 ダムールが静かに伝えると、移住者達が声を荒らげる。


「ドワーフの分際で偉そうなッ!」

「ここは人の場所だ! もっと離れた所に作れ!」

「魔物が人と同じ言葉を話すなんて……気色悪いわ……」


 広場の中央には地下へと向かう穴が掘られている。

 ドワーフたちは迷宮と共に生きていくため、地上にある街に住むわけではない。


 そこで、ルシウスはドワーフたちの地下街と地上のブルギアを直接トンネルで繋げ、1つの街とする案を採択した。


 そのため、ブルギアの至る所に、地下にあるドワーフたちの街へと続く通路があるのだ。


 どうやら移住者たちはドワーフが行き来するトンネルが、移住予定地の近くにあることが気に入らないらしい。



「そこまで」


 ルシウスが声を張り上げ、視線が集まった。


「皆さん、黄金都市ブルギアへようこそ。オーリデルヴ領主ルシウス=ノリス=ドラグオンです」


 移住者たちが声を上げる。


「あれが四重唱の領主様……」

「特級魔術師の!?」

「なんだ。まだ若いじゃないか」


 ルシウスは見回しながらに尋ねた。


「何事です? 街中で、式の顕現など」


 数人の移住者たちがルシウスへと抗議の声を上げる。


「領主様、聞いて下さい。ドワーフどもが、人様が住む区画に穴を掘ってるんです! 気味が悪い」

「うちには小さな子供もいるんです。守ってください、領主様」

「あの金属みたいな髪……絶対に人じゃないよ……」


 移住者たちは口々に不安を吐き出した。

 まるで自分たちの意見に正当性があるかのように。


 ルシウスが門へと手を差し向ける。


「街の出口はあちらです。領の法が気に入らないのであれば、お帰り下さい」


 移住者たちから、一斉にクレームが上がる。


「そんな! 東部からやっと来たのに!」

「子どもも老人もいるのよ……」

「そうだッ! こっちは村総出で来たんだぞッ!」


 ルシウスは笑みを絶やさない。


「このオーリデルヴ領では、ドワーフは領民であり、人です。それが守れないのであれば、領内での居住は認められません。宿くらいは問題ありませんので、疲れを癒やしてお帰りください」


 なおも移住者たちは反論する。


「な、なんだよ……この領主」

「ドワーフが邪悪だって知らないのかッ!?」

「子供を攫って、喰う魔物だって聞いたよ……」


 ルシウスが左手から三ツ首の邪竜を喚び出す。

 機嫌が悪い邪竜の口から炎と唸り声がこぼれ出た。


 そして、影から一斉に1000体の兵達が這い上がった。

 移住者たちを取り囲む。


「ドワーフは人です」


 移民たちが恐れる。


「「「ひぃ」」」


 ルシウスが真顔となる。

 そして威圧を込めた声で静かに言い放つ。


「領主として法を守らせる、絶対に。選ぶがいい、法を守らず立ち去るか、法を守って留まるか」


 はち切れそうなほどに、空気が張り詰める。

 広場全てを魔力が覆っているかのようだ。


 移住者たちは、恐れをなして、そそくさと割り当てられた建物へと入っていった。


 広場から人が居なくなると同時に、邪竜と鎧兵達もたち消えた。

 成り行きを見守っていたローレンがルシウスの近くへと歩み寄る。


「ルシウスさん、脅すのはやり過ぎです」


 ルシウスは首を振る。


「ドワーフは邪悪な存在である、というのは彼らにとっては常識なんだよ。残念ながら」


 長い間、その認識が正しいとされてきたのだ。会ったことも、話したこともない存在なのに。

 ローレン自身も当初ドワーフたちとの交流に緊張していたことを覚えている。


「……はい」


「その常識を覆すのは、当面は外的圧力しかない。成り行きに任せるには、ドワーフたちが不利益をおうむり過ぎる」


「それは分かりますが、ずっと力技で押さえつけるのは……」


「分かってる。だから街を1つにしたんだ。よく知らない存在のイメージは、勝手にどんどん肥大化していく。ドワーフと人の交流は絶やしてはいけない。時間は掛かるけど、徐々にお互い知っていくしかない」


「でも当分はルシウスさんが批判されますよ」


「俺は民を守ると決めたから」


 民は決して聖者ではない。

 利己的で、他者を貶め、己の常識を正義と思い込みたがる。


 だからといって、善良ではないとは言えないのだ。

 民を守るというのは、言い換えれば善良な民を守るというのが第一義となる。

 その善良な民にドワーフも人間も入っているというだけだ。


「少しずつでも、変わっていって欲しいです」


「見てて、ローレン。変えてみせる。人は変われるから」


 かつてルシウスは出自に囚われる自分を変えてくれた。

 それを領の単位で成そうとしているのだ。



「ええ、きっとできます。貴方なら」



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 お読みいただき、ありがとうございます。

 

 新章は今月中には投稿開始できると思います。

 結構ハードな内容になりそうです。頑張れ、ルシウス。


 3月19日

 男爵無双 1巻発売中です!

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