崩壊

第97話 王都

「男爵ルシウス=ノリス=ドラグオンへ千竜卿の称号を与える」


 謁見の間。

 高い天井にはステンドグラスが惜しみなく使われ、七色の光が降り注ぎ荘厳さを引き立てる。

 長い一繋ぎの赤い絨毯の両端には、ずらりと廷臣と騎士が並び立つ。



 ひざまずくルシウスの前には王がある。


 顔には深くしわが刻まれており、指先からは肉が削げ落ちていた。

 だが、澄んだ黒い瞳には、今なお力が秘められており、老いた獅子を思わせる。



「ありがたく」


 ルシウスは目を閉じたまま、更に深く叩頭した。


 この世界において、称号、すなわち2つ名を与えるというのは特別な意味を持つ。


 以前、戦った帝国の征将などがそうであるように、『将』や『卿』などの立場を含む場合、与えた者の権限が委譲されたことを意味していた。


 王が深く染みる声で、家臣たちへ宣言する。


「千竜卿は、永きに渡り魔物に占領されていたブルギアを解放し、王国に多大な益をもたらした。よって王の名において、2つの特権を与えるものとする」


 廷臣たち、特に大臣などの上級政務官たちが息を飲む。


「1つ、外交特権。1つ、徴兵権である」


 一気に謁見の間がざわついた。


 それもそのはず。


 外交特権とは国を代表して、諸外国との交渉ができる権利であるが、特筆するべきことはそれではない。

 特権とつく意味はひとえに、他国への交戦権行使が認められていることに集約される。つまり戦争を宣言出来るのだ。


 さらに徴兵権とは、文字通り諸侯からの軍事力を徴収できる権限であり、本来は王しか持たぬ王権の1つである。


 宰相がかしこみながら、進み出た。


「陛下、恐れながら申し上げます。通例、外交特権を持つのは四大貴族の長だけです。また徴兵権とは王にのみあるべきものです」


「ルシウスは先の戦いで帝国の戦帝を退け、千の竜騎士をその身に宿しておる。我が国の最高戦力であると同時に、最も機動力を発揮できる存在。王国のために必要な措置である。近衛兵は王都を離れられぬしな」


 王のすぐ背後に控える騎士達が姿勢を正す。

 皆、磨かれた白く輝くプレートアーマーを身に纏っていた。

 王の守護者たる近衛騎士団の正装である。


「ですが、陛下……」


「時代が、そして列強が、動いておるのだ。何が起きてもおかしくはない。過去の慣例ばかりに囚われていては、いずれ国は沈む」


「はっ」


 宰相も王にここまで言われては、流石に下がらざるをえない。

 王が一息つき、次へと進む。


「ルシウス。剣をお主へ」


 王が手を挙げると、2本の剣を下向きに持った兵が横から現れた。

 団長の大剣と副団長の刺突剣である。


「報奨の為に用意させたはずが、無作法者によって水を差されたとディオンから聞いておる」


「……いえ、何も」


 横目で垣間見た西部の王候補ディオンが、ルシウスを睨みつけていた。


 王が2本の魔剣を掴み、差し出す。

 ルシウスは両手を掲げ、2振り剣を受け取る。


「ふっ」


 王が受け取ったルシウスへと微笑みかける。


「いかがなされました」


「いや、大きくなったものよな。前に魔剣を受け取ったお主は、転げそうになったもの」


 王は快活に笑う。


「は、以前はお見苦しい所をお見せいたしました」


 とはいえ当然で、3歳の頃の話である。


「まさしく余の期待どおりに育ってくれた。余は賭けに勝ったのだ」


「身に余る光栄」


「だが、それだけ余も老いたということ……ルシウス」


「はっ」


「次の王も支えてほしい。誰が王となろうとも」


「御意に」


 ルシウスはうやうやしく頭を垂れる。


「近衛師団長マルク、後は頼んだ」


 背後に控える近衛師団長マルクが一礼をする。

 叙勲式を終えた王は、数名の家臣に支えられながら置くへと消えていった。



「もう王も長くはありませんな」

「次の王はどなたが」

「そのことについて、卿へ折り行って相談が……」


 王が玉座の奥へと姿を消すなり、謁見の間に並んだ家臣たちが密談をしながら、そそくさと部屋を後にする。


 ――まだ崩御されたわけでもないのに


 王都の貴族たちにとって、もっぱらの関心事は次の王なのだろう。



「千竜卿」


 振り向いた先にいたのは齢40代の男。髪はくすんだブラウンで、アーマーの間から見える筋肉が脈動しているかのようだ。


 近衛師団長マルク、その人である。


 たたずまいだけで只者ではないと分かる気配を放っていた。

 特級の式を持つ王国最強の騎士と呼ばれているだけのことはある。


 だが、ほんの些細な動きに違和感を覚えた。

 おそらく大半の人は気が付かないほどの小さなものだが。


 ――傷でも負ってるのか


 ただの外傷なら治癒の術式で、どうでもなるはず。

 そんな事を考えながらも、つつがなくに挨拶を返すルシウス。


「ルシウス=ノリス=ドラグオンと申します」


「マルク=ウェシテ=デュモンだ。近衛師団長を任されている」


 近衛師団長マルクが握手を差し出す。


 男爵は騎士爵より高位の爵位である。

 だが、役職や官位としては、近衛師団長など雲の上の存在。

 ゆえに、ルシウスがへりくだる必要がある。


「よろしくお願いいたします」


「夕方、少し騎士団に顔を出してくれるか。大事な話がある」


 王の去り際の言葉のことだろうか。


「承知しました」


 伝えるだけ伝えると、近衛師団長マルクたちは、王を追いかけるように奥へと消えてった。


 近衛師団は、国の騎士団の中枢でもある。

 予定が分単位で決まっているのだろう。


 ルシウスも宿へと戻ろうと振り向いたとき、眼の前に誰かが現れた。


「やあやあ、ルシウス卿」


 齢は30才程。

 浅黒い肌に、赤茶色の長い髪を、後ろでまとめた華奢きゃしゃな男である。


 「カラン師団長!」


 南部の四大貴族の出自にして、東部に在留中の師団を率いる男である。

 かつてルシウスが東部に赴いた際、良くも悪くも世話になった。

 ルシウスの国は東西南北、各々4つの州をそれぞれの盟主が治めており、その全てが王たる氏である。


「元気そうだね」


「ご無沙汰しております。なぜ西部の王都に?」


「ちょっと用事があってね。そしたらルシウス卿の叙勲式だった、ってわけさ」


「会えてよかったです」


「マルク総隊長に会うために騎士団の本部へ向かうんだろ? 一緒にいかないか? 会わせたい人が居るんだ」


「ええ、もちろんです」


 ルシウスはカランに連れられる形で、謁見の間を後にした。


 向かった先は、王都に在中する騎士団本部。

 騎士団の本部は王都であるこのブラッドフォードにある。


 それも王城のすぐ横。

 むしろ繋がっているといったほうが適切か。


 城を内から抜けて、渡り廊下を進んだすぐ先に巨大な建物が見えてきた。

 高い壁に覆われた堅牢な建物だ。

 有事の際は、王城を守る最終防衛拠点となる場所でもある。


「へぇ、騎士団の本部ともなれば、やっぱり立派ですね」


「西部は戦争から縁遠い場所だから、ただのハリボテだけどね」


 壁門をくぐり、建物へと入る。

 多くの騎士たちを横目に廊下をどんどん奥へと進む。


 カランは師団長であり、四大貴族の出でもある。

 当然騎士団の中でも地位は相当に高い。

 身分確認もされず、手を少し上げるだけでほぼ素通りである。




 そして、本部の最奥の地下室へと通された。


「誰と合わせたいんですか?」


 騎士団の知り合いとなれば、旅団長のシャオリア。もしくは北部出身の騎士たちくらいか。


「……もう少しで分かるよ」


 いつもは飄々ひょうひょうとしている師団長カランにしては引き締まった表情だ。


 辿り着いた先は、地下の独房。

 それも道すがら見た牢と比べて、特に厳重に管理されている。



 中にには鎖で吊るされた者がいた。

 おそらく女

 

 だろう、というのは確信が持てなかったからである。


 全身は鞭に打たれ、皮膚が裂けている。

 拷問の痕だ。


 何より。


 ――顔が焼かれてる


 顔の余す所なく焼かれた顔は黒い。


 女が目を開き、黒の中にある白い瞳を際立たせる。


「……やっほー」


 その声には聞き覚えがあった。

 拷問時の叫び声のためか、声がかすれてはいるが、確かある。


「……ルーシャル……殿下……何で……」


 ルーシャルは南部の四大貴族の王候補だった。

 つまりカランの実の妹にあたる

 本物ならば。


「へへっ」


 ルーシャルは力なく笑う。


「この者は我が妹ルーシャルの名を語り、千竜卿ルシウスを暗殺しようとした。今、誰の指示で行ったのか、取り調べ中だよ。なかなか吐かない……そうだ」


 師団長カランは唇を噛み締める。


「偽者?」


「当然だ。我が妹ルーシャルの術式は豊穣の術式。南部なら皆知っているし、目にしている。だが、この者の術式は、刃を降らせるもの……別人だ」


 ルシウスは再び視線を虜囚へと戻した。


「……なぜ、俺をここへ」


「ルシウス卿を襲った犯人を捕まえたことを報告するついで、にね」


 カランは笑みにならない程度に、無理やり口角を上げる。


「ルシウス卿には彼女の処置を急がせる権利がある。司法省も貴族の要望には可能な限り答えようとするだろう。特に今の君の願いは重要視される」


「……ルーシャル殿下の処置は」


「ルーシャルでは無い。その名を騙った偽物だが、貴族を暗殺しようとしたのだから、同じ貴族でもない限り死罪は確定だよ」


「つまり司法省へ訴えれば、死刑の執行を早めることができる、と」


「その通り。それだけが伝えたかった」


 カランはすーっと大きく息を吸い込み天井を見上げた。

 目を背けるように、来た方向へと振り返る。


 そして一言も発さずに、独房を後にした。




 1人残されたルシウスは、牢屋に吊るされている女を見る。

 術式を封印されているのか、見たこともない遺物が足元に展開されていた。


「……ルーシャル殿下。以前は助けていただき、ありがとうございました」


 ルシウスは頭を下げる。

 クレインが魔槍をルシウスへ渡す際、死霊たちに襲われるのをルーシャルが防いでくれた。間違いない。


 結果、魔槍はルシウスの手に渡り、魔龍に勝つことができたのだ。



「普通、言う? 自分を殺そうとした人間に」


「ルーシャル殿下の判断で救われた者が居るのは事実です」


 間違いなくカランの血縁者であると、ルシウスは思う。


 あれは罪人を見る目ではなかった。

 顔を焼かれているのは、血縁者である証拠の隠滅か。

 だが、師団長カランがそのような指示を出すとは思えない。


 となると、更に上位の存在。

 つまり四大貴族からの指示だろうかと邪推せざるを得ない。


「いいの、いいの。どうせ、暗殺が失敗した時点で役目は終わり。後はできるだけ多くの人が幸せになれる方法がいいに決まってるしー」


 どうしてもルーシャルが邪な人間とは思えなかった。



「……俺は、何か殿下から怨みを買うようなことでも?」


 真っ黒に焼け立たれた肌とは対象的な澄んだ瞳が、突き刺すような視線を送る。


「個人的な怨みは何もないよ、むしろルシウス君は好きなタイプ。でも、どうしよもなく腹が立つこともある」


「何でしょうか」


 ルーシャルを縛り付ける鎖がジャラジャラと音を立てる。


「ルシウス君。君は目に入る人しか救わない。それだけの力が有りながら、自分の領と関係者しか見ていない。それが君の庇護下にない人間を焦らせるの」


「……そんなことはありません」


「あるのよ。私のように力が無い者が、できるだけ多くを救おうと思ったら、選ばないといけないの。誰を捨てて、誰を取るか。だから選んだの。自分と君を捨てて、南部の民を取ることを」


 なぜ南部の民を救うことが、暗殺と繋がるのかはわからない。

 だが、ルーシャルの瞳には一切の偽りがないようにも思える。


「…………そうですか」


「結果は全て受け入れるわ。それに、ドワーフ達にも犠牲が出たそうじゃない? まあ、あそこに死霊を避ける隔壁があるなんて想像もしてなかったけど。ルシウス君の政策的に私に頭を下げるのは、マイナスだけでしょ」


「……隔壁を破壊したのは確かに過ちです。死んだドワーフもいます。ですが過失では、死罪には問われません。拷問も不要です」


「兄様は早く私を始末したいようだけどね。もっとも、あの人は一族の中でも変わり者で早々に家を出ていったような人だから」


 ルーシャルが皮肉るように笑みを浮かべる。


「カラン師団長は……貴女が苦しむ時間を減らそうとしてるのだと……思います」


「余計なお世話ー。私はまだ死ぬわけにはいかないのー。だって待ってるから」


「待ってる? 何を?」


「………………」


 ルーシャルは目を閉じた。

 何も答えないという意思表示だろう。


「わかりました。また来ます」


 ルシウスはそれ以上かけるべき言葉が見つからず、牢屋を後にした。



 階段を上がり、騎士本部の地上階へと出る。

 そこは小部屋であった。


 階段を登った先に、騎士の1人が待っていた。


「お迎えに上がりました。こちらへ」


 マルク近衛師団長の使いだろう


「お願いします」


 そのまま再び廊下を歩いていく。

 騎士たちを横目に10分ほど歩いたときに、中庭へと通された。

 四方を壁に覆われ、地面は珍しく土が剥き出しの頑丈な場所だ。


「千竜卿、こちらです」


 ――訓練場?



 中央にマルク近衛師団長が立っていた。



「よく来たな」



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