第98話 王国のある意味

 訓練場への呼び出し。


 いつぞや東部の騎士団を訪れた際、模擬戦を申し込まれたが、似たようなものかと勘ぐってしまう。


 青空の下、訓練場の中心に立った近衛師団長マルクが口を開いた。


「早速、始めよう。本来は成人を迎えた際に親から聞く話であるが、陛下より外交特権を委譲されたのであれば、知らぬわけにはいくまい」


 どうやら近衛師団長自ら、何かを教えてくれるらしい。

 なぜ訓練場なのかは、わからないが。


「ルシウスは以前、帝国による奇襲を防いだ。ということは帝国は知っているな?」


「はい、もちろんです」


 忘れるわけがない。

 同じ屋根の下で過ごした恩人ユウを殺した戦帝ベネディクトを、今だに許してなどいない。


 近衛騎士団長マルクの顔に真剣味が増した。


「では、三大国という言葉は聞いたことがあるか?」


「いえ、ありません」


「三大国は世界で最も影響力がある国――


 魔導具のシューヴァル帝国、

 巫女と魔剣の聖地サンガーラ共和国、

 嵌合傀儡かんごうかいらいのパンドラニア連邦、


 皆、それぞれ強力な術式を保持している」


「王国は大国ではないのですか?」


「我らがアヴァロンティス王国はその下、九准国の1つだな」


 ――思った以上に世界は広そうだな


 ルシウスは世界のことをあまり知らない。

 隣国である帝国や共和国の国名くらいは知っているが、人口、軍事規模、特に術式に関する情報は情報統制がなされており、知りようがないのだ

  

 旅商人などは行き来しているため、完全に交易が無いわけではないが、噂の域を超える情報は出回らない。

 

 そのことをいつも不思議に思っていた。

 貴族とはいざという時、民のため、国のために戦う者である。

 ならば、幼少から知っておいたほうが良いのでは、と。


 近衛騎士団長マルクは静かに話を続ける。


「世界には北大陸と南大陸の2つの大陸がある。北大陸は、ここ南大陸の北西方向にあり、4分の1ほどの面積だ。その北大陸はパンドラニア連邦が覇権を握っている。そして、ここ南大陸は、シューヴァル帝国とサンガーラ共和国が勢力を二分している」


 北大陸の存在など全く知らなかった。

 これは重要な情報だと、一言も漏らさぬよう注意深く耳を傾ける。


「そして、我が国は西にある。どういうことか分かるか?」


 王国は南大陸の北西。


 王国の東に帝国、南には共和国がある。

 そして、北の海を挟んで連邦の牙城。



「……王国は、三大国に挟まれている、ということですか」


 近衛騎士団長マルクは首肯する。


「その通り。我が国はいわば三大国の緩衝地帯として存在している国なのだ。、と言った方が適切だろうな。大国間で戦争が始まれば、真っ先にすり潰される国というわけだ」


 なるほど情報統制されるわけである。

 我が国は、お目溢しで存在できており、隣国の気分1つで、いつ滅んでもおかしくない状況です、などと言えるはずがない。

 少なくとも民に知れ渡れば、治安どころではなくなり、暴動や流民が多発するだろう。


「……なるほど」


「三大国も長らく表向きは均衡を保ってきた。だが、ここ十数年、過去にないほどに緊張が高まっている。理由は戦帝ベネディクトの台頭」


 嫌な汗が出そうだ。

 状況は予想以上に悪い。


「帝国は急速に支配地域を拡大している。我が国と同等の九准国を、この10年の間に4つ飲み込んだ」


「つまり2年前に東部へ帝国が攻め込んできたのは……」


「そうだ。本格的に帝国が、共和国と連邦へ侵攻を開始するという意思表示でもある。我が国を滅ぼすのは、だったはず。まさか、奇襲をかけた場所に千竜卿ルシウスがいるとは思いもしなかっただろうがな」


 現王の過分な期待が分かるというもの。

 言葉を選ばずに言えば、亡国の憂いが続く状態で、わらにでもすがりたかったというのが本音だったろう。


「外交特権と徴兵権いうのは、次に三大国が攻めて来た際に、ルシウスが自由に動けるための措置でもある」


 ――いやいや、無理だろ


 ルシウスは邪竜の進化を以て、1度、帝国軍を退けた。


 とはいえ、こちらの情報が全く知られていなかった状態で、不測の事態が重なったに過ぎない。

 当のルシウス本人ですら邪竜の進化を予測していなかった。


 大国の正規軍に対策を取られれば、1人で出来ることなどほとんど有りはしない。


 近衛騎士団長マルクが「ふう」と息をつく。


「さて、伝える事は伝えた。詳細はご両親から聞くと良い。知っていると思うが、俺は平民の出でな。あまり凝った話は苦手なのだ。今回は王直々の指名でもあるので、俺自ら伝えることにしたが」


「はい、ありがとうございました」



 ルシウスは一礼する。

 早く両親から仔細を聞こうと、振り返る。



「おいおい。まだ話は終わってないぞ?」


「まだなにか?」



「というより、これからが本番だ」


 近衛師団長マルクがニヤリと笑った。

 そして魔力が膨れ上がっていく。


「もしかして手合わせですか?」


「まあ、挨拶みたいなものだ。騎士団流のな。初めてか?」


「いえ、東部でも似たようなことがありました。少し事情はありましたが」


「ははっ。経験済みなら問題ない。東部は色々あるから、許してやってくれ。血と一緒に禍根かこんは流せば良い」


 ――どんな水だよ


 汗の間違いではないかと思いながら、ため息をついた。


「怒ってはいません」


「なら問題ないな。ルールは式の顕現は無し、術式の使用は可。乗るか? 降りるか?」


 近衛師団長マルクは、明らかにルシウスが乗ることを期待している。


「……お受けします。武器は?」


「もちろん使用可だ。東部の術式がある時点で禁止にする意味がない」


 嬉しそうにプレートアーマーを外す近衛師団長マルク。


 プレートアーマーは式典用の正装ではあるのだが、実戦では用いられない。

 そもそも人がまとって動ける程度の薄い金属など、術式の前では重りでしかないためだ。


「わかりました」


 2人は少し距離をあけて、構える。

 

「いつでも来い」


 近衛師団長マルクは両腕をだらんと垂らしたままだ。


 舐めているのか、油断を誘っているのか。


 ――速攻で終わらせる


 ルシウスは魔力で宝剣を作り出しながら、疾走し始めた。


「俺の式は砲魔。岩を操る術式だ」


 近衛師団長マルクは相変わらず微動だにしていない。

 代わりに自身の術式について、説明し始めた。


 ルシウスは間合いを詰めた勢いそのままに、斬撃を放つ。

 むろん寸止めするつもりではある。


 だが、ギッと音を立てて、剣が止まった。


 マルクの布の服がまるで鋼のように固いのだ。


鎖帷子くさりかたびら!?」


「違う。”鋼衣こうい”だ」


 近衛師団長マルクが即座に否定した。


 一旦、間を確保するためバックステップで後ろへと下がる。


 3度ほど跳躍すると、背に何かが当たった。


「何だ!?」


 振り向くと、そこには壁があった。

 先程まで無かった岩の壁だ。


「術式!?」


「これが”遠隔えんかく”」


 前方では近衛師団長マルクが右手の掌を地面へと押し当てた。


 前方の床から岩の刃が迫り上がり、そのまま地面を1本の刃が駆けてくる。

 海面のすれすれを泳ぐサメの背びれのようだ。


 確かに岩を操る術式である。


 ――問題ない


 ルシウスは刃の横をすり抜けた。


 あっさりと回避された岩の刃が通り過ぎる。

 そして大地を駆ける岩の刃が、近衛師団長マルクが作り出した、岩の壁へと激突。


 そのままお互いが消滅するだろうと思った時、予想外のことが起きた。



「術式を跳ね返したッ!?」



 岩の壁が、岩の刃を反射したのだ。



「これが”親疎しんそ”」


 予想外のことに反応が遅れてしまった。

 回避は不可能と、すぐに防魔の盾を顕現し、地面を走る岩の刃を受ける。


「グッ」


 刃に押され、体が地面を滑る。

 盾に魔力を込め、無理やり岩の刃を横へと流すように受け飛ばした。


 ――やりづらい


 先程からルシウスが知らないをしているのだ。


 不用意に近づくのは下策。


「鎧兵」


 10体ほどの鎧兵が影から這い出てくる。


「取り囲め」


 鎧兵は散開。

 全方位から一斉攻撃である。


 近衛師団長マルクに焦った様子はない。

 右手を地面へとゆっくり押し当てる。


 次の瞬間、全方位に向かって無数の刃が飛び出した。


「何ッ!?」


 先ほどの岩の刃より1つ1つは小さく、込められた魔力は薄い。

 それでも虚を突かれた鎧兵たちを、一斉に岩の刃が飲み込んだ。


 ルシウスは咄嗟に宝剣に光をまとわせ、自身へとせる岩の刃を切り捨てる。


「そして、”拡狭こうきょう”」


 近衛師団長マルクが肩をゴキッと鳴らす。


「よし、これで全部だな」


 そもそも勝ち負けの条件を言っていなかったことから、得体の知れない何かを見せたかっただけなのかも知れない。


 ルシウスは宝剣を魔力へ還した。


「……岩の術式が、これほど柔軟な戦術をとれるとは知りませんでした」


「いや、岩の術式だけじゃない」


「どういうことですか?」


「俺達は式を用いて術式を発動させるだろ? その技術体系を【式術しきじゅつ】と言う」


「式術? 式を喚ぶのとは違うのですか?」


「同じものだ。ただ体系だったものとして捉えているだけだな」


「体系……ですか」


「式術には三錬さんれん四能したい一如いちじょという修めるべき技術がある。今見せたのは四能したい三錬さんれんは知っているだろ?」


 直接聞いたことはないが、『れん』がつく修練法は両親やユウ、旅団長シャオリアから教えられた。


増魔ぞうまの錬、同魔どうまの錬、縮魔しゅくまの錬」


 10歳までに魔核を成長させる増魔の錬。

 式と契約後、自身と式の魔力を同化させる同魔の錬。

 式と契約後、魔核の魔力濃度を上昇させる縮魔の錬。


 以上、3つである。


「その通り。そして、四能したいも多かれ少なかれ無意識に皆、使っているが、武闘派の貴族や騎士団以外はあまり体系だって修めないからな。それでも知っているものもあったんじゃないか?」


「術式の遠隔発動は知っています」


 近衛師団長マルクが笑顔で何度もうなずいた。


「そう、四能したいとはな――」


 近衛師団長マルクが四能したいについて、先ほどの模擬戦での内容を引用しながら説明する。


 要約すると、四能とは4つの技術であった。


 遠隔えんかくたい。魔力の流動性を高め、離れた場所で術式を発動させる。

 鋼衣こういたい。魔力を固定化し、まとわせた物質の硬度を高める。

 親疎しんそたい。魔力の極性を変化させ、術式同士の親和性や反発を制御する。

 拡狭こうきょうたい。魔力の密度を増減させ、術式の範囲を変化させる。


「――ということだ。これらが実戦レベルで使えれば式術を修めていると言われる」


 征将に術式が稚拙ちせつだと言われたことがあった。

 今なら理解できる。


 魔力を操る方向性が定まっていなかったのだ。

 ただ、放っているだけであった。



 考えてみれば、心当たりもある。


 父ローベルの奥手は竜巻。

 式のヒッポグリフが放つ風と、自身が放つ風を絡ませて竜巻を起こしていた。

 風と風が反発していることを不思議に思っていたが、親疎しんそたいという技術を使っていたのだろう。


 ユウもそうだ。

 練習の時、ルシウスの模擬刀を何度も体に受けていたのに、傷どころかあざ1つできていなかった。鋼衣こういたいを使っていたに違いない。


「とはいうものの、建前はともかく、俺も全ての能を使いこなしているわけではない。皆、そうだろう。だが、ルシウス、お前は例外だ」


「例外?」


「お前は4つの魔核を持っている。つまりどれも覚えやすい。これこそが重唱の最大メリットと言っても過言ではない」


「魔核と式術が関係あるんですか?」


「所持している魔核の種類によって四能したいの覚えやすさがが変わる。たとえば、砲手魔核を持っていれば、遠隔えんかくたいは覚えやすく、それ以外は覚えにくい。砲手魔核は魔力の流動性を高めるのは得意だが、固くしたり、極性をもたせたり、広げたりするのは苦手だからな」


 話をまとめると、こういう関係にあるらしい。


 東部の白眼魔核は、鋼衣の能が得意。

 西部の砲手魔核は、遠隔の能が得意。

 南部の詠口魔核は、拡狹の能が得意。

 北部の騎手魔核は、親疎の能が得意。


「各々の魔核には得意とする魔力操作がある。それが理由で、それぞれの魔核が契約できる魔物種が決まってるくらいだ。魔物の魔力にも性質があるからな」


 ルシウスは邪竜と契約している左手の騎手魔核を見つめる。


四能したいを覚えれば、まだ強くなれる」



 近衛師団長マルクは満足そうにうなづく。


「そういうことだ。練習方法もコツもあるが、基本は何度も繰り返して覚えていくしかない。細かいことは騎士団に来てくれれば教えるように手配しておく」


「ありがとうございます。ところで一如いちじょって何ですか?」


 三錬さんれん四能したい一如いちじょのうち、2つは教えてもらった。残りの1つが気になるのは当然である。



 近衛師団長マルクは少し黙りこくった後、重い口を開いた。



「…………わからん」



 拍子抜けである。


「いや、わからないんですか」


「式術の奥義であり、禁術でもあったと聞いている。危険過ぎるため使い手があまりおらず、いつしか失伝し、言葉だけが残ったらしい」


 ――危険ならいいか。どうせ使わないし


「今日は色々教えていただき、ありがとうございました」


 ルシウスは一礼する。


「いや、無理してきた甲斐があった。想像以上に期待できる若者だったよ」


 マルクは胸をさすった。


「やはり怪我をしているのですか?」


「バレてたか。この前、内々の模擬戦があって、死にかけた」


「近衛師団長のあなたが?」


 近衛師団長マルクは特級の式を持ち、高い技術と多くの経験を持っているはず。

 そんな人間が模擬戦で死にかけるのだろうか。


「世の中、上には上がいるもんだ。深い傷だったんでな、治癒の術式でも完治まで少し時間が掛かるらしい」


 何事でもないかのように話すマルク。


「なあ、ルシウス」


「何でしょう」


 近衛師団長が今日見た中で、一番真剣な表情を浮かべる。


「陛下の思いに応えて欲しい。いつ滅ぶかもわからないこの国を、誰かが守らなければ」


 ルーシャルの言葉が重なる。

 王も、近衛師団長も。


 それほどまで、ルシウスは自領だけに拘泥しているように見えるのだろうか。



「わかってます」

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