第99話 塔

「ルシウスさん、その棚はこっちにお願いします」


 黒く長い髪に紫の瞳の少女ローレンが服を畳みながら、忙しそうにしていた。


「わかったよ」


 ルシウスは大きめの棚を持ち上げ、ローレンが指差す場所へと置いた。

 棚の重みで、床板がきしむ。


 棚から手を放し、腕まくりした手で額の汗をぬぐう。


「ふう。大分、片付いたな」


 同じ部屋には、2人の青年が荷解きをしていた。


 双子のキールとポールというルシウスの幼馴染である。

 2人ともそばかすのある同じ顔であるが、キールは痩せ気味で、ポールは太り気味である。


「キール、この服はどこに置こうかな?」


「あっ! ポールだめだよ、そんなところに花瓶を置いたら!」


 積み重ねた本の上に置かれた陶器の花瓶がゆらゆらと揺れる。

 ポールのすぐ後ろで、花瓶が本と共に崩れ落ちた。


「はぁ……」


 キールは左手をかざす。

 落ちる陶器が床に当たる場所に黒い水たまりが出来る。

 花瓶は砕けることなく、黒い何かへと吸い込まれていった。


 間を置かずして、キールの左手の上に花瓶がストンと落ちる。


 キールの式、ペリュトンの術式である。


 魔核という魔力の根源を持つ者は、魔物と契約することで式とする。

 そうして、人は式へ魔力を、式は術式を与えるという共生関係を構築するのだ。


「ご、ごめんよ。キール……」


「あとは僕がやるから、ポールは1階のエミリー様を手伝いに行って」


「う、うん」


 気落ちしたままのポールが扉のドアノブへ手をかけたとき、1階から子どもの声が響いた。


「パン焼けたあぁ!」


 ポールの声が急に明るくなった。


「やった! ご飯だ!」


 窓の外を見ると、太陽は真上に来ており、外の通りを照らしている。


「よし、昼食にしようか」


 ルシウスの掛け声と共に、部屋に居た4人は階段を降りる。


 階段の下はすぐダイニングとなっており、良い香りが立ち込めていた。

 テーブルに置いてある、焼き立てのパンのおかげだろう。


 ダイニングテーブルには、30代の女性と4歳の少女が腰掛けていた。

 母エミリーと妹イーリスだ。

 イーリスは父ローベルと同じ赤い瞳、赤い髪の毛である。


にいに、終わった?」


「ほとんど終わりかな。イーリスも、母さんのお手伝いはちゃんとできた?」


「うん! イーリス、お母さんとパン作ったの。えらい?」


 満面の笑みを浮かべる少女。


「えらい、えらい」


 ルシウスは妹の頭を撫でた。

 掌に妹の魔力を強く感じる。

 以前より大きくなっているようだ。


「イーリス、ちゃんと魔力を増やしているみたいだね」


「うん!」


 このまま順調にいけば、将来2級、もしかすれば1級に到達できるのではと期待を寄せるルシウス。


「お腹へった」

「ポールは食べ過ぎだから」

「いいじゃないですか」


 2階から降りてきたルシウスたち4人も、思い思いに席につく。

 ダイニングテーブルはさほど大きくないため、隣に座った人と肩が当たりそうだ。


 皆、すぐには食べ物に手をつけない。

 代わりに、全員の視線がルシウスへと注がれた。

 ルシウスは背筋を正し、皆の準備が終わったことを確認する。


「食べよう」


 掛け声とともに、皆、中央の皿に置かれたパンへと手をのばす。


「ルシウスも、貴族っぽくなってきたなあ」


 口のパンを含みながら幼馴染のポールが言う。


「立派な男爵になることが目標だからね」


「きっとルシウスならなれるよ。母ちゃんも……父ちゃんも……そう言ってたし」


 ポールは、遠く離れた両親を思い出したのか、語尾になるほど声がしぼんでいった。


「巻き込んで、ごめん」


 見かねた双子の兄キールが、隣に座った弟ポールをひじで突く。


 今、ルシウスたちがいる場所は西部にある王都ブラッドフォード。

 出身である北部のシルバーハート村や都市ブルギアから遠く離れた場所であり、この国で最も栄えた街でもある。


 母エミリーと幼い妹、双子の幼馴染、ローレンを王都に連れてきたのは、自らの意思ではない。


 ルシウスは特級魔術師として、王から国を守る存在として期待されている。


 だが、すべての人間がルシウスへ期待しているわけではない。

 少なくとも現王の出身でもあり、この王都ブラッドフォードを治める四大貴族のウェシテ=ウィンザー公爵は、ルシウスを信頼していないようだ。


 その人間をふところへ滞在させるのだ。

 無論、首輪を付ける。


 それは家族であり、領民である。


 前世の日本を含む世界中で使われていた手法だ。。


「あら。私は感謝してますよ。王都にはいつか来てみたいと思っていました」


 ルシウスの横でローレンが笑う。


「ローレンの言う通り。俺もだ」


 同調するのはキール。

 それに、弟のポールも続く。


「ぼ、僕もだよ!」


「ルシウス。私はあなたが元気でいてくれさえすれば、それで十分よ」


 小さくちぎったパンを食べながら、母エミリーが優しく微笑んだ。


「皆、ありがとう」


 ルシウスが自身のパンを取ろうとしたとき、カンカンカンと音が響いた。

 玄関のノッカーだ。


 さっと立ち上がったローレンが玄関へと向かう。


 とはいえ、小さな建物。

 玄関はダイニングと直結した場所にある。


「はい、今開けます」


 ローレンが玄関の扉を開けた直後、張り詰めた声が響いた。


「ルシウス様、お迎えに上がりました!」


 ドアの先には身なりの良い青年の姿がある。

 年の頃は25歳前後。

 上流貴族が愛用する刺繍が施されたシャツとタイを身に着けた美丈夫である。


「あ、おはようございます。アルフレッドさん」


「おはようございます、ルシウス様」


 アルフレッドと呼ばれた男は恭しく頭を垂れる。

 腰を戻すと、美丈夫が顔をしかめていた。


「本当にここを宿舎とされるのですか? 我らがオーリデルヴ領の領主ともあろうお方が」


「村人もいるので、貴族街だと暮らしづらいかと思いまして。それに自分もあの雰囲気苦手です」


 ここは王都ブラッドフォードの市民街の一角。比較的裕福な層が住む場所ではあるが、貴族街ではない。


 アルフレッドの目が鋭く光る。


「お慣れ下さい。貴方は我らの主です。以前、言って下さったではないですか? 我らがオーリデルヴ領をひいては都市ブルギアを、北部で最も栄えた都市にすると。その主が王都の貴族街におくして、どうするのですか」


 ルシウスは苦笑を浮かべた。

 返す言葉に困る。



 なぜなら。



 ――言ってない。一回も



 アルフレッドはルシウスが領主を務めるオーリデルヴ領の領主代理である。

 北部の伯爵家の次男に生まれたが、兄以上に優秀であったため、当主を奪われることを恐れた実兄により成人前に家を追い出された。


 それでも腐ることなく、シュトラウス卿のもとで実務を着々とこなし、遂にはルシウスの副官として派遣されるに至ったのだ。


 アルフレッドは極めて優秀な人間である。

 だが、優秀過ぎるためか、自身の主であるルシウスにも同等以上であると勝手に解釈してしまう癖があった。


 領主代行アルフレッドにとって、ルシウスは四大貴族の長、もしかすると王と同等の高い志の貴族だと美化されている。


 つまるところ、思い込みが激しいのだ。



「……ともかくアルフレッドさん。俺が王都に滞在する間、ブルギアの復興は任せましたよ」


 ルシウスの領地であるオーリデルヴ領は、つい先日まで魔物が跋扈ばっこしていた場所である。

 領の運営と言ってもしばらくは都市ブルギアの復興にある。


「お任せください。ルシウス様は我々に示してくださった。ブルギアが目指すべきビジョンを! それを実現するのは家臣たる私の役目!」


 アルフレッドが手を天高く掲げた。


 ――ビジョン……


 引き気味のルシウス。

 反して、アルフレッドは感激にうち震えていた。


「ならば私はそれを実現する為に、粉骨砕身尽くす所存であります! それが我らの忠誠にして、責務! いや、生まれた意味と言っても過言ではありませんッ!」


 正直に言えば、ドン引きである。


「あ、はい……程々でいいですよ?」


「おっおぉぉ、お優しい! 確かにルシウス様は以前、言ってくださった。家臣は宝石に等しい宝であると」



 ――いや、言ってない



 アルフレッドの思い込みは、前向きだからこそ扱いが難しい。


 悪い方向ならば正しようもあるのだが、常にルシウスの要望を十分、いや十二分と言っていいほどに達成する。


 疑いようもなく、得難いほどに有能な人材なのだ。

 それこそ都市ブルギアの発展に影響するほどに。


 下手に本人のやる気をくじいてしまい、今後の政務に影響が出ては困る。


 そのため面と向かって否定もしづらい。

 何度かそれとなく伝えているのだが、ことごとくいい方向に解釈するのだ。



 結果、ルシウスは諦めた。

 自分が受け入れれば全てが上手くいくのだと。


 アルフレッドの口は饒舌じょうぜつに回り続ける。


「ですが、間違ってはなりません。宝石は輝いてこそ価値がある。私は輝いて見せます。 今、はっきりと思い出しました! ルシウス様は以前、言ってくださった! 『アルフレッド、お前ならば輝ける』と」



 ルシウスは死んだ目を浮かべながら微笑んだ。




 ――うん、言ってないね。輝くって……なに?




 多くの王都民が行き交う大通りに面した玄関前である。

 大げさな手振りで叫び続けるアルフレッドを見る人々の視線が痛い。


 明らかに不審者を見る目だ。


 このままここに居座られたら、あらぬ噂が立ってしまう。


「それよりも要件を」


 アルフレッドが急に背筋を正し、ニヤリと笑みを浮かべた。



「今より【塔】へご案内いたします。ルシウス様の第三の式、砲魔を得る手筈てはず、万事整えております」



 叙勲式に合わせ、西部を訪れ、そのままルシウスは砲魔を得る予定となっていた。



 西部の魔物である砲魔が住む場所は、森でも山でもない。

 街の中心にある【塔】である。


 気を取り直して、先程まで座っていた席へ戻り、パンを口に含み、スープで流し込む。


「よし、早く契約を終わらせないと」


 ルシウスは14才。

 立派な男爵となるため、自領の発展のため、まだまだやりたいことが有る。


「待って下さい。私も行きます」


 ローレンも手を挙げ、急いで布でパンを包み始めた。


 ルシウスはリビングの奥に立てかけてある3本の剣のうち、1本を腰に挿す。

 光の宝剣である。


「あとの2本は家に置いて行くのでしょうか?」


 準備をしながらローレンが話しかけてきた。


蚩尤しゆうに与えようとしたんだけど『要らない』って」


 蚩尤には魔武具を模倣できる枠が後、3つある。

 その内の2つが埋まると思った矢先。


 まさかの受取拒否である。


 もちろん蚩尤は人語は話さないため、そう感じただけであるが。


「どうしたのでしょうか」


「多分だけど魔槍が良すぎたから、もっと強い魔武具が欲しいんじゃないかな?」


「あら、蚩尤さんにも好き嫌いがあるのですね」


 ルシウスとロレーンは会話しながら玄関へと向かう。


「2人共、気をつけてね」

「兄に! ローレン姉!いってらっしゃい」


 母エミリーと妹イーリスが見送るために席を立つ。



 季節は春。

 陽気のため、外套がいとうは持たずに玄関の扉を開けた。


「行ってくるよ」

「はい、行ってきますね」


 一歩街へと出ると、多くの食べ物と生活臭の混ざったものが鼻につく。


 目の前に広がるのは、ひしめき合う人と家々。

 北部、東部の州都を上回るほど、賑わう人通り。

 国中から集められた豊かな品物の数々。


 その中でも一際目立つ規格外の建造物がある。


 天を貫く円筒形の【塔】である。

 文字通り先端は雲を突き抜けており、全く見えない。



「さて、【塔】を登るかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る